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【牧野茂雄の自動車業界鳥瞰図】スズキ・インド進出の先見の明と幸運、そして中国からの撤退


スズキが中国からの資本撤退を決めた。6月に合弁解消を発表した昌河鈴木に続き長安鈴木も清算される。代わりにスズキはインド生産拠点であるマルチスズキの生産能力を拡大しインドでトヨタ向け車両を生産、スズキ=トヨタ連合でアフリカ市場を開拓する。中国政府が進める新エネルギー車政策に振り回されず我が道をゆく。これがスズキの判断である。

 2050年にアフリカ大陸は、25億の人口を抱える巨大経済圏になると言われているが、まだモータリゼーションの恩恵は受けていない。16年末の統計では、世界の自動車保有台数は13億2400万台。このうちアフリカは、統計を確認できる15ヵ国ほどの合計で約3050万台である。全世界のわずか2%だ。




 アフリカでの自動車組み立て(ノックダウン=KD)工場は、地中海沿岸のエジプト、アルジェリア、モロッコをはじめ東西海岸のケニアおよびナイジェリアなどにある。南アフリカ共和国はアフリカ最大の自動車生産国であり年産60万台の規模だが、車体プレス部品なども含めた一貫生産ではなくエンジン、変速機、機械加工部品などを輸入して組み付けを行なうセミKD生産である。




 アフリカ大陸内での自動車生産台数は昨年実績で年間80万台程度、新車販売台数は推計170万台である。南アフリカ共和国にはトヨタ、日産、 VW(フォルクスワーゲン)、GM、ダイムラー、 BMW、フォードの7社が工場を置き、輸出国産品としての自動車を生産している。ダイムラーやBMWの南アフリカ共和国製生産車は日本にも輸出されている。調査会社フロスト&サリバンは2025年のアフリカ大陸自動車市場を326万台と予測している。また、あるシンクタンクの社内研究では2050年よりも前に1000万台市場になると試算された。成長株である。




 そのアフリカに近年、中国が大規模なインフラ投資を続けている。中国企業が建設を請け負い中国製トラックと労働者を送り込んでいる。トラックの世界ではすでに中国は一大勢力であり、車両総重量6トン以上の分野では世界上位10社のうち5社が中国企業だ。アフリカ向けには中国製ピックアップトラックやセダンも輸出されており、3~4年前に一部ブランドで問題になった低品質はかなり改善された。なんと言っても車両価格の安さは大きな武器である。




 日本勢のアフリカ進出はトヨタが早かった。生産・販売会社として南アフリカトヨタ社(TAS)が設立されたのは1961年、その翌年にはKD生産が始まった。2008年には現地パートナーの同意を得てトヨタがTAS株を買い取り完全子会社化し、輸出メインのグローバル生産拠点へとアップグレードされている。しかしトヨタは、スズキとの協業によるアフリカ市場開拓という道を選択した。




 今年5月25日、トヨタとスズキは共同記者会見を行なった。インドでの協力とアフリカ市場の開拓がその内容だった。スズキが開発した車両をトヨタのインド生産拠点であるトヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)で生産し、トヨタとスズキの両ブランドで発売する点がひとつ。もうひとつはTKMおよびマルチスズキ生産のモデルをアフリカに輸出し、共同でアフリカ市場を開拓すること。17年2月に提携交渉開始を発表した両社が、着々と補完関係を構築しつつあることが示された。




 両社は今年3月にインドで車両相互補完を実施することをすでに発表している。スズキはトヨタに「バレーノ」「ビターラ」を、トヨタはスズキに「カローラ」HEV(ハイブリッド車)をそれぞれ相手先ブランド商品として供給する。また、スズキがインドで量産するEV(電気自動車)をトヨタに供給することも発表されている。トヨタにしては異例の大規模な商品相互補完をスズキとの間で実施することになる。




 トヨタは10年、鳴り物入りで「インド国民車」エティオスを投入した。しかし、販売実績は芳しくない。南アフリカ共和国でもエティオスは販売されているが、これもトヨタの期待以下だ。現状打開のためにはスズキのインド向けモデルを導入することがもっとも効果的とトヨタは判断したのだろう。そして、スズキが開発主体となる次世代の小型超高効率パワートレーンをトヨタとデンソーが技術面で支援することも発表されている。このパワートレーンはスズキとトヨタが共同使用すると見るのが自然だ。

