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どうする信長 なぜ裏切られるのか 書状でひもとく特別展 滋賀


 織田信長を取り巻く人物について「裏切り」をキーワードに、75件の資料でひもとく特別展「信長と家康 裏切る者・裏切らざる者」が、滋賀県立安土城考古博物館(近江八幡市安土町下豊浦)で開かれている。6月4日まで。【礒野健一】

資料で見る、武将の人間模様

 権謀術数がうずまく中で領土を広げた信長は、実は「裏切る」よりも「裏切られる」ことの方が多い人生だった。19歳で家督を相続した直後から、一族や家臣から度々謀反を起こされ、実弟・織田信勝を謀殺するまで争いは続いた。

 その後も信長を裏切る者は続く。妹の市(いち)を嫁がせて同盟関係を結んだ北近江の大名・浅井長政、実力者と認めて大和国を与えた松永久秀、摂津国を与えた荒木村重など、信長を裏切った武将たちについて、最新の研究から推測される裏切りの理由を武将直筆の書状など豊富な資料で説明している。

 本能寺の変(1582年)で信長を討った明智光秀は、四国の大名・長宗我部元親の窓口役となっていた。信長の四国攻略方針が長宗我部家の懐柔から討伐に変わったことが謀反につながったとの説を、元親の書状などを通して紹介しており、興味深い。

家康との関係性 ゆらぎ示唆する書状も

 その一方で家康とは、戦国の世では珍しく、約20年に及ぶ強固な同盟関係を維持している。しかし同盟締結から10年以上を経た、長篠合戦(1575年)前後に互いが出した書状を見ると、家康が信長へ出したものは最高級の礼を尽くしているのに対し、信長の書状は簡略的なものになっており、関係性の揺らぎを感じさせる。同館の高木叙子学芸員は「家康は武田家の所領だった駿河と遠江を実力で手に入れたが、本能寺の変の1カ月前に、信長にその『お礼』を言うため安土に呼ばれるなど、対等な関係とは言いがたい状況になっていた」と解説。「本能寺の変がなければ、いずれ家康も裏切ったかもしれない。NHK大河ドラマ『どうする家康』で注目される今、改めて二人の複雑な関係性を探ってほしい」と話した。

 入館は午前9時~午後4時半。月曜休館。大人900円、大学・高校生640円、小中学生420円、県内の65歳以上460円。問い合わせは同館(0748・46・2424)。

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