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「やっと1年が始まった」能登の御陣乗太鼓、打ち鳴らす復興の号令


 能登に攻め入った上杉謙信の軍勢に対する抵抗を起源とする、御陣乗(ごじんじょ)太鼓の打ち初めが3日、石川県白山市三宮町の白山比咩(しらやまひめ)神社で行われた。例年は1月2日、日本海の荒波が足元に打ちつける同県輪島市名舟町の白山神社で行われるが、今年は能登半島地震で壊滅状態に陥り、新年の響きをとどろかせられないでいた。

 1577年の上杉勢の能登侵攻時、当時の名舟の村人が樹皮製の仮面をつけ、海草を髪として鬼のような姿となり太鼓を打ち鳴らして夜襲をかけると、敵は驚いて退散したとされる。以来、荒々しいこの太鼓演奏は村の秘伝として受け継がれた。御陣乗太鼓保存会の江尻浩幸さん(63)は「やっと1年が始まり、すっきりしました。これから前に進んでいきます」と語った。

400年以上の伝統

 400年以上の伝統を誇る石川県無形民俗文化財の御陣乗太鼓は、石川県輪島市名舟町の男たちが生活を犠牲にすることもいとわずに守ってきたが、地震で地域は壊滅状態となり、これまでのように集まり、演奏することができなくなった。

 門外不出の伝統芸能で、名舟町出身の男性しか打ち手になれない。地震前の日常は過酷で、御陣乗太鼓保存会の事務局長、槌谷博之さん(57)によると、打ち手は勤務先から午後5時半ごろに帰宅すると、すぐに集まって公演のため輪島市などの旅館へ出発、午後10時過ぎにようやく帰路についていた。休日も公演や練習に追われるが、それが打つ技術や体力の維持に重要だという。槌谷さんは「太鼓を打つためにこの町にいる。約20人のメンバーも同じ気持ちで、それが御陣乗太鼓というものです」と語る。

揺らぐ保存会の今後

 しかし、地震後にメンバーのほぼ全員が金沢市などへ避難し、いつ古里へ戻れるか分からない。金沢市の企業などへの再就職を考えて悩む人もおり、太鼓の伝統を守る体制は大きく揺らいでいる。2月初めに全国的に有名な浅野太鼓楽器店(同県白山市)のスタジオを借りるなどして練習を再開したが、槌谷さんは「保存会の今後がどうなるか、本当に心配。でも、太鼓は被災した能登の人たちを元気づけられる。まずはそこをがんばらなくてはいけない」と自分に言い聞かせるように話した。

 3日には同県白山市三宮町の白山(しらやま)比咩(ひめ)神社に保存会の10人が集まり、御陣乗太鼓の打ち初めをした。槌谷さんは「ここまでくるのに応援してくれた人たちに感謝しかない。これからも伝統を守り、能登の復興に貢献していきます」と力強く語った。【戸田栄】

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