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建築史家・倉方さんとひも解く東京。上野「東京国立博物館」周辺へ




はじめに


建築は歴史への旅でもあります。数多くの博物館・美術館が集まる上野恩賜公園から、西洋建築を日本に伝えたジョサイア・コンドル氏の物語を追う建築さんぽに出かけましょう。ずっと眺めていたくなる写真家・下村しのぶさんの写真とともに、細部の美しさをお伝えします。

Text:倉方俊輔(建築史家)

ドームが秘める緻密な内装 「東京国立博物館表慶館」


建築的に2020年は記念すべき年です。イギリスから日本にやってきた建築家、ジョサイア・コンドルが世を去って100年にあたります。彼こそが、1852年にロンドンに生まれ、1877年に来日して、本格的な西洋建築を日本に伝えた人物です。

明治政府は当時、とても多くのお金を払ってコンドルを雇い入れました。西洋の国々と対等な付き合いができる国だということを、外交や社交の舞台となる建築から示したいと考えたからです。

コンドルは来日早々その要望に応え、皇族の邸宅などを本格的な西洋のスタイルで完成させます。コンドルは皇居内に宮殿も設計しました。財政難などで実現せず、明治の終わりに現在の「迎賓館赤坂離宮」としてお目見えします。


「東京国立博物館」表慶館は、コンドルに最初の教えを受けた建築家の作品です。その名も片山東熊(かたやまとうくま)。コンドルに学び、国を洋装にする役割を継いだ人物です。

片山は赤坂離宮を建設している最中にこの表慶館を手がけました。言われてみれば、似ている。そう感じられるのではないでしょうか。どちらも左右対称の形を、一定の間隔でとりつけられた西洋風の柱型が引き締めています。外壁は白い花崗岩で、緑青色の銅板屋根がアクセントになっています。


Photo:下村しのぶ

規模でいえば、表慶館のほうが小さいですが、その分こちらの見所があります。写真は半球型のドームです。正面から見ても、中央をぐっと引き締め、堂々としています。

手を伸ばして迎え入れるような赤坂離宮に対して、表慶館は中心に目線を集め、記念碑を思わせます。それもそのはず、表慶館は1900年の皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して、計画されたものでした。国民からの寄付金を募り、1909年に日本ではじめての本格的な美術館として開館します。

皇室に関連する建築として共通性をもたせながら、表慶館は「表」された「慶」賀の「館」という名前に見合った、まとまりのあるデザインになっています。片山がよく考えて設計したことがわかります。

Photo:下村しのぶ

シンボルであるドームは、内部での体験がまた格別です。扉を開くと、明治に戻ったかのような空気に包まれます。てっぺんのガラス窓から注いだ光は、大理石の柱のつややかな肌を撫でます。

8本の柱で囲まれた床には、モザイクタイルが細かに施されています。その円形に対応したドーム天井を再び見上げれば、立体的に見えるよう影をつけて描かれた細密画が見つかります。ダイナミックなドームは、デザインとものづくりの緻密さで満たされているのです。

ドームは日本の伝統の中にはない形でした。イギリス人のコンドルが、それらの意味を語り、本格的な西洋建築の知識が、熱意を持って学習する片山や、後に東京駅の設計などで知られる辰野金吾らに伝えられていきました。同時に、コンドルは設計者でもありました。今の「東京国立博物館」本館は2代目の建物で、初代はコンドルの設計です。
西洋と日本をつなぐ建築様式「東京国立博物館本館」

西洋と日本をつなぐ建築様式「東京国立博物館本館」


1937年に完成した2代目は、ドームを持っていません。斜めにくだった屋根は、反りのある和風です。西洋から学び始めてずいぶん経って、自信をつけた日本は、西洋から伝えられた美術館というものを、あえて日本風でデザインしてみようと思ったのです。


Photo:下村しのぶ

このように日本の伝統を積極的に取り入れたデザインは、よく「帝冠様式」という言葉でまとめられます。戦争へと向かう当時の風潮と関連づけられてきました。
Photo:下村しのぶ

