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「復帰したい一心だった」=当時の参加者も駆け付け―海上集会


 沖縄の本土復帰50年を記念して28日に再現された「海上集会」では、かつて船に乗り込んだ人たちも海上に駆け付けた。参加者は「祖国に戻りたい一心だった」と当時を振り返り、「復帰時に願った『基地のない平和な沖縄』はまだ戻ってきていない」と現状を憂いた。  母の古里の沖縄県国頭村で育った青山恵昭さん(78)=同県浦添市=は、父の出身地である鹿児島・与論島が本籍だったため、復帰前は外国人として在留許可証の携帯が義務付けられた。当時は沖縄以外に本籍がある人は「非琉球人」と区別され、自治体からの支援などで差別を受けた。  1964年の海上集会では、与論島の叔父と対面。船上から手を伸ばし、一瞬だけ握手を交わした。あの時を振り返り、「復帰は近く、差別がなくなる日が来ると希望が持てた」と話す。  青山さんは今年3月、国頭村や与論島の子どもらに自身の体験を語った。「沖縄は復帰後も基地負担が減らず、理不尽にさらされ続けた」と苦言を呈し、「次世代には平和な沖縄を引き継いでもらいたい」と力を込めた。  金城健一さん(77)=沖縄県大宜味村=は、千葉県で大学生活を送っていた68年に本土代表として参加。沖縄側から小舟で駆け付けた母と海上で会った。  沖縄と本土の行き来にパスポートが必要だった時代。母との「国境」上での再会に「パスポートなしで家族に会えることが日本復帰なんだ」と実感したという。  金城さんは再現された海上集会について「大変意義のあること」と話しながらも、「復帰から50年が過ぎても沖縄は基地の負担を押し付けられたまま。何も変わっていない」と憤った。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕かつての「海上集会」について語る青山恵昭さん=2021年11月12日、那覇市 〔写真説明〕かつての「海上集会」について語る金城健一さん=2021年11月11日、沖縄県国頭村
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