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「奥さんきっと助ける」=夫への言葉胸に強行突入―元警視庁機動隊員・あさま山荘事件50年


 過激派グループの連合赤軍による「あさま山荘事件」から50年となるのを前に、強行突入した「決死隊」の元警視庁機動隊員、仲田康喜さん(85)が取材に応じた。「奥さんをきっと助ける」。夫に掛けた言葉を胸に、仲田さんは盾で銃弾を受けながら人質の女性を無事救出した。  事件は1972年2月19日に発生。銃で武装した連合赤軍メンバー5人が長野県軽井沢町の保養所「あさま山荘」に、管理人の妻牟田泰子さんを人質に取って立てこもった。  当時、警視庁第9機動隊(9機)の小隊長だった仲田さんによると、現場には翌20日朝に到着し、山荘周辺の警備に当たった。こう着状態が続く中、発生10日目の28日、警察は大鉄球による破壊工作などの強行突入作戦を開始した。  第2機動隊(2機)の隊長が撃たれ、代わりに9機がメンバーのいる3階に突入することになった。9機隊長から「少数部隊で先に突入してほしい。長野県警が2人出すから、君の部隊も2人出してくれ」と指示され、「私と目黒(成行)巡査部長が行きます」と答えた。  発生2日目の20日朝、山荘の方を見て涙を流す牟田さんの夫に掛けた言葉が脳裏によみがえる。「奥さんはわれわれ機動隊がきっと助けるから安心してください」  28日夕、3階の非常口から入り、調理室から食堂をのぞくとメンバーらの姿はなかった。食堂に入り、奥のベッドルームにつながる廊下に出る。後続部隊も次々と入ってきた。少し進んだ先に小型冷蔵庫や家具などでバリケードが築かれていた。  突然、「ダダーン」というごう音とともに稲光のような銃撃を受けた。2枚重ねの盾を両手に持ち、隣でバリケードを取り除いていた目黒巡査部長も防御。銃撃は何十発と続き、1枚目の盾を貫通し2枚目で止まった弾もあった。  顔面が熱くなり「撃たれた」と思ったが、銃撃で破壊された壁の破片が顔に当たっていた。弾が人質に当たる恐れがあり、発砲はできなかった。  隊長から「全員突入せよ」との命令があり、真っ暗な部屋の一番奥のベッドに突進。目の前に人が見え、メンバーの一人だと思い右手を力いっぱい引き寄せた。「私は違います」と女性の声が聞こえ、顔を確認すると、写真で見た牟田さんだった。  「生きていてよかった。あなたを助けるためにわれわれは突入したんだ」と心の中で叫びながら、後ろにいた目黒巡査部長らに引き渡し、隣にいたメンバーの少年に手錠を掛けた。  仲田さんは「いつ死ぬか分からないという気持ちで任務に当たっていた」と振り返る。その上で「50年たっても殉職者や任務途中で隊長を失った2機隊員、人質だった女性らのことを考えると、やるせない気持ちになる」と心情を語った。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕連合赤軍メンバー5人が人質を取って立てこもったあさま山荘=1972年2月、長野県軽井沢町 〔写真説明〕大鉄球を使うなどした警察の突入作戦=1972年2月、長野県軽井沢町 〔写真説明〕人質救出、連合赤軍メンバー逮捕後のあさま山荘3階ベッドルーム=1972年2月、長野県軽井沢町
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