4月後半から5月初旬にかけて、国内各地で水田に水が引かれていきます。いよいよ今年も稲作の季節のはじまりです。水が張られた水田は周辺の景色を映し出し、まるで一晩に大きな湖が出現したかのよう。ありふれた村里の景観が魔法にかかったように、この世のどんな名勝にもまさる奇跡の絶景に変貌します。日本列島に暮らす人と生命の歴史はそのまま水田稲作の歴史と言っても過言ではありません。しかし、ピークだった昭和40年代ごろと比べると、今や水田は半減。もしこのまま水田が日本列島から消滅するとしたらどうなるのでしょう?

二千年の昔から先祖たちが開墾してきた水田。それは国土そのものを作る営みでした


縄文時代から続いてきた水稲栽培。この50年で半減しています

イネ科イネ属(Oryza)は世界に約20種の野生種が知られ、熱帯・亜熱帯に分布する多年草もしくは一年草です。ここから栽培種であるアジアイネ(Oryza sativa)とアフリカイネ(Oryza glaberrima)が作出、イネはコムギと並ぶ人類の二大主食源穀物として、アジアを中心に世界中で栽培されています。アジアイネはさらに耐寒性が強いジャポニカ米(Oryza sativa subsp. japonica)と雨季と乾季がはっきりした南アジアや東南アジアで栽培の盛んなインディカ米(Oryza sativa subsp. indica)に大別されます。
アジアイネ類の祖先(原種)と推測されているのが、オリザ・ルフィポゴン(Oryza rufipogon)で、インドやインドネシア、カンボジアなどの撹乱の少ない水深の深い沼沢に生育する挺水(ていすい)植物です。水中に根と茎を浸して成長し、水位が上がると沈水しないように茎を伸張させます。
こうした原種の性質を受け継ぐイネを、水を張って育てる水田栽培が考案されました。
本格的な律令国家として出発した大和王朝でも、米作りは国家経営の中枢事業と位置づけられ、日本国民の食を担ってきました。鎖国を実行した江戸時代には各藩が米の増産に勤め、水田の面積は上昇しました。昭和44(1969)年には水田面積は317万ha、収穫量は昭和42(1967)年に1,426万tに達しますが、アメリカ占領軍によるパン食推進政策で日本人の米需要は減り、1970年から国の減反政策(米の生産調整)が実施され、開発や都市化もあいまって水田面積は年々減り続けることになります。
2018(平成30)年をもって減反政策は中止されますが、現在ではピークの1960年代後半と比べて面積は半分以下の約140万haほど、収穫量も770万tほどまでに激減しています。
このまま日本人の米消費が減り、米を作る水田が減り続け、消滅してしまったらどうなるのでしょう。「別にいいじゃないか。欧米なんか水田がなくたって食べ物に困っていない。パンやパスタを食べればいい。水田をつぶして大きな公園や町を作ればいい」と思われる方もいるかもしれません。でも実はそうはいかないのです。日本列島は、水田なしにはその環境が維持できないのです。

水が張られたばかりの水田は、あのボリビアのウユニ塩湖さながらです


「ニッポン」は水田なしでは崩れ去る。そのわけとは?

日本列島は南北に細長く、中央には1,000~2,000m級の山脈・山岳が連なり、平地は狭小です。この地形に、世界平均の二倍以上の雨が注ぎ、雨は急峻な山肌をなだれ落ち、表層土を洗い流してしまうため、平坦地が多い大陸と比べて堆積土層が薄弱で、ミネラル分も不足しています。さらに、いくつもの活火山の火山灰が降り注ぐため土壌は酸性で作物栽培に適した土地ではなかったのです。
にも関わらず、日本の水田は欧米の小麦畑の1haあたりの収穫量で二倍以上(小麦の1haあたりの収穫量は平均2.3tに対し、日本の水田のコメは5t)あり、これは近現代になっての傾向ではなく、歴史がはじまって以来同じ傾向です。
水田の収穫倍率(一つの種子からどれだけの実が取れるかをあらわした数値)は、奈良時代には収穫倍率が20倍超、江戸時代には50倍、現代は130倍です。中世以来日本の農地はヨーロッパなどと比べて格段に少ないにも関わらず、一人あたり十分の一の面積で賄えるほどの生産効率を上げているのです。これは、水田がもつ魔法のような数々の仕組み、作用に起因します。
水田では水が張られていることにより、豊富に降り注ぐ雨により流される山の有機物が常時流れ込み、天然の養分となります。急峻な山岳と火山活動、それと連動した地震が頻発する日本は、雨が降るたびに山が崩れ、大量の土砂が海へと放出されていました。その流出量は世界平均の約七倍。ところが、水をたたえた田んぼが広がることで、土壌の侵食を受け止め、流出を食い止めるようになったのです。逆に言えば、水田は常に山から流れ出る有機質を含む土壌の供給を受けていることになります。土中の栄養分が融解して吸収しやすくなる上に、空気中の窒素などが水に溶け込んでイネに吸収されやすくなります。もともと酸性の土質も、水の還元作用で中性化されるのです。全国に山の斜面に開かれた棚田は日本の水田の15%ほどを占めますが、これらの棚田が防いでいる土砂流出は年間100万tを大きく超えるとの試算もあります。
雨量が多いという作物生産に有利なアドバンテージも日本列島の地形によってむしろ悪い作用になっていたのが、水田によってメリットに転じたと言えるのです。

