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梅雨末期に花開く……ネムノキの夢幻の境地


今年の梅雨は全国的に長雨と低温傾向が続いています。

厚い雲におおわれ、太陽の在り処も判然とせず、いつともなくほの暗くなる夕刻。塗れそぼり、霧がかった一面の青田に、ひとつふたつとホタルが舞い始め、ふわふわとした綿毛のようなネムの花が、夢のように匂い立ち始めます。


この木何の木?梅雨の夕刻開く幻の花

ネムノキ(合歓木 Albizia julibrissin)は、マメ科ネムノキ亜科 (またはジャケツイバラ亜科)ネムノキ属に属する落葉高木で、本州、四国、九州の原野や河原などに自生し、時に公園や庭にも植樹されます。痩せ地でも旺盛に生育しますが、日当たり・風通しの良さと水分の多い土壌を好む傾向があります。樹高は概ね10メートル前後で、さほど上方には大木化はしませんが、枝を大きく横に伸ばし、広く水平方向に成長します。皆さんご存知の某電機大企業の有名なロングランCMで「この木何の木 気になる木♪」という歌詞で登場する大木は横に大きく枝を広げた姿ですが、この木はアメリカネムノキ(Albizia saman)。日本のネムノキと同属です。

大きな葉は、独特の二回偶数羽状複葉で、7~9対の対生する羽片に細かく枝分かれし、各羽片に16~30対の細い卵型の小葉がずらりとつきます。鳥の羽根のような葉をつけた枝を四方に広げた姿は、まるで地上に降り立った巨大な鳥が羽を休めているかのようにも見えます。触ると即座に葉を畳んでしまうことで有名なオジギソウ(お辞儀草 含羞草 Mimosa pudica)はネムノキ亜科で、ネムノキと近縁。葉の形もよく似ています。ネムノキは触っても閉じるような反応はしませんが、葉柄や枝分かれした各小葉柄の基部に膨らんだ組織「葉枕(ようちん)」をそなえ、葉枕の膨圧変化により、対生の葉を夜には畳み、朝には開くという運動をします。この様子から、夜には眠る木=眠りの木=ネムノキと名がつきました。ネムノキを眠らせない(葉をあわせないようにする)とどうなるか、実験してみると、水分が蒸散して枯れてしまったそうです。

花は6月後半ごろから咲き始め、7月いっぱい咲きつぎます。葉とは真逆に毎日夕方ごろから咲き始めます。昼にも咲き残りますが、美しいのは夕方から夜です。黄緑色の蕾の房から次々と開く花は、細い糸を扇状に束ねた化粧用の刷毛にも似た不思議な形をしています。先端が鮮やかなピンクで基部が白い花弁のようなこの花糸は雄しべで、長さは3~5センチ。本当の花弁は筒状でごく小さく、美しい花糸の根元部分につつましげについています。夕暮れ時にネムの花が咲くと、ほのかなともし火がいくつもともったように見え、幻を見ているような美しさがあります。


ネムノキの見せる幻想が生んだ文学の数々

ネムノキは漢字では「合歓木」。これは、夜になると小葉柄を挟んだ対の小葉がぴたりと合わさる習性から名づけられたものですが、合歓という言葉には、慕いあう男女の同衾の「歓喜」の意味もあるのです。上代の和歌は、それを踏まえた艶っぽい歌が詠まれています。

我妹子を 聞き都賀野辺のしなひ合歓木 我れは忍びず間なくし思へば

(万葉集 詠人不詳 巻十一 2752)

昼は咲き 夜は恋ひ宿(ぬ)る合歓木の花 君のみ見めや戯奴 (わけ)さへに見よ

(万葉集 紀女郎 巻八 1461)

江戸期の松尾芭蕉は、ネムノキを春秋時代の傾城の美女・西施(せいし)の妖しさに喩えています。近現代になると、エロスを強調するよりも、ネムの花の姿のやさしさや、名からくる安らぎのイメージを歌ったり、またその逆に、夜の訪れとともに寂しい川べりや村はずれに咲く夢魔的な恐ろしさを歌ったものが多くなります。

古泉千樫(ちかし)は近代歌人の中でも、とりわけ優しいネムノキを愛し、親しみをこめた短歌を詠みました。

川隈の 椎の木かげの 合歓の花 にほひさゆらぐ 上げ潮の風に

たもとほる 夕川のべの 合歓の花 その葉は今は ねむれるらしも

夕風に ねむのきの花 さゆれつつ 待つ間まがなし こころそぞろに

(千樫)

