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元祖「沖縄の星」=広島と阪神で活躍した安仁屋宗八さん―故郷の家族思い熱投


 プロ野球の広島、阪神で投手として活躍した安仁屋宗八さん(77)は沖縄県が本土に復帰した1972年の思いを、こう振り返る。「パスポートが要らなくなることだけでも、すごく楽になった。僕にとってそれが一番かな」。通算119勝。同県出身のプロ野球選手で初めて成功した元祖「沖縄の星」と言える。  ◇高校時代も県勢初  沖縄高(現沖縄尚学高)時代から「県勢初」を経験していた。58年夏の第40回全国高校野球選手権記念大会に、首里高が春夏を通じ沖縄から初めて甲子園に出場。62年夏、安仁屋投手を擁した沖縄高は宮崎県代表との南九州大会を制し、甲子園出場を決めた。記念大会を除き、当時は全国の多くで近場の2県が1枠を争い、そこを沖縄勢が初めて勝ち抜いた。  卒業後は社会人野球の「琉球煙草」でプレー。63年には、大分鉄道管理局の補強選手で都市対抗大会に出場した。その頃にシュートを会得。後楽園球場で登板して「相手打者のバットを3、4本折った。それがスカウトの目に止まったんだろう」。早速、宿舎にプロ野球東映のスカウトが訪ねてきた。その際、家族と相談したいとの理由で返事はしなかったという。  ◇ONに立ち向かって  その後、広島のスカウトで現役選手でもあった平山智さんが沖縄に来た。当時は米国統治下。平山さんは米国出身の日系2世で、パスポートを持っていた。広島入団を熱心に誘われても、「食事で好き嫌いが多かったし、当時は『標準語』を使ったことがなかった」と安仁屋さん。文化などの違いもあり、プロ入りに前向きではなかったという。それでも「父や兄から、1年でいいから行ってこい」と後押しされ、プロ入りを決心した。  沖縄にいる家族への連絡は国際電話。そのため球団の計らいで、父の宗英さんも1カ月ほど選手寮に住まわせてもらった。1年目の64年6月に巨人戦で初勝利。その頃はまだ、ほとんどの一般家庭にテレビがなかった。「(沖縄では)僕が投げているということで、電器屋さんにみんながたむろして。タクシーもストップしていたらしい」  現役時代は「巨人キラー」とも評された。テレビなどで中継されるのは巨人戦ということもあり、「親孝行しようと思ったら、巨人戦に投げること」。巨人の主力打者は全盛期の王貞治や長嶋茂雄。沖縄で見守る家族への思いを胸に秘めながら、「ON」に向かって思い切り腕を振った。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに応じる安仁屋宗八さん 〔写真説明〕沖縄高時代の安仁屋宗八投手(本人提供) 〔写真説明〕社会人野球時代の安仁屋宗八投手(本人提供)
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