水田の治水力、土止め機能、地下水の涵養。日本の国土は水田なしに成り立ちません


食糧生産にとどまらない!水田はこの国のあらゆる命を支えている

畑では作物には必ず連作障害(嫌地)が発生します。同じ作物を同じ畑の土で毎年育てていくと、収量ががくんと下がって収穫が見込めなくなる現象です。
大根やかぼちゃなどでは、一年で連作障害が起こります。このためヨーロッパでは伝統的に三圃(さんぼ)式農業を営み、小麦・ライ麦などの冬穀、大麦・オーツ麦・えんどう豆などの夏穀、休耕地(牧草地)とに区切り、これを連環させて使用しながら連作障害を防いでいます。
ところが、ご存知の通り日本の水田は休ませたりしません。なぜなら毎年コメ作りをしても、連作障害を起こさないからです。水を張ることにより土中は酸欠となって特定の病害虫や雑菌が繁殖するのを抑止し、また肥料や薬物なども毎年水とともにほとんど流れ落ちるので土の中に残留しないためです。言ってみれば、水田では永久にコメを作り続けることができるのです。
水田は優れた治水機能をもつとともに、地下水汚染も引き起こさないと言われます。
耕種農業や家畜飼育は周辺の地下水・水源を硝酸性窒素などの流出によって汚染します。ヨーロッパの農業・畜産業による地下水汚染は以前から問題視されています。
一方水田では底面にあたる粘土層の作土層(さくどそう)・鋤床層(すきどこそう)が窒素成分、リンや硝酸を吸着。水をろ過して地下に送り込みます。吸着された物質は、微生物が消費します。水に浸された表土は有機物が豊富で生物的脱窒作用が働いて硝酸性窒素は窒素ガスとなって空気中に還元されます。水田が供給する地下水量は年間500億t。
近年、水田の減少と都市化が進み、東京や大阪では地下水の減少と地盤沈下が顕著になってきています。

水が引かれたばかりの日本の田園は世界一の美しさではないでしょうか

田んぼがメダカやドジョウ、ナマズなどの淡水魚からタガメやゲンゴロウなどの水生昆虫、ホタルやトンボ、カエルやヘビ、さまざまな水田雑草(その中には近年大人気のヒガンバナも含まれます)など、日本列島の生物多様性に大きく寄与してきたことも特筆すべきでしょう。
今、復活のために多額の費用をかけて取り組んでいるトキ(朱鷺 Nipponia nippon)ですが、江戸時代中期の享保年間に行われた調査から、当時はトキは日本の北東北付近にのみ分布していたことがわかっています。これが江戸後期になると日本全土にまで分布を広げます。水田環境の増加が、トキの分布域を大きく広げたと考えられています。水田環境とセットとなる里山(葉山)は、スプリングエフェメラルと呼ばれる最終氷期の生き残りである早春の美しい花々を現代まで絶滅させずに残してきました。
写真家のジョニー・ハイマス(Johnny Hymas)は田んぼをsacred field=聖なる原野と呼びました。人間による「命皆がつながる楽園」の創造は、実は水田によって実現されていたのです。しかしそれは、日本列島の特殊な気候風土の上に成り立つ、人が全霊を傾けて維持しなければ崩れ去る、精妙で脆い楽園でもあります。
「日本」という国は、水田がなくなればたちまちに荒廃し、数々の天災に見舞われる不毛の土地になる可能性があるのです。
農家の高齢化や地方の疲弊など、手間のかかる水田稲作経営を継続するには困難な課題が立ちふさがっています。国が希望者に転用不可の条件で水田を貸与、一代兼業農家を募集するなど(小作農制度に戻ることには抵抗があるかもしれませんが)、水田を維持していく方法を、私たちみんなで考えていくべきなのかもしれません。

(参考・参照)
たんぼ めぐる季節の物語 ジョニー・ハイマス NTT出版
植物の世界 朝日新聞社

田んぼは日本の生態系の多様性も支えてきました

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 命めぐる究極の楽園。もしも水田が列島から消失してしまったら?