三菱アイミーブ(i-MiEV)が今年度内に生産終了するというニュースが報じられた。三菱自動車の正式発表ではなく「関係者の話」がネタ元のようだが、否定コメントが出なかったということは、「そのとおり」と考える理由になる。リチウムイオン2次電池を搭載した新世代の量産BEV(バッテリー電気自動車)はアイミーブが世界初だった。2009年6月の発売から現在までの累計販売台数は約2万3000台。この数字をもって「不成功」「売れなかった」と片付けるのは簡単だが、アイミーブはBEVをビジネスにする難しさを世の中に示した。その足取りを振り返る。


TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

毎月の第2金曜日、三菱グループ企業の会長・社長が集う親睦会、「金曜会」が開かれる。現在は27社だそうだ(ちなみに三菱鉛筆は旧三菱財閥系の企業ではない)。その昔、筆者が新聞記者として自動車産業を取材していたころ、金曜会のことは三菱グループ企業の役員の方々からいろいろと伺った。いっさい表立って報じられることのない親睦会だった(現在でも)が、この会でBEVの話が出たと聞いたことがある。




この件は、私に話をしてくれた方との約束で詳細は書けない。筆者にとっては墓場まで持ってゆかなければならない類の話(多すぎるのです)だが、いくつかの証言と状況証拠と突き合わせると、その後にアイミーブとなるBEVは三菱グループおよび経済産業省の「雑談」がきっかけだったのだろうとの推測を披露してもいいだろう。

アイミーブのベースとなった「i」は2003年のIAA(フランクフルト・モーターショー)で披露される3年ほど前に先行開発が始まっていた。この件を筆者が聞いたのは、たしか2000年2月だった。当時、筆者は某自動車スクープ誌の編集長だったため、この手の情報は専門だった。「RR(リヤエンジン・リヤドライブ)の小型車について社内でスタディが始まった」と聞いてまず思ったのは、果たしてRR方式の量産車に開発GOサインが出るかどうか、だった。




2000年7月、三菱自動車でリコール隠しが発覚し業績が急変したあと、ダイムラークライスラー(DCX)が三菱自に出資し、このRR小型乗用車のプロジェクトは一度立ち消えになるが、ふたたび発覚した2004年のリコール隠し事件でDCXが三菱自から資本を撤収したあと、短期間で市販できる新商品として量産GOになる。

2008年1月のアイミーブ報道試乗会。このあと盛況になる急速充電器需要には日本の防衛関連企業が関わった。単価が下がらない理由はここにもあった。

余談だが、2000年の三菱「ふそう」トラックの車輪脱落事故は、国内の大型トラックメーカー4社が使っていた共通部品の不具合と、点検項目の削減という道路運送車両法の改正とが重なったことがもたらした不幸だった。この一件にまつわる話は墓場まで持ってゆくつもりはないので、当時の国交省関係者諸氏が定年退職されたら書き残そうと思う。

2005年1月に三菱グループの支援で三菱自は再スタートするが、その時点では「i」の開発は佳境に入っていた。ただし、IAAで発表されたコンセプトカー(全長3516×全幅1505×全高1514mm)をひとまわり小さくした軽自動車規格で、だった。2006年1月に「i」は発売され、その年の10月に「i」のBEV仕様としてアイミーブが発表される。この時点でのアイミーブは官公庁、電力会社、金融機関といったフリートユーザーをターゲットにしていた。




開発のなかで重要な地位を占めたのはリチウムイオン2次電池(LiB)の開発と量産だった。当時はまだ、自動車のような酷暑酷寒と振動や衝撃にさらされる使用環境に耐えるLiBは存在しなかった。同時に、BEVにとって2次電池はパワートレーンの一部であり、専用品の開発およびその量産は「特定の電池メーカーとの間で行なう」と考えられていた。