一方、芥川龍之介や俳人・川端茅舎(ぼうしゃ)は、ネムノキに禍々しい「魔」を見ます。

蛇女 みごもる雨や 合歓の花 (龍之介)

寒気だつ 合歓の逢魔(おうま)が ときのかげ(茅舎)



伊東静雄は、真夜中、巨大な怪鳥が飛んできて森の端に建つ家の屋根を踏み鳴らし、嘲笑する子供たちの声を聞く、悪夢のような詩を書きます。

大いなる鶴 夜のみ空を翔り

あるひはわが微睡む家の暗き屋根を

月光のなかに踏みとどろかすなり

わが去らしめしひとはさり…

四月のまっ青き麦ははや後悔の糧にと収穫(といり)られぬ

魔王死に絶えし森の邊

遥かなる合歓花を咲かす庭に

群がるる童子らはうち囃して

わがひとのかなしき聲をまねぶ…

(行つて お前のその憂愁の深さのほどに

明るくかし處を彩れ)と

(「行つてお前のその憂愁の深さのほどに」 伊東静雄)

「遥かなる合歓花」という、わかるようでわからない表現が、むしろとらえどころのないネムノキの風情を的確に現しているように感じます。「大いなる鶴」は巨大な鳥の翼のような枝葉を広げたネムノキそのもの、そしてうちはやす妖怪のような童子たちはネムの花から、それぞれ連想された夢魔ではないでしょうか。

ネムノキを扱った文学は、葉・花の形や習性、名前からくる印象が強いために、イメージにひきずられた凡作も多く見られるのですが、優れた作品もまた多く生み出されています。上皇后陛下の手になる「ねむの木の子守唄」も有名ですね。


東北夏の大祭「ねぶた/ねぷた」もネムノキに起源あり?

「睡魔」という言葉があるように、ネム=眠りの木にはある種の特効があるという民間信仰も生まれました。それが民族行事化したのが「眠流し」(子むた祭り/ねぶり流し/ねぶた流し/ねんぶた流し)で、旧暦の七夕の頃、形代の人形やネムノキの枝を、「ねむたはながれろ まめのはとどまれ」と念じて謳いながら灯篭や笹舟に乗せて流したり、ネムの葉でまぶたをなでるなどの所作をして眠気(怠け心や気力・体力の衰弱)を祓い、豆の葉(まめに動き働く元気と意欲)をとどめよう、という信仰行事で、これか青森県を中心に東北で行われるねぶた(ねぷた)祭りの起源だといわれています。

天明8~9(1788~1789)年、弘前藩士の比良野貞彦(不明-1798)が著わした「奥民図彙」の中で、この「ねぶた祭り」の様子がイラストと解説で叙述されており、これが「ねぶた(ねぷた)祭り」の文献上の初出となっています。さまざまな形の灯篭や七夕飾りが列をなし、今とは異なり、盛大ながら素朴な七夕行事であることが分かります。これが幕末慶応年間ごろになると、巨大な人形や城のような造形物を飾った派手な山車が見られるようになり、現代につながる祭りのかたちが確立されてきたことが分かります。

余談ですが、ねぶた-ねぷた祭りを語るときについて回る「ねぶたかねぷたか」問題。津軽地方、下北地方、秋田県の能代市など、各地で行われるねぶた(ねぷた)が、青森市のものがねぶた、弘前市のものがねぷた、と使い分けられるようになったのは、昭和30年代に青森市と弘前市の各地元新聞社が使い分けをするようになり、これが1980年の国の重要無形文化財指定の際に、正式な名称としてそれぞれが登録されたことにあり、もともとは、どちらも「ねぶた」「ねぷた」と自由に呼ばれていたようです。

梅雨明けとともに、湿気の大好きなネムノキは徐々に花の時期を終えていきます。梅雨明け前に、ネムノキをさがして、幻想的な花の姿を楽しんでみてはいかがでしょうか。



参照

野外ハンドブック 樹木 (富成忠夫 山と渓谷社)

伊東静雄 (杉本秀太郎 筑摩書房)

日本の詩歌 (中公文庫)

新訓萬葉集 (佐佐木信綱編 岩波書店)

ねぶた祭の起源~ねむり流し~

ねむの木の子守唄

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