スーパーカーの代表格としてフェラーリ365GT4BB/512BBと双璧をなしたのが、イタリアのボローニャに本拠を構えるランボルギーニが生み出したカウンタックだった。斬新なウエッジシェイプを体現したスタイリングに大排気量V12エンジンをミッドシップ搭載したスーパースポーツは、世界中のクルマ好きを大いに魅了する。今回は、イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で“驚き”の感嘆詞を表すCountachの車名を冠し、日本ではそのルックスから “走る畳”と呼ばれたCharging Bullの高性能スポーツカーの話題で一席。



 





【Vol.2 ランボルギーニ・カウンタック】





フェラーリに対抗して市販スーパースポーツカテゴリーの覇権を握ろうとしたアウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.p.A.(Automobili Ferruccio Lamborghini S.p.A.)は、1971年開催のジュネーブ・ショーにおいて70年代に向けた新型のスーパースポーツを発表する。ミウラの実質的な後継を担う「カウンタックLP500」だ。



 



■スタイリングだけでなくメカニズムも革新的



 



LP500のプロトタイプ。ミッドシップに新開発の4971cc・V型12気筒エンジンを積む


チーフエンジニアのパオロ・スタンツァーニが開発を主導したカウンタックLP500は、パワーユニットの搭載方法が非常に凝っていた。ミッドシップに積まれるエンジンは新開発の4971cc・V型12気筒DOHC(440hp/51.0kg・m)。縦置きでの搭載、かつホイールベースの短縮を成し遂げるため、エンジンの前後を通常とは逆にセットし、前側にギアボックスを置く(前からギアボックス、クラッチ、エンジン、デフを搭載)という斬新なレイアウトを採用する。これにより、ミウラよりも短い2450mmのホイールベースを確保して旋回性を高め、同時にギアボックスに直接シフトレバーを取り付けることでダイレクトかつ剛性感の高いシフトフィールを実現した。



 



車両デザインはマルチェロ・ガンディーニ。一度見たら忘れられない、超個性的なデザインがカウンタックの身上


基本骨格については、新設計のセミモノコックに前後ダブルウィッシュボーンのサスペンションを採用する。車両デザインはカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナーであるマルチェロ・ガンディーニが担当。ウェッジを極端に利かせたアグレッシブで斬新なフォルムに、斜め前方に持ち上がるシザースドアや片側2灯式のリトラクタブル式ヘッドライトといった新パーツを組み込んだ近未来的なエクステリアは、見る者すべてをアッと言わせる革新性に満ちた造形だった。





前衛的なスタイリングに、公表最高速度300km/hという超ド級のスポーツカーは、しかしながら市販化には時間を要した。その革新的な車両レイアウトゆえに、解決すべき問題が多数発生したのだ。まずはエンジンのオーバーヒートおよび信頼性不足の対策。オーバーヒートに関しては、NACAダクトやインテークボックス、アウトレットの効果的な設置などで対応。信頼性は多くのチューンアップのノウハウを持つ既存の3929cc・V型12気筒DOHCエンジン(375hp/36.8kg・m)に換装することで対処した。次に車体。セミモノコック構造ではどうしても剛性が不足したため、バードゲージと呼ばれる角断面鋼管を複雑に組んだマルチチューブラー・タイプのシャシーに変更する。開発および製造については、ミウラなどと同様にマルケージ社が担当した。



 







1973年のジュネーブショーで市販モデルのLP400がデビューする。既存の3929cc・V型12気筒DOHCエンジン(375hp/36.8kg・m)に換装


会社本体の経営難、さらには資金不足に苦心しながらカウンタックの市販化に汗を流した開発陣の努力は、1973年開催のジュネーブ・ショーでついに陽の目を見る。生産型の「カウンタックLP400」が雛壇に上がったのだ。そして翌年の同ショーでは最終プロトタイプが公開され、間もなく販売がスタートした。



 



 



■進化を果たしながら1990年まで生産





BMWとのM1共同プロジェクトや米国MTIとの高機動車プロジェクトなどがキャンセルとなり、経営破綻に陥ってイタリア政府の管理下に置かれた1978年のランボルギーニ。その最中に開催されたジュネーブ・ショーにおいて、同社は発展型の「カウンタックLP400S」を発表する。LP400時代にカナダの石油王であるウォルター・ウルフの要請で製作された特別仕様車の「ウォルター・ウルフ・スペシャル」をイメージして生み出されたLP400Sは、FRP製のフロントバンパー一体型スポイラーや前後オーバーフェンダーなどを装着し、ホイールは14インチから15インチに拡大。タイヤサイズはフロントが205/70VR14から205/50VR15に、リアが215/70VR15から345/35VR15に変更される。シューズの履き替えに伴い、フロントのスタビライザーも強化。サスペンションアームやダンパーの取り付け位置も見直された。エンジンは扱いやすさを重視して、最高出力が375hpから353hpにダウン。ただし、公表最高速度は300km/hのままだった。



 



「ウォルター・ウルフ・スペシャル」をイメージして生み出されたLP400S。オーバーフェンダーが特徴




1980年には政府の管理下にあったランボルギーニの全株式をフランスの実業家のパトリック・ミムランが取得。新体制となったランボルギーニは、1982年開催のジュネーブ・ショーで「カウンタックLP500S」を発表する。搭載エンジンは排気量を4754ccにまで拡大したV型12気筒DOHCで、パワー&トルクは375hp/41.8kg・mを発生する。公表最高速度は現実的な数値に近い287 km/hに修正された。





1985年になると、フェラーリ・テスタロッサに対抗するべく改良した「5000 Quattro Valvole(クワトロバルボーレ)」が登場する。そのネーミングが示す通り、エンジンのヘッド機構はそれまでの2バルブから1気筒あたり吸気側2バルブ、排気側2バルブの4バルブ(計48バルブ)に刷新。さらに、ストロークを6mm伸ばして75.0mmとすることで排気量を5167ccにまで拡大する。また、プラグ配置が燃焼室の中央になったことで吸排気のレイアウトも見直され、燃料供給装置もサイドドラフトからダウンドラフトに変更。パワー&トルクは455hp/51.0kg・mにアップした。



 





ランボルギーニ社創立25周年を記念して誕生した「アニバーサリー」


1987年よりクライスラーの傘下となったランボルギーニは、創立25周年を迎える1988年になるとカウンタックをベースとする「Anniversary(アニバーサリー)」を発売する。車両デザインを担当したのは、当時ランボルギーニに在籍し、後にパガーニ・アウトモビリの代表となったオラチオ・パガーニ。パガーニは市販開始以来、大きな変更を加えなかったカウンタックのエクステリアを大胆に刷新し、新造形のバンパーやエンジンフードなどを組み込んで新鮮味をアップさせた。





カウンタック・シリーズは最終的に1990年まで販売され、生産台数は2000台ほどに達する。スーパーカーの代名詞的なモデルは意外なほどに長寿で、しかも高い人気を維持し続けた実力車だったのだ。



 



※情報は2017年8月25日時点のものです



 


情報提供元: citrus
記事名:「 【中年スーパーカー図鑑|ランボルギーニ・カウンタック】世界中から“驚き”をもって迎えられたスーパーカーの代名詞