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ダルビッシュを元教育係の「DJチャス。」が祝福「尊敬される立派な大人になってくれた」


DJチャス。(2020年撮影)

<ブレーブス1-9パドレス>◇19日(日本時間20日)◇トゥルーイスト・パーク

日米通算200勝を達成したパドレスのダルビッシュ有投手(37)に、あの“生身のゆるキャラ”からも祝福メッセージが送られた。「200勝おめでとうございます」。送り主は日本ハムの2軍本拠地、千葉・鎌ケ谷で球団職員ながら「DJチャス。」として球場を盛り上げる中原信広さん(57)だ。

ダルビッシュが日本ハム入団当時に1軍で広報を務めていた中原さんは、高卒1年目のダルビッシュがプロ初登板初先発した05年6月15日広島戦(札幌ドーム)でマークした初勝利を間近で見守った1人だ。

中原さん 今にして思えば、とても感慨深いものがあります。プロ入り初勝利の時、あの頃は(春季キャンプ中の)喫煙騒動などで世間から逆風が吹いていて、とにかくこの才能ある若者を守らなければ、と広報の自分も必死でした。

1軍デビュー5日前の05年6月10日にダルビッシュは遠征先の甲子園で1軍に合流した。当日は新幹線移動。中原さんは東京駅でダルビッシュを待ち合わせていた。

中原さん ダルは鎌ケ谷での謹慎中は、当時の寮長の菅野光夫さんに面倒を見てもらっていました。1軍合流が決まって、当時の高田GMから「ダルをよろしく頼む。もう2度と、あのようなことを起こしてほしくない」と頼まれたこともあり、その日から1年だけですが、ダルの教育係を引き受けました。待ち合わせていた東京駅で菅野寮長から教育係のバトンを受けたのですが、その際に菅野寮長がダルに言った別れの言葉が「2度と(鎌ケ谷に)戻って来るんじゃないぞ!コノヤロウ!」。こちらも身が引き締まりました。

ダルビッシュもかつてX(旧ツイッター)で当時の思い出を投稿したことがある。「1年目、1軍初合流の新横浜駅ホームでいきなり怒られたなぁ」。

中原さん 新横浜駅じゃなく東京駅だぞ、ダル! 東京駅のホームで出発を待っている時のエピソードですね。もう1人、一緒に甲子園へ移動する大物がいました。ダルと2人で新幹線ホームの待合室に腰かけていると、当時の主砲の小笠原がやってきました。私は「ガッツ(小笠原の愛称)座れよ」と言ったけど、他に待合室の席が空いていなかったので「大丈夫です」と。そんな、やりとりがしばらく続きましたが、ダルに席を譲ろうという気配がなかったので、肘で小突いて「ダル、大先輩だぞ」と一喝した時の話ですね。ダルもすぐに立ち上がって直立不動で「すいませんでした」と。素直な子だなと思いました。

その5日後にダルビッシュは本拠地の札幌ドームでプロ初勝利を挙げた。ただ、試合後のヒーローインタビュー登壇には、ちゅうちょしていたという。

中原さん それまでの過程からピッチングに何となくひ弱なイメージがありましたけど、あの逆風の中で、まだ高校を卒業したばかりのルーキーが、まるで別人のような投球でカープ打線をあわや完封まで追い込んだ姿は正直、驚かされました。チームメートはもちろん、早く北海道のファンにもダルビッシュという男を受け入れてほしいと思い、「本当に僕でいいんですか?」とお立ち台に上がるのを尻込みする彼に、「お前に上がってほしい。生まれ変わったダルビッシュという男の姿を、自分の口から北海道のファンに伝えてやってほしい」と声をかけ、送り出しました。あれから何年、たつんですかね。

プロ初勝利から19年の月日が流れ、ダルビッシュはプロ20年目にして日米通算200勝に到達した。

中原さん 日米通算200勝という大記録はもちろんですが、昨年のWBCでの彼の姿を見ながら、やはりそれ以上に1人の人間として、誰からも尊敬される立派な大人になってくれたことが自分のことのようにうれしいです。ダルの長い野球人生の中では小さな接点だったかもしれないけど、今では世界で一番尊敬するピッチャーです。

元教育係の中原さんにとっても感慨深い、ダルビッシュの偉業達成となった。

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