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「磁石を金属に近づけるとどうなる?」に答える初めての厳密な量子理論


2019年10月14日



国立大学法人 電気通信大学 情報理工学研究科基盤理工学専攻



「磁石を金属に近づけるとどうなる?」この質問自体は子供でも理解できる単純なものですが,量子論に基づいて正確に答えることは,長らく困難とされてきました.電気通信大学大学院基盤理工学専攻の伏屋雄紀准教授らは,今回この理論的困難を克服し,磁場によって量子化される固体電子のエネルギーを初めて厳密に求めることに成功しました.



発表本誌リンク:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.123.156403

伏屋 研究室:http://www.kookai.pc.uec.ac.jp/

電気通信大学情報理工学研究科 基盤理工学専攻: http://www.es.uec.ac.jp/



 磁場は物理学のみならず,自然科学において極めて基本的で重要な存在です.しかし身近な存在であるはずの磁場は,量子の世界では,未だ解明されない多くの謎を生み出す源泉でもあります.金属や半導体中の電子は,磁場によってエネルギーが量子化されます.そのこと自体は昔から知られていましたが,量子化の間隔や規則性は物質によって様々に異なり,それを正確に計算することは現代においても困難でした.

 ところが近年,固体における相対論効果※1(スピン軌道結合)が大いに注目を集め,活発に研究されるようになるにつれ,従来理論では全く対応できない問題が顕在化してきました.それを解決するために,磁場中量子化エネルギーの厳密な計算手法が求められていました.

 このたび,伏屋准教授らの研究グループは,「行列力学※2」と呼ばれる一見全く関係のない理論手法が,磁場による量子化の計算に転用できることを発見し,これを元に量子化エネルギーを厳密に計算できる手法を開発することに成功しました.さらにこの手法を用いて相対論効果の常識を覆す現象を発見し,熱電効果や超伝導など様々な分野から注目を集める,半導体PbTeにおける相対論効果の問題を解決することにも成功しました.

 今回開発された理論手法は,様々な物質に応用可能で,特に半導体や半金属の分野で問題となっている相対論効果の理解を深める,非常に有力な手がかりを与えることができます.それだけにとどまらず,本成果は強磁場量子状態を正確に予測できることから,強磁場量子物理学の未踏領域研究を強力に推進させることが期待されます.

 本研究成果は,米国物理学会が発行する学術誌で,物理学全領域を扱う速報誌 “Physical Review Letters” に2019年10月10日掲載されます.



タイトル: Nonperturbative Matrix Mechanics Approach to Spin-Split Landau Levels and the g Factor in Spin-Orbit Coupled Solids

著者: Yuki Izaki and Yuki Fuseya

掲載誌: Physical Review Letteres

公開日: 2019年10月10日

本誌リンク:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.123.156403



研究の背景

【固体のブロッホと磁場のランダウ】 金属や半導体では,電子は原子が作る周期的なポテンシャル中を運動しています.その様な電子の状態を厳密に求める理論はF. ブロッホ(ノーベル物理学賞,1952年)によって1928年に与えられました.一方,(固体中ではなく)真空中で,磁場を加えた電子の状態を厳密に求める理論は,L. D. ランダウ(ノーベル物理学賞,1962年)によって1930年に生み出されました.ほぼ同時期に生み出された二つの理論は,当時完成間もない量子力学を固体物理学に適用する嚆矢となり,その後の爆発的な固体物理研究へと繋がりました.(現代文明を支える半導体物理学はその潮流の中で生まれました.)

【ブロッホとランダウは仲が悪い!?】 しかし問題は,「固体」に「磁場」をかけた場合です.その場合は周期的な原子ポテンシャルと一様な磁場を同時に考える必要があります.素朴には,ブロッホの理論とランダウの理論を組み合わせればよいように思えますが,そう単純ではありません.ブロッホの電子状態も,ランダウの電子状態も,それぞれが全く性質の異なる波として記述されています(図1上).性質の異なる波同士は,単純に重ね合わせることができません.

【ラッティンジャーとコーンによる進展】 この問題に大きな進展をもたらしたのは,1955年のJ. M. ラッティンジャーとW. コーン(ノーベル化学賞,1988年)によるk.p理論です.彼らは,ブロッホの波動関数を改良することで,周期ポテンシャルと磁場を両立する厳密な方程式を導くことに成功しました.しかし,ラッティンジャーとコーンの方程式は非常に複雑で,(簡単化した特別な場合を除いて)一般には解くことができませんでした.

【なんとかして解く必要がある!】 現代の固体物理学では,固体電子における相対論効果(スピン軌道結合)が基礎科学のみならず実用上の利点からも大いに注目を集めています.相対論効果を最も直接的に観測する方法の一つは,磁場を加えた際に生じる量子化エネルギーのスピン分裂※3を測定することです.実際,実験的には多くの物質でスピン分裂が観測されています.その分裂幅から相対論効果を割り出せるはずですが,それにはどうしても磁場による量子化の正確な計算が必要で,それができずに研究上のボトルネックとなっていました.



