日々寒さが増し、本格的な冬になってきました。明るい昼でも閉じこもりがちな季節ですが、夜はどうでしょう。春・夏・秋の夜には、それぞれの楽しみが想像できます。しかし、冬の夜に昔の人は何を見て、どのような思いで過ごしていたのでしょうか。今回は平安時代の文学で冬の夜がどのような評価を受け、和歌に詠まれていたかを中心に紹介します。


万葉集の冬の夜

万葉集で「冬の夜」という語を含む歌は一首だけです。天平元年(729)冬十二月の相聞の長歌で、笠金村という人物が班田についての出張作業の労苦から妻恋しさを詠んだ歌です。
〈……大君の 御命(みこと)かしこみ……
冬の夜の 明かしも得ぬを 眠(い)も寝ずに 我(あれ)はそ恋ふる 妹(いも)がただかに〉
天皇の仰せを恐れ多いこととして従い、寒い冬の夜を明かしかねて眠りもせず、自分は妻を恋しく思い続けていると詠んでいます。
有名な山上憶良の貧窮問答歌の初めも冬の夜の描写です。
〈風まじり 雨の降る夜の 雨まじり 雪の降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて ……〉
風雨に雪まで重なった夜が、なすすべもなく寒くて、固くなった塩を摘まみ続け、湯で溶いた酒粕をすするという、冬の夜の厳しく辛い寒さに耐える人の描写から始まっています。
こうしたリアルな庶民感覚の表現とは別に、山部赤人の叙景歌として有名な、夜更けの河原で鳴く千鳥を詠んだ歌もあります。、
〈ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる 清き河原に千鳥しば鳴く〉
この歌の季節は不明ですが、新古今集に冬の歌として入れられています。


紀貫之、鮮やかに冬の夜を詠む

夜の宴や景については、漢詩の世界では中国の六朝詩以来珍しいことではなく、日本で最も古く奈良時代に編まれた漢詩集の懐風藻にも登場します。冬の夜については、平安時代に入って三番目の勅撰漢詩集の経国集に至って詠まれていて、詩人としては白楽天の詩に学んだ菅原道真が特に注目され、「冬夜」を題にした詩も詠んでいます。
一方、和歌の世界では、ほぼ近い時期に寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)や、漢詩も堪能だった大江千里の私家集で冬の夜を詠んだ和歌が、わずかですが見られるようになります。
これらから程なく成立した古今集の冬部で、一首のみですが、
〈大空の月の光し清ければ 影見し水ぞまづこほりける〉
は、月の冴えた冷たさが、光を受けた水を凍らせたというもので、冬の夜が詠まれています。ほかに編者の一人の紀貫之が古今集編纂中に詠んだと思われる長歌の一節に、冬の夜があります。
〈……神無月 しぐれしぐれて 冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり 年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ ……〉
しかし、これは四季を詠む歌の紹介の一部として採り上げられたに過ぎません。むしろ、貫之が晩年に詠んだ次の歌が、冬の夜を詠んだ歌として特に注目されています。
〈思ひかね妹がり行けば冬の夜の 河風寒み千鳥鳴くなり〉
恋する女を離れて思うことに耐えられなくて、女の家を目指して行くと、冬の夜に河を吹き渡る風が冷たく、寂しさをそそるように千鳥が鳴いているよ、という内容です。鴨長明の「無名抄」では、「この歌ばかり面影ある類ひはなし」と思い浮かべられる情景の鮮やかさが指摘され、近代短歌革新の立場で古今集を厳しく批判した正岡子規も、「閉口致し候。この歌ばかりは趣味ある面白き歌に候」と価値を認めました。この歌は古今集からほぼ100年後の拾遺集に入っています。
そのちょうど同じころ、別に注目されるのは源氏物語ですが、これはまた後編で詳しく紹介したいと思います。


新古今集までの和歌に詠まれる冬の夜

平安時代から新古今集までの冬の夜を詠んだ和歌から、三首を紹介します。
〈月清み瀬々の網代(あじろ)に寄る氷魚(ひお)は 玉藻に冴ゆる氷なりけり〉
これは、金葉集にある「月網代を照らす」という題で源経信が詠んだものです。網代とは、冬、川の瀬に竹や木を編んで連ね、端に簀(す)をつけて魚を捕獲する仕掛けのことです。氷魚とは鮎の稚魚で、泳ぐ姿は銀色に見えます。澄み切った月の光が川に射し込み、網代に集まっている氷魚が美しい藻の間で照らされた様子を描いたもので、銀に光る小ぶりな魚を「玉藻に冴ゆる氷」と喩えた点が印象的です。
〈淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝ざめぬ須磨の関守〉
この和歌も金葉集の冬部にあり、「関路の千鳥」の題で源兼昌が詠んだ歌で、百人一首にも入っています。須磨の関所の番人が、淡路島から瀬戸内海を渡って来る千鳥の鳴く声で目覚めさせられたのは幾晩なのか、きっと数多いことだろう、という内容です。
千鳥の鳴き声は哀感を誘うとされていて、一人寂しい関守は、千鳥の声でいっそう眠れなくなるだろうと想像しているのでしょう。この歌は後編でご紹介する、源氏物語の須磨の巻の光源氏の歌(「友千鳥もろ声……頼もし」)に基づくとも言われます。それならば、千鳥に寂しさを慰められているという理解もできます。
最後は新古今集で「湖上冬月」の題で藤原家隆が詠んだものです。
〈志賀の浦や遠ざかり行く浪間より 凍りて出づる有明の月〉
琵琶湖の湖面が、冬の寒気で岸から徐々に氷を張ってゆき、そのために波は遠ざかってゆきます。深夜に上る有明の月も寒さで凍って現れるだろうと想像した歌です。湖の冬を写実的に表しつつも、誇張した月の比喩ですが、それによって情景の雰囲気を説得力あるものにしています。
紀貫之を先がけにして、寒く厳しい冬の夜の美に目覚め、それは時代が下るにつれて重んじられるようになります。
後編では、時代はさかのぼりますが、源氏物語や更級日記での冬の夜を中心に紹介します。

参照文献
冬夜の詠―平安詩歌における「夜」の展開と貫之(『平安詩歌の展開と中国文学』所収) 三木雅博 著(和泉書院)
歌ことば歌枕大辞典 久保田淳・馬場あき子 編 (角川書店)