 インドプロジェクト発表の3週間後、今度はスズキが単独で記者会見を開いた。中国合弁のひとつである昌河鈴木汽車から資本を撤収するという発表だった。この発表の直後から「スズキは中国から完全撤退するのではないか」との憶測が飛び交ったが、約3ヵ月後の9月4日に長安鈴木汽車からの資本撤収も現実になった。スズキは昌河汽車と長安汽車に現在生産されているスズキ車の生産・販売ライセンスを残し、合弁2社はそれぞれ中国資本になる。




 マルチスズキを強化し、トヨタ向け車両の生産も請け負い、トヨタと共同でアフリカを開拓する。中国からは撤退――スズキにとっては大きなビジネスリフォームである。この2点から私が思い出したのは、インド進出直前のスズキだ。マルチスズキの前身であるマルチ・ウドヨグの設立調印は1981年10月。その2ヵ月前の8月にGMおよびいすゞと資本提携し、北米事業展開のメドをつけてからインド政府との正式調印に臨んだ。




 GMがスズキに5%を出資しGMグループのいすゞも3 . 5%を出資する。スズキはいすゞに1.32%を出資し同額の株持ち合いにする。81年8月にこう決まった。同時にスズキは小型車をGMと共同開発することで合意し、それを湖西工場で生産することになった。これが「カルタス」である。さらにGMは、カルタスをGMブランドで販売するため工場出荷時点で買い取るとスズキに約束した。これによってスズキは軽自動車専業から「もう少し上のサイズ」の商品を持つ小型車メーカーになるという悲願を達成した。




 80年代初頭のスズキには、北米とインドというふたつの新規事業を展開する余裕は人的にも資金面でもなかった。片方が失敗したら会社が傾くという危惧が鈴木修社長(当時)にはあった。インド政府のオファーは願ってもないチャンスだが、当分の間はビジネスにはならない。北米は即ビジネスになる。GMがスズキに小型車の開発資金を提供し、車両の買い取りまで行なってくれるという幸運が、スズキにインド進出を決定させたのである。




 この出来事以降、鈴木修氏へのインタビューで私が毎回必ず聞く「GMさんに足を向けて眠れない」心境が鈴木修氏に宿る。GMが経営危機に陥りスズキに合弁解消を打診した2008年3月、スズキは即金でGMから自社株を買い取った。文章にすれば数行だが、互いにリスペクトし合う経営者同士が交わした別れの挨拶だった。




 昌河鈴木に話を戻すと、16年6月以降は新型車を投入していない。スズキが設計を供与し今年5月に発売された「新北斗星」は昌河ブランドである。もともと昌河汽車は中国空軍に装備を納めていた中国航空工業集団傘下の江西昌河航空工業が民需転換のためにスズキと組んだ合弁事業だったが、09年に中国航空工業集団が長安汽車の親会社である中国兵器装備集団に吸収され、自動的に昌河鈴木は長安汽車傘下になった。しかし、昌河汽車の従業員が工場移転に反対しストライキを開いたことから江西省幹部が北京に直訴し、昌河鈴木は景徳鎮所在のまま北京汽車傘下となった。




 スズキにとっては、中国政府が微型汽車の新型車に生産許可を出さなくなったことも現地合弁の舵取りを難しくする要因だった。合弁ではやりたいことができない。中国では思いどおりに事が運ばない。これが合弁解消の理由だと私は思う。思いどおりにならない事業、横槍ばかりが多い事業に見切りを付けた格好だ。




 インドでも政府との対立があった。インド政府がスズキとの間で取り交わしていた「互いに会長と社長を交互に指名する」約束を破った1997年の事件だ。最終的には国際仲裁裁判所が判断を示す前にインド政府はスズキと和解したが、紛争は10ヵ月におよびマルチの業績は伸び悩んだ。「いかに礼を尽くしても相手は恩を仇で返す」という合弁の宿命を感じたと、私は鈴木修氏から直に訊いた。




 世の中では「スズキのインド進出は先見の明」と言われる。そこには冷静な分析と将来への確かな見通しがあった。しかし、幸運が味方したことも紛れのない事実である。

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