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9歳の記憶「間違いない」 救済からこぼれた女性 「黒い雨」提訴


 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」被爆者の救済対象を広げた新基準でも、被爆者と認められなかった広島県内の23人が28日、被爆者健康手帳申請の却下処分の取り消しなどを求めて広島地裁に提訴した。新基準を巡る集団訴訟は初めて。

 9歳の時の記憶は今も脳裏に焼き付いている。広島市佐伯区の女性(87)は、原爆投下後、「黒い雨」を体験した。黒い雨被爆者の救済拡大に期待し、被爆者健康手帳を市に申請したが、2023年2月に却下された。「当時の記憶は間違いない」。行政の判断に納得できず、却下処分の取り消しを求める集団提訴に加わった。

 触ると頭頂部はネバネバしていて、白いシャツは黒い油が縦に細く流れたように汚れていた――。女性の黒い雨の記憶だ。

 原爆投下時、大野西国民学校(現・広島県廿日市市立大野西小)の4年生だった。運動場で遊んでいると、空が光って「ドーン」というごう音と強風を感じ、黒い雲が立ち上ったのが見えた。

 昼過ぎに下校するよう指示され、細い山道を帰った。爆心地の南西約25キロにある家の近くに差し掛かると、顔見知りの女性から「服が汚れて、頭もぬれているよ。はよ洗いんさい」と声をかけられた。

 雨に降られた覚えはなく、「山を歩いて汚れたのかな」と思った。その女性の服も同じように黒く汚れていた。家に帰って洗っても汚れは落ちず、そのまま捨てたという。

 女性は22年3月、広島市に手帳を申請したが、23年2月に却下された。女性が黒い雨に遭った場所は、援護対象の目安となる推定降雨域から約10キロ外れていたためだ。「なんぼ『被爆した、黒い雨に遭った』と言うても、だめなものはだめなんじゃけえ」と行政に不信感を募らせる。

 女性は10年以上前にも手帳の申請を却下された。原爆投下から間もなく、母親に連れられて郊外から広島市内に入り、弟や妹と天満町(現・広島市西区)で親戚を捜したという。

 原爆投下から2週間以内に爆心地の約2キロ以内に入った人は「入市被爆者」として手帳交付の対象になる。しかし、女性が市内に入ったことを知る知人ら2人の証言の信用性が十分ではないとして、交付は認められなかった。「母も亡くなり、証人がおらんけえ。黒い雨なら証人がいらないから、今度こそもらえると思ったのに」と肩を落とす。

 腎臓を患い、約10年前には両目とも白内障の手術を受けた。最近は緑内障で左目が見えない。血圧も高く、降圧剤が手放せない。

 「生きている間に手帳をもらえるのか」。体調が芳しくない中、弁護団からは判決までに何年もかかるとの説明を受け、焦燥感は強い。それでも訴訟に加わることは一つの力になると信じている。「残された命の限り、闘い続ける」と誓った。【根本佳奈】

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