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10万人規模が何度も…沖縄の「県民大会」って何?


 那覇市で23日、政府が南西諸島で進める軍備増強に反対する「県民平和大集会」が開かれた。沖縄ではこれまでも、たくさんの人々が集まり、その時々に持ち上がった政治課題に抗議の意思を示す「県民大会」が開かれてきた。その背景には、多くの住民が犠牲になった太平洋戦争末期の沖縄戦を経て、「基地の島」となった沖縄の歴史がある。

 Q:これまでの県民大会にはどれくらいの人が集まったの?

 A:1990年代以降の約30年間を見ても、主催者発表で10万人前後が集まる県民大会がたびたび開かれています。

 今でもよく紹介されるのは1995年10月に宜野湾市であった県民総決起大会です。前月に米兵3人が小学生女児を暴行する事件が起き、約8万5000人が結集して日米地位協定の見直しや米軍基地の整理・縮小を求めました。「本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい」。当時の大田昌秀知事は壇上でそうスピーチしました。県民の怒りの声を受け、日米両政府は翌96年、市街地の真ん中にあって危険性が指摘されてきた米軍普天間飛行場の返還を発表したのですが、その条件が県内移設だったために、現在も国と沖縄県の対立が続いています。

 2007年9月には、95年の大会を超える約11万人が集まる県民大会がありました。高校日本史の教科書にあった沖縄戦を巡る記述に文部科学省から検定意見が付いたためです。住民の集団自決に「軍の強制があった」とする記述に対して「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と意見が付き、教科書各社は記述を修正・削除しました。県民大会には沖縄戦体験者らも参加し、検定意見の撤回を求めました。「うそを真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい」。高校生の代表が壇上でそう訴えました。

 12年9月には米軍輸送機オスプレイの配備に反対する県民大会に約10万人、18年8月には米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古沿岸部での埋め立て開始に反対する県民大会に約7万人が集まりました。

 Q:こういう大規模な集会って、いつごろから開かれているのかな。

 A:戦後、沖縄が米国統治下にあった頃から繰り返し開かれてきました。県民の4人に1人が犠牲になったとされる45年の沖縄戦の後、72年に日本に復帰するまでの27年間、沖縄は米国が統治し、「基地の島」になりました。住民の権利は制限され、じゅうりんされました。県民大会に多くの人々が結集して異議を申し立てるのは、強権的な統治に対する抵抗手段の一つでもあったのです。

 50年代、米国は基地建設のために住民の土地を取り上げたうえ、極めて安い使用料を一括払いする方針を示しました。住民は抗議の集会を沖縄本島各地で開き、「島ぐるみ闘争」と呼ばれました。56年7月、那覇高校グラウンドであった抗議の県民大会には約15万人が集まったといわれます。

 Q:今回の県民大会(県民平和大集会)はなぜ開かれたの?

 A:政府は近年、沖縄県の島々で新しい自衛隊の拠点を次々と開設しています。中国が軍事力を増強し、台湾などへの圧力を強めていることを念頭に、防衛体制を強化しているのです。

 16年に台湾に最も近い与那国島に陸上自衛隊の駐屯地ができたのを皮切りに、19年には宮古島、23年3月には石垣島に駐屯地が開設されました。宮古島と石垣島にはミサイル部隊が置かれ、こうした島々や沖縄本島では自衛隊と米軍の共同訓練も盛んに実施されています。これに対し、再び沖縄を戦場にしないためにも、軍事的緊張を高めるのではなく、外交で信頼関係を築くよう政府に求めようと開かれたのが今回の大会です。【西部報道部・遠藤孝康】

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