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名匠ジウジアーロが手掛けた“奇跡”のイタリアンベーシックカー【中年名車図鑑|初代フィアット パンダ】


オイルショックへの対応で低燃費の小型車の開発が積極的に推し進められた1970年代後半の自動車業界。そのなかでイタリア最大の自動車メーカーであるフィアットはTipo zeroプロジェクトを立ち上げ、車両デザインについては名匠G.ジウジアーロが率いるカロッツェリアのイタルデザインに一任した。コストを抑えながらアイデアを駆使して製作した新世代のベーシックカーは「パンダ」の車名で1980年に市場デビュー。その小粋なスタイルは、欧州はもとより日本でも高い人気を獲得した――。今回は国産メーカーも一目を置いたジウジアーロの傑作コンパクトカーの話題で一席。



 





 



【Vol.119 初代フィアット パンダ】



1973年10月に勃発した第4次中東戦争に起因するオイルショックは、世界中の自動車メーカーに大きな影響を与えた。ガソリン価格の高騰や電力不足などが深刻化し、また自動車需要の低迷によって前代未聞の打撃を受けたのである。この苦境下で注目されたのが、燃費性能に優れる小型車の存在だった。とくにFF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式の高効率なパッケージングとコンパクトな2ボックスのスタイリングを持つモデルが脚光を浴び、欧州ではフォルクスワーゲンのゴルフやフォードのフィエスタ、ルノーの5(サンク)などが、日本ではホンダのシビックなどが販売台数を大いに伸ばした。



 





一方でイタリア最大の自動車メーカーであるフィアットは、このカテゴリーに127を投入して比較的好調なセールスを記録していたものの、その1クラス下のベーシックカーである126は苦戦を強いられた。旧態依然としたRR(リアエンジン・リアドライブ)方式によるパッケージングが、居住性や動力性能の面で不利に働いたのだ。憂慮したフィアットの首脳陣および技術陣は新しいFFベーシックカーの設定を画策し、プロジェクト名“Tipo zero”を立ち上げる。そして、1976年7月にその開発をジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインに依頼した。なお、フィアットが量産モデルの開発を外部に委託したのは、これが初の出来事。背景には、オイルショックの煽りを受けてフィアット自体の経営が逼迫していたこと、そしてフォルクスワーゲン・ゴルフのデザインを手がけたジウジアーロの手腕とイタルデザインの開発能力を高く評価していたことなどがあった。



 





フィアットは新FFベーシックカーを企画するにあたって、イタルデザインに様々な条件を提示する。ボディサイズは126と127の中間、生産コストは126と同レベル、できるだけシンプルでかつ実用性が高いモデルに仕立てること――。こうした厳しいオーダーを受けたジウジアーロは、夏のバカンスを返上して車両デザインの創出に汗を流すこととなった。





新FFベーシックカーの基本スタイルは、直線と平面を基調にデザインした3ドアハッチバックのモノコックボディで構成する。ホイールベースは2160mmに設定。フロントのエンジンルームは広めにとり、オーバーヒートの防止やメンテナンス性の向上、そして将来的なエンジン排気量のアップに配慮していた。サスペンションはフロントに独立懸架式のマクファーソンストラット/コイルを、リアに半楕円リーフで吊ったリジッドアクスルをセットする。リアにリーフリジッドを組み込んだのは、コストの抑制とともにラゲッジスペースへの干渉を防ぐ目的があった。



 





フロントセクションに搭載して前輪を駆動するパワーユニットは、126から流用した652cc空冷直列2気筒OHVユニット(30hp/4.2kg・m)を縦置きで、127から流用した903cc水冷直列4気筒OHVユニット(45hp/6.5kg・m)を横置きでレイアウトする。トランスミッションは4速MTで、クラッチにはシンプルなシングルドライプレート式を組み合わせた。



 





内外装のデザインにも徹底した工夫が凝らされる。ガラス類はフロントウィンドウを含めてすべて平面で構成。前後バンパーは下半分に横スリットを刻んだ樹脂一体成型タイプで、フロント下にはスポイラー効果を持たせる。また、両サイドの下部は前後バンパーとラインを合わせて樹脂コーティングを施し、傷つきや錆の抑制を図った。一方で内包するインテリアは、全体をポケット状にデザインしたダッシュボードや横長の長方形にまとめたメーター&警告灯&スイッチ類、ダッシュボード下部で自由に移動できる脱着式の灰皿などが訴求点となる。パイプフレームをベースとした薄手のシートは、前後ともにフルフラット機構を内蔵。また、リアシートはコンパクトに折りたためるとともに、フロントピボットを上に固定すればハンモックに早変わりした。前後シートともに取り外しが可能で、さらに表地を外して洗えたことも、ユニークかつ実用的なアイデアだった。



 



 



■「Panda」の車名で市場デビュー



 





