「こうした流れを見ていて、良くないことが起きると思った」とアンドレアさんはAFPに語った。「規制がどんどん増え、毎週のように新たな規則、新たな動きが生まれた」
現在はカナダ南部マニトバ州に住む夫婦は、2007年にウイグル自治区に拠点を移し、農業廃棄物を堆肥にする事業に取り組んでいた。2人は、ウイグル語と標準中国語が堪能だ。
「ウイグルでの暮らし、地元の人々との触れ合いはとても楽しかった。私たちを受け入れてくれ、コミュニティーや文化面でも歓迎された。とても特別な時間だった。そうした時間が終わりを迎えるまでは」とアンドレアさんは振り返る。
2009年にウイグルで暴動が発生した後、「それまでの居住区は解体され始め、ウイグル人はアパートに次々と移送されていった」とアンドレアさんは言う。
ウイグル文化の狙い撃ちは、ゲイリーさんの言葉を借りれば「非常に整然と」進められた。イスラム教の伝統を制限することから始まり、その後、食事や衣服、言語に関する規制へと広がっていった。また、イスラム教の聖典コーランの一部の版が禁止され、最終的にはウイグル語で書かれている書籍もすべて禁止されるようになったと夫婦は話す。
「みんなが知っている大きな市場では、ウイグル語での会話禁止という看板が掲げられているのを見た」とアンドレアさん。「ありとあらゆることが当局に指図されるようになったと言ってもいい。たとえ許可されたとしても、そのやり方が限定された」
取り締まりが強化された2016年には、警察官をより多くみるようになったと夫婦は言う。主要な交差点には検問所が、そして至る所に監視カメラが設置されるようになった。
「食料品店に入るにも、いきなり空港並みの保安検査を受けなければならなくなった」とアンドレアさんは話す。
■18歳になるのを恐れる子どもたち
その次が収容所だ。
「収容所が建てられ、数か月後にはウイグル人たちが連行されて行った。抵抗も争いも起きなかった。監視態勢が厳しく、みんな圧倒されてしまっていた」とゲイリーさんは言う。
ウイグル自治区での襲撃をきっかけに設けられた収容所について、中国政府は、イスラム過激派からウイグル人を遠ざけるための職業訓練センターだと説明している。収容所の一つは、夫婦の家のすぐ先にも建設された。有刺鉄線の付いた高さ約4.5メートルの塀に囲まれた施設には、監視カメラが設置され、見回りも行われていたとゲイリーさんは話す。
また、「(当時)15歳だった息子の友人の何人かは、もうすぐ18歳になるという年頃で、みんなおびえていた。18歳で成人となるため、今度は自分たちが収容所に連れて行かれるのではと恐れていた」と述べ、「イスラム教徒だと思われないように」喫煙や飲酒をしている自分の写真をソーシャルメディアに投稿し始める若者も増えたと説明した。
だが、どこでも監視されている状況に自分たちも慣れていったとアンドレアさんは言う。当時5歳の娘は、友達と人形で遊んでいる時に、空想で魔法の国に入る際の検問を当たり前のように取り入れていたと話す。
ビザ(査証)の規制が強化されてウイグル自治区から出て行く外国人が増える中、夫婦も2018年にウイグルを離れた。
「あまりにも規制が多くて」とゲイリーさんは言う。1200万人のウイグル人と一緒に「巨大な刑務所の中で生活しているようだった」【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2021/05/11-14:00)
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記事名:「 「巨大な刑務所の中にいるよう」 ウイグル滞在10年のカナダ人夫婦 」