トヨタはHEV(ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)開発に当たりニッケル水素電池をパナソニックと共同開発し、トヨタとパナソニックの合弁会社であるパナソニックEVエナジー(現・プライムアースEVエナジー)が量産を行なっていた。三菱自はGSユアサと組んだ。日産はNECと組んだ。ドイツのVW(フォルクスワーゲン)も2006年に三洋電機(当時)と組んだ。「電池は何でもいい」という時代が訪れるのは、アイミーブのために三菱自/三菱商事とGSユアサが組んだ2007年12月の、さらに10年後である。




2008年1月、開発が最終段階に入っていたアイミーブはメディアに披露され試乗会が行なわれた。そのとき筆者は「もっとダイレクト感があるほうが個人的には好きだ。過敏ではなく、人間がだれでも感じるレスポンス、いわゆるウェーバーレシオ(人間は変化率5%を感じ取るという一般論)程度のレスポンスさえ即座に返せばダイレクト感は伝わるはず」などと生意気なことを言い、世に出たアイミーブに乗ってみて、そのとおりの味にニンマリとした。しかし、2009年7月にまず官公庁と法人向けのリースが始まったとき、こうしたドライバビリティはほとんど評価されなかったようだ。

2007年の東京モーターショーに参考出品されたアイミーブ派生モデル。実際、三菱自はアイミーブ・ベースのSUV的モデルを企画していた。

デビュー当時のアイミーブは車両価格459万9000円。国庫補助が139万円あり、これを使うと320万9000円。それでも「利幅は薄かった」と聞いた。ひょっとしたら利益はなかったかもしれない。GSユアサは電池生産工場の建設のために150億円を超える投資を行なった。現在までの累計2万3000台という生産台数のなかで、初期投資を回収できただろうか。




テスラは18650型というラップトップコンピューターなどに使われていた汎用規格のLiBを使った「汎用品を使ったところに先見の明がある」とも言われるが、テスラはパナソニックにテスラ専用セルの開発・製造を依頼した。この点では電動車に手を染めたほかの自動車メーカーと同じである。

テスラ・ロードスター。シャシーはロータス製を使い、バッテリーはパナソニックの18650タイプを使っていた。

2008年3月に納車が始まったテスラ ・ロードスターは車両価格9万8000ドル。当時はアメリカでサブプライムローン問題が深刻化しつつあり円高ドル安が進行していた時期だ。2007年のピークは1ドル=124円だが、2008年3月には1ドル=95年まで下がった。1ドル=110円で換算してテスラ ・ロードスターの車両価格は1078万円である。




当時、秋葉原でパナソニック製18650は1本1300円くらいだった。半値弱の1本=600円でテスラが買っていたとして、この電池を6831本積むテスラ ・ロードスターは電池だけで409万円。ロータスが開発を請け負ったアルミ合金製シャシーは一部の部品を当時のロータス・エリーゼと共有していたが、高価だった。しかし、テスラ・ロードスターの市販価格はほとんど「積み上げ式」で決定されたと、のちに筆者は関係者から聞いた。そうだろうなぁ、と思う。




テスラ・ロードスターより早く発表されながらも実際の納車ではやや出遅れたアイミーブは、4人乗りハッチバックで官公庁と法人がメインユーザーの軽自動車。いっぽうのテスラ・ロードスターは完全に個人オーナー向けの2人乗りスポーツカー。互いに対照的な位置付けだった。

アイミーブの個人向け販売が始まった2010年4月1日、車両価格は398万円まで引き下げられた。国庫補助を使用すると284万円になったが、軽自動車としてはかなり割高だった。2013年に一部改良されて2グレードの展開となり、廉価版のほうの「M」は車両価格245万9100円。平成25年度クリーンエネルギー自動車等購入対策費を使うと約172万円で入手できた。この時点がアイミーブの価格の最安値である。




しかし、日本は2008年9月のリーマンショックによる世界同時不況突入で経済が低迷し、なぜかその傷が日本だけ癒えないうちに2011年3月には東日本大震災が再び日本経済を襲った。自動車市場は落ち込み、172万円の軽自動車はなかなか売れなかった。この不可抗力とも言える環境変化はアイミーブにとって不幸だった。