フィアットの新世代コンパクトカーは、1979年12月にプレス発表され、翌80年2月にイタリア本国で発売。そして3月開催のジュネーブ・ショーで欧州プレミアを果たした。車名は「Panda(パンダ)」。ボディ下半分をグレー塗装とするツートンカラーを採用したことが、車名の由来といわれる。デビュー当初の車種展開は、652ccエンジンを採用するパンダ30と903ccエンジンを搭載するパンダ45の2タイプで構成。ボディサイズは全長3380×全幅1460mmと、当初の予定通り126と127の中間に収まっていた。



 





シンプルでユニークな内外装の演出に広くて使いやすいキャビン&ラゲッジ空間、軽快かつ経済性に優れた走り、そしてリーズナブルなプライスタグなど、新世代イタリアンベーシックとしての特性を存分に備えたパンダは、たちまち市場の人気モデルに成長していく。その勢いをさらに加速させようと、フィアットは積極的にラインアップの増強やメカニズムの改良を実施していった。



 



 



■4×4モデルをシュタイア・プフと共同開発



 





まず1982年には、横置きの843cc水冷直列4気筒OHVエンジン(34hp)を搭載するパンダ34を追加。同時に、後のパンダの人気装備品となるダブルサンルーフを設定する。さらに、同年開催のパリ・サロンにおいて、45をベースに装備の充実化や5本の斜めラインが入ったブラックグリルの装着、ボディサイドの樹脂コーティングの省略、トランスミッションの5速化などを図った上級グレードのスーパーを発表した。





1983年にはオーストリアのシュタイア・プフと共同開発したパートタイム式4WD(FF/4WD)を組み込むパンダ4×4を市場に放つ。パワートレインはトルクアップを狙ってエンジン排気量を965ccに拡大(48hp/7.1kg・m)するとともに、トランスミッションには1速をローギアード化した5速MTをセット。フロアトンネル中央付近にはドライブシャフトのたわみを防ぐクロスメンバーを装着する。駆動の切り替えはシフトレバー後方に配したT字型のトランスファーレバーで行えた。また、不整地走行を考慮して最低地上高を引き上げ、同時にフロント側にサブフレームを追加する。タイヤにはオールシーズンスチールラジアルを標準で装備。フロントグリルには5本の斜めラインが入ったブラックタイプを装着した。ちなみに、FF横置きエンジンをベースとする市販4WD車は、パンダ4×4が初であった。



 



 



■FIREエンジン+Ωサスの採用



 





1986年になると、大がかりなマイナーチェンジを敢行する。搭載エンジンはFIRE(Fully Integrated Robotized Engine)と称する完全ロボット生産方式の新設計ユニットに換装。部品点数は従来より30%あまり少なくされ、769cc直列4気筒OHC(34hp/5.8kg・m)と999cc直列4気筒OHC(FF用45hp/8.2kg・m、4×4用50hp/8.0kg・m)という2機種を用意した。またこの年、1301cc直列4気筒ディーゼルエンジン(37hp/7.2kg・m)もラインアップに加わる。さらに、エンジンマウント位置の引き下げやエグゾーストシテムの改良なども行った。組み合わせる4/5速MTは、新エンジンの特性に合わせたギア比の見直しやギア/ベアリング/ケースの材質変更などを実施。フロアパネルの剛性も従来比で20%ほど高めた。懸架機構ではFFモデルのリアサスペンションをΩアーム+トレーリングリンク/コイルという凝ったリジッド式に刷新したことがトピック。従来のリーフリジッドよりも路面追従性が大きく向上する。内外装では、5本斜線入りブラックグリルへの統一や三角窓およびサイド下部樹脂コーティングの廃止、メーター類の大型化、ハンモックタイプから一般的な形状へのシート変更などを実施した。また、4×4を除いたグレード名は従来の馬力由来から排気量由来のパンダ750/1000へと一新。ディーゼルモデルはパンダDを名乗った。





パンダのリファインは、まだまだ続く。1987年には999ccエンジンの燃料供給装置をインジェクション化。また、旧来のOHVエンジンをベースに排気量を769cc(34hp)としたエントリーモデルのパンダ・ヤングを設定する。1990年になると、パワートレインに電気モーターを採用したパンダ・エレットラをリリース。1991年には再びマイナーチェンジを実施し、1108ccのFIREユニット(50hp/8.6kg・m)の設定や903cc・OHVエンジンの復活、富士重工製のECVTを採用したセレクタの追加、内外装の小変更などを行った。





1991年にはニューベーシックカーのチンクェチェント、1993年にはひとクラス車格が上のプントが登場したため、デビューから10年以上が経過していたパンダのラインアップは徐々に縮小していく。しかし、イタリアンコンパクトらしい小粋な内外装に快活な走りを演じるパンダの人気は世界的に根強く、メーカー側もグリルデザインの再変更やルーフレールの装着、1108ccエンジンの出力アップ(52ps)といったリファインを施しながら販売を継続していった。そして、次世代のパンダが登場する間際の2003年5月に生産を終了。開発者のジウジアーロをして“奇跡”と呼ばしめた稀代のイタリアンベーシックカーは、約450万台を生産して23年あまりの車歴に幕を下ろしたのである。



 







 


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