終戦後、アメリカ兵と結婚して渡米した日本人女性、いわゆる『戦争花嫁』は数万人とも言われていますが高齢化が進んでいます。長崎で被爆した後、海を渡った『戦争花嫁』の思いを取材しました。
 「彼(氏)は優しい人だった・・・私はやんちゃものだから」
 カリフォルニア州・ロサンゼルス郊外に住むユリコ・ケリーさん、84歳。終戦後、「戦争花嫁」としてアメリカで半世紀以上暮らしてきましたが、故郷でのあの日のことは今も忘れられません。

 「ピカッとなんか、ピカッと光が来た時に、途端に閉めてた窓が割れちゃった」(ユリコ・ケリーさん)

 1945年8月9日、アメリカ軍が長崎市に投下した原子爆弾で被爆したユリコさん。数年たってから体に異変が現れたといいます。

 「(被爆の影響か)だって髪の毛抜けちゃったもんね」(ユリコ・ケリーさん)

 それでも、家計を支えるため14歳で奉公に出たユリコさん。数年後、勤務先の佐世保市の外国人向けのバーで海軍に所属していたビルさんと出会いました。

 「(夫・ビルさんは)理解のある人というのかな・・・」(ユリコ・ケリーさん)

 25歳で結婚しましたが、渡米する直前までの数年間は身内に隠したままでした。『恥』だと思われたくなかったのです。

 「うちの母親がどういう気持ちだったか・・・でも私はずっと毎月、仕送りしていたから、彼との結婚生活ができなかったら、そういうことも、もちろんできなかったし・・・」(ユリコ・ケリーさん)

 夫にも長い間、言えなかったことがあります。自らの被爆の事実です。

 「彼に申し訳ないと思ってほしくなかった・・・戦争しちゃだめだよ・・・あまりに多くの人を亡くした・・・」(ユリコ・ケリーさん)

 夫は20年以上前に亡くしましたが、孫にもひ孫にも恵まれました。今は娘夫婦と暮らし、趣味のキルティングを楽しむ毎日です。アメリカの原爆で被爆し、そのアメリカで『戦争花嫁』として送った生涯。今では日本語よりも自然に出てくる英語で「戦争は戦争、何かを恨む気持ちはない」と話します。

 「That’s my life (これが私の人生)。自分でできるだけのことはしてきた。I am proud of it.No regret. (誇りに思っている、後悔はない)」(ユリコ・ケリーさん)(12日15:00)