「ミスター慶応」につづき、東大経済学部に在籍する、かつて『ミスター東大コンテスト』に出場し、ファイナリストとなった「(元)ミスター東大(候補)」兼「自称ユーチューバー」だという男性(24)が、自宅マンションに30代女性を連れ込んで乱暴したとして警視庁新宿署に強制性交の疑いで逮捕され、東京地検が10月5日に強制性交罪で起訴を行った。



 



「なんで東大とか慶大とか、超難関校の『ミスター有名大学』ばかりが、こうも女性絡みの不祥事を次々起こしてしまうんですかね?」



 



そんなことを昨日、とある飲みの席で、とある30代の知人女性から憤り混じりに訊ねられた。



 



「単純に確率の問題なのではないか」と、とりあえず私は回答しておいた。



 



「有名大学在学+ミスター○○」といった、いわばダブルブランドを得てしまった若い男は、女性と接する機会も急激に増えてくる。「女性と接する機会=母数」が増えれば、当然のこと、トラブルをまねく確率も比例して高くなる。ましてや「イケメン」と不特定多数から認証され、舞い上がって調子こいてる真っ直中ゆえ、その比例度は2倍にも3倍にもアップする



 



……といった理屈である。もちろん、だからと言って「レイプまがいの警察沙汰を起こしてもしょうがない…」と加害者側に同情しているわけでは決してない。女性に暴力をふるって、傷つけたり悲しませたりするヤツはどいつもコイツもクズなのは間違いない。



 



だが、これら一連の不祥事は加害者当人だけではなく、ちょっとばかり外見やファッションセンスが優れているだけの、まだ精神的に未熟なアンチャンたちをミスター云々と持ち上げ、イベントが成立したら、その時点で掛けた梯子を外してしまうような“ほったらかし状態”を黙認しているイベント主催側にも責任の一端があるのでは……と私は考える。



 



たとえば、『ミスユニバース』や『ミスインターナショナル』や『ミス日本』なんかは、受賞した女性の「受賞してから」も厳格に管理していると聞く。「ミス〜」を獲ることによって、その肩書きがなんらかの社会貢献に役立つよう、“その後”も充分な指導や育成を施すわけだ。



 



重要なのは、「賞を与えること」より「賞を与えてから」であり、それは「ミスター○○大学」も決して例外ではなく、いくら学祭の余興レベルとはいえ、受賞の瞬間から母校の名前を背負っていくのだから、“その後”の干渉は“与える側”の「義務」であり、そういった窮屈さを受け入れざるを得ないのも、また“もらう側”に課せられる「覚悟」だろう、と私は指摘したい。



 



「そこまで面倒見切れましぇん」と言うなら、大学名を冠に使ったミスターコンテストなんて、もうやめちゃったほうがいいと思う。企画・開催することによって、どんな既得権益が生まれるのかは知らないが、とくに東大や早慶クラスの全国的知名度を誇るハイブランド大学の在籍者は、“なにかをやらかしてしまったとき”の“イメージのギャップ”からくるインパクトの激しさゆえ、世論の風当たりも強くなる。「高偏差値の大学に受かった人材が倫理的な偏差値も高いとはかぎらない」といった“当たり前な事実”にメディアもネット住民も、たいがいは目をつぶるものであり、その風潮は大学側にとって、あまりに大きすぎるリスクなのではなかろうか。


情報提供元: citrus
記事名:「 ミスター慶応にミスター東大…なぜ彼らは次々と鬼畜な犯罪を起こしてしまうのか?