建物内に足を踏み入れたら、目を凝らしてみてください。唐草文様が光の中で踊っています。古代にシルクロードを経て伝来した文様です。ホールの大階段は立派ですが、中央の時計はレースを思わせる装飾をまとっています。威圧的だったり、古くさかったりというのは違う。意外に繊細で、自由な雰囲気が感じられるのではないでしょうか。

Photo:下村しのぶ

重厚さが魅力の西洋と、軽妙さが得意な日本。2つをつなぐという難しい課題に取り組んでいます。楽しんでいるような気さえします。それはこの時期だけの課題ではなさそうです。建築だけでなく、文化や芸術、全般のテーマかもしれません。そんな風にも考えさせる、今だからこそ新鮮な建築です。

東京国立博物館本館を設計したのは、コンドルの弟子の弟子にあたる建築家たちです。その祖にあたるコンドル先生の力量は、どのようなものだったのでしょうか? 上野恩賜公園を後にして、湯島に移動しましょう。

◆東京国立博物館
住所:東京都台東区上野公園13-9
電話番号:03-3822-1111

シーンに合わせた丁寧なデザイン「旧岩崎家住宅洋館」

シーンに合わせた丁寧なデザイン「旧岩崎家住宅洋館」


湯島に建つ「旧岩崎家住宅洋館」は、三菱財閥を率いた岩崎久彌(いわさきひさや)の邸宅として、1896年に完成しました。父の岩崎彌太郎が築いた事業を、叔父である岩崎彌之助から受け継いだ久彌は、コンドルに邸宅の設計を依頼しました。明治政府との雇用関係が終わった後、コンドルは三菱の技師として「三菱一号館」(1894年)などの設計を手がけていたのです。


Photo:下村しのぶ

旧岩崎家住宅洋館は、さまざまなシーンを抱えています。階段には手すりまで彫刻が施され、接客のための1階とプライベートな2階とを結びながら切り替えています。


Photo:下村しのぶ

玄関のモザイクタイルは味わいがあって、どこかロマンティック。それぞれの部屋は、目的にふさわしいインテリアで装われています。最も大胆なデザインが1階の婦人客室です。


Photo:下村しのぶ

ゴシック教会の薔薇窓を応用した天井装飾に、イスラム風のアーチを組み合わせています。
地位にふさわしい本格的な洋館です。そして、生活にしたがって発見が続くような、繊細な深みも備えています。旧岩崎家住宅洋館からは、丁寧なデザインで品格をつくるコンドルの素質が見てとれるでしょう。

◆旧岩崎家住宅洋館
住所:東京都台東区池之端1丁目3-45
電話番号:03-3823-8340

おわりに


来日した当時、コンドルはまだ24歳でした。1920年に67歳で生涯を閉じます。旧岩崎家住宅洋館はその折り返し地点、44歳の時の作品です。その後もコンドルのもとに設計の依頼が途切れることはありませんでした。建築をよく考えて、緻密につくる。そんな建築家の系譜を日本で始め、最後まで仕事の楽しみとしたのです。6月21日は彼の命日。日本の西洋建築の父に思いを馳せてみてください。
◆倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)
1971年東京都生まれ。大阪市立大学准教授。日本近現代の建築史の研究と並行して、建築の価値を社会に広く伝える活動を行なっている。著書に『東京レトロ建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『東京建築 みる・ある・かたる』(京阪神エルマガジン社)、『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)など、メディア出演に「新 美の巨人たち」「マツコの知らない世界」ほか多数。日本最大の建築公開イベントである「イケフェス大阪」実行委員、品川区で建築公開を実施する「東京建築アクセスポイント」理事などを務める。

◆下村しのぶ(しもむら・しのぶ)
北海道生まれ。写真家。ポートレート、雑貨や料理、そしてビルまで、雑誌、書籍、広告等で幅広く活躍中。著書に『おばあちゃん猫との静かな日々』(宝島社刊)、共著に『東京レトロ建築さんぽ』『東京モダン建築さんぽ』『神戸・大阪・京都レトロ建築さんぽ』(すべてエクスナレッジ刊)などがある。

『東京レトロ建築さんぽ』
1,800円/エクスナレッジ





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