その後、アイミーブの車両価格は消費税率改定のたびに値上がりし、現在は300万3000円。生産終了を報じる新聞記事には「コストダウン努力が足りなかった」とも書かれたが、三菱自としての損益分岐点は年産3万台と言われ、その10分の1しか売れなかったアイミーブにはなかなか投資できない。それと2011年3月の原子力発電所事故が引き金となり日本の電力事情が逼迫したことも逆風だった。

「i」を売るための努力は多方面におよび、一時はキティちゃんが販売促進キャラクターだった。筆者は「ターゲットはスヌーピー世代じゃない?」と思った。

いっぽう、テスラ ・ロードスターには広告塔になった人たちがいた。レオナルド・ディカプリオ、メル・ギブソンといった映画スターたちである。ディカプリオはプリウスがアメリカで発売されたときも真っ先に購入した。メル・ギブソンは1996年にGMが「EV1」をリース契約での販売を始めたとき真っ先に購入したひとりである。




カリフォルニア州で1990年代にZEV(ゼロ・エミッション・ビークル=無排ガス車)法が成立しBEVへの期待が一気に高まった背景のひとつは、同州の電力余剰だった。2001年に総合エネルギー企業のエンロンが破綻した直接の理由は粉飾決算が明るみに出たことだが、当時、アメリカの電力会社は民主党にも共和党にも多額の政治献金を行なっていた。国民に電気を使わせたかったためだが、石油業界の献金はそれを上回り、結局カリフォルニア州のZEV法は骨抜きにされ、GMもEV1のリース契約を一方的に打ち切った。

もし、アイミーブがアメリカ企業によるアメリカ生産のBEVだったら、こうした政治の影響を受けただろう。いっぽうテスラ・ロードスターは実用品ではなく嗜好品だった。「ポルシェ911を買おうか、テスラを買おうか」という選択肢で語られる商品だった。政治がどう動こうが、もともと富裕層しか相手にしていない商品には無関係だ。




トヨタがFCEV(燃料電池電気自動車)「MIRAI」を発売したとき、筆者は「なぜレクサスのモデルとしてまずアメリカで発売しなかったのか」と、あるシンクタンクのヒアリングに対してコメントした。誰もが欲しいと憧れるブランドでなければ売れるはずがない。筆者がそう思った動機はアイミーブとテスラ・ロードスターの比較からだった。




自動車という商品は、その形がどうであれ、使っているエネルギーが何であれ、欲望の商品である。「所有しないでシェアする」という最近の若者でも、たとえばレンタカーで普通のガソリン車ではなくテスラ借りるとしたら、そこには移動具の短期的調達という目的以外に「乗ってみたい」という欲望が存在するはずだ。ユーザーの欲望が消えることはない。自動車に対する欲望が消えたらただのインフラであり、もはや利益を生む事業ではなくなる。「シロモノ(白物)化」などはまだいい。家電も欲望の対象だ。しかしインフラは違う。

そもそも官公庁や電力会社、金融機関の用途と経済産業省の政策によって商品企画がスタートしたアイミーブと、世界一速いBEVのスーパーカーを作るというコンセプトで始まったテスラとでは、出発点も着地点も異なる。そして、三菱自の親会社であるルノーがアイミーブの処遇を考えるとき、「i」が消えてアイミーブだけになった現場での採算性の悪さはまっさきに廃止妥当の要因になる。




去る9月17日に三菱自は、軽商用車ミニキャブミーブの商品改良を発表している。しばらくは生産・販売を継続するということだろう。しかしアイミーブは消える(のだろう)。政治や補助金が無理矢理に需要を創設しようと考えても、それは無理な話だ。