研究の内容

【ハイゼンベルグの助けを借りる】 今回,猪崎氏と伏屋准教授の研究チームは,まずラッティンジャー・コーンの方程式の構造を詳しく解析し,方程式を解く鍵は「交換関係※4」と呼ばれる量子力学の根本原理にあるに違いないと,ねらいを定めました.この交換関係を破らずに方程式を解く数学手法を模索し,紆余曲折を経て,ついにW. ハイゼンベルグ(ノーベル物理学賞,1932年)による「行列力学」の手法を用いれば方程式が解けることを発見しました.それを突破口に,研究チームは磁場中の行列力学の理論を一気に推し進めました.

【新手法の威力】 完成した新しい理論手法「π-matrix法」を用いて,研究チームは最近その相対論効果が問題となっている,半導体PbTeの計算に取り組みました.PbTeは相対論効果が強い物質として知られ,磁場中の異常なスピン分裂に興味が持たれていました.しかし,実際の観測値と理論値との間に大きな隔たりがあり,どこに問題があるのかの見当もつかない状況でした.今回,π-matrix法を用いて計算した結果,これまで磁場によって変わらないと考えられてきた相対論効果が,実は磁場によって大きく変動することがわかりました(図2下).これにより実験と理論の間の隔たりが取り除かれ,全てが矛盾なく理解できるようになりました.



研究の意義

 「磁石を金属に近づけるとどうなる?」という疑問は,子供でも理解できる非常に基礎的な疑問ですが,同時に,量子力学の誕生から一世紀以上経ても解けない難問でもありました.本研究により,この固体物理学における基礎的問題を解決できる理論手法をようやく手にすることができました.この成果は,固体物理学の基盤的理解を深めることに貢献できます.また,強磁場領域における量子物理学が新しい段階へと進むことが大いに期待されます.

 π-matrix法は,非常に基本的な理論的枠組みなので,組み合わせ次第で様々な応用が可能です.例えば,物質の電子状態を高精度に計算できる第一原理計算(磁場がないときのみ計算可能)と組み合わせれば,様々な物質の磁場による量子化エネルギーを高精度に求められるようになります.これにより,近年注目を集める物質における相対論効果の理解を深化させ,省エネルギー化やデバイスの小型化,高速化に繋がることが大いに期待されます.

 



用語解説

※1 相対論効果(スピン軌道結合の効果)

電子や核子の持つスピンとその軌道運動は独立ではなく,両者の間に相互作用がはたらく.これをスピン軌道相互作用といい,これらの結合をスピン軌道結合とよぶ.スピン軌道相互作用は,量子力学と特殊相対性理論を融合させた,相対論的量子力学における電子の基本方程式(ディラック方程式)から導かれるため,相対論効果ともよばれる.単原子ポテンシャル中の相対論効果についてはよく分かっているが,固体中では,結晶構造やバンド構造の違いで相対論効果が様々に異なる.最近では,スピントロニクスやマルチフェロイクス,トポロジカル物性の分野で,固体の相対論効果に由来する新しい現象が注目され,省エネルギー化やデバイスの小型化,高速化などに繋がることも期待されている.



※2 行列力学

行列力学とは,W. ハイゼンベルグ(ノーベル物理学賞,1932年)が量子力学を開拓するために導入した理論形式で,行列を用いて量子の世界を表現する理論体系である.行列力学により,量子力学の根本原理である不確定性原理(交換関係と密接に関連)の概念が導かれた.量子力学が完成した(1930年頃)後は,数学的複雑さから,行列力学は次第に使われなくなり,現在ではほとんど見かけることはない.



※3 スピン分裂(ゼーマン分裂)

磁気モーメントを持つ電子などが磁場の中にある場合,磁気モーメントと磁場との相互作用エネルギーをゼーマンエネルギーという.この効果により磁場中の量子化エネルギーはいくつかの準位に分裂する.これをゼーマン分裂と呼ぶ.電子の場合,スピンの二つの自由度に伴って,二つの準位に分裂する.これを特にスピン分裂とよぶ.その分裂幅は相対論効果の影響で,物質毎に大きく変わる.例えばBiの場合,通常電子の500倍にもなる.



※4 交換関係

量子力学では,物理量を表す演算子AとBの積が,ABとBAとでは異なる結果になる.AB- BAの値を規定する関係式を交換関係という.磁場中の量子力学では,電子の運動量πにこの関係が表れる(これがπ-matrix法の由来).x方向の運動量πxと,y方向のπyが交換できない.これを式で表すと,次のようになる:



iは虚数で,量子力学が複素数で表されることに関係する.ℏはプランク定数と呼ばれる,量子の単位(を2πで割ったもの).eは電子の電荷で,Bは磁場(磁束密度の大きさ).



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