今年に入って欧州ではBEVが売れている。1万7000ユーロ(1ユーロ=125円換算で212.5万円)で買えるガソリン車が同じモデルのなかにあっても、3万5000ユーロ(437.5万円)のBEVが一定数売れる最大の理由は、商品バリエーションが増えたことと補助金の積み増しである。ただし欧州でも、国民ひとり当たりGDPが高額な国でなければBEVは売れない。日本とノルウェーやドイツを比べれば、いまや所得格差は驚くほどだ。日本の平均世帯年収が800万円なら、補助金をもらって小さなBEV買ってみようかいう人も出てくるだろう。アベノミクスは一部富裕層を除いた日本を均一に貧しくした。




アイミーブを振り返ると、BEV事業を黒字化するにはどうしたらよいかというテーマについて貴重な事例を残したことがわかる。そしてもうひとつ、VWが「ID.」ブランドのBEVをRRにしたように、電動車はRRに向いているのかもしれない。これは先見の明ではないか?

生産ライン上での光景。ホイールベース内の床下は電池モジュールで占拠される。2019年のVW「ID.3」も、これとほぼ同じレイアウトである。

電動モーターと減速ギヤ/デフの上に長い腕状の駆動系マウントが見える。リヤサスペンションは、いわゆるド・ディオン式。車体側のフレーム部分に向かって直立している金属棒は位置決めのジグ。このモーター/リヤサスのモジュールは100秒で搭載される。

後軸、サスペンション、モーター、その上にインバーターなど制御系というパワーパッケージのレイアウト。この構造を見る限り、アイミーブはMR(ミッドシップ後輪駆動)ではなくRRである。

ホイールベース内の床面にLiBを並べることで前後軸の荷重差が減る。大雑把に言えば、車両重量が軽く重心高が低く、ホイールベースが長いほうが駆動および制動にともなう動的な荷重移動は小さくなる。




前輪駆動の場合、加速旋回中に急にアクセルペダルを戻したとき、駆動力がなくなることによる前輪横力の増加と、荷重が前輪に移動することによる前輪横力増加〜後輪横力減少がほぼ同じタイミングで起きるから、車両が不安定になりやすい。いわゆるタックインだ。後輪駆動の場合、加速時(登坂時)には駆動輪の荷重が増し、加速旋回時のアクセル戻しの際は駆動力が減ることによる後輪横力増加と荷重移動による後輪横力減少が打ち消し合う。




床面に電池を敷く低重心BEVは、たとえばテスラがそうであるように前後軸の荷重差は小さく、前後サスペンションのロール剛性値は通常のガソリンセダンよりも近い。これで車両の前後ロール角はほぼ同じになり、接地荷重の急激な変化が起こりにくくなる。したがってタイヤ横力の変化も小さくなる。理屈ではそうだ。RRでも運転者は前輪荷重側に座るから、リヤヘビーという状態にはならない。




そして何より、前面衝突を重視する現在の法規では、車室の前にエンジンという重量物を置かないで済むことの恩恵は大きい。これらを思うと、アイミーブの引退がもし本当なら、つくづく残念でならない。同じメカを使うミニキャブミーブの商品展開に期待するしかない。

三菱自から資本を撤収したDCXは、自らもクライスラーとの仲を清算した。その後、ダイムラーはルノーにRRプラットフォームの開発を持ちかけた。これを現在、ルノー・トゥインゴとスマートが使う。もし、DCXと三菱の関係が続いていたら、間違いなく「i」がスマートになっていたはずだ。三菱自はDCXの依頼でスマート・ブランドにオランダ生産のコルトを提供し、これがスマート・フォーフォーのOEM版になった。




その直後、筆者がDCXの商品企画担当者にインタビューした際、彼はこう言っていた。


「三菱には、次もよろしく頼むな、と言ってある(笑)。RRをオランダ生産にすれば我われは助かる」




たとえそうなったとしてもDCXは分裂しただろう。しかし、ダイムラーの手元には三菱自設計のRRプラットフォームが残る。おそらく「i」の処遇は変わっていただろう。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 『さよなら』なの!? 三菱アイミーブ(i-MiEV) 「〜がなかったら」「〜だったら」i(アイ)とi-MiEV(アイミーブ)は違った境遇になったはず。「iとi-MiEVをめぐる秘話」を明かす