他の国産3メーカーをリードする形で、1980年代前半~中盤のスズキは、各排気量帯に革新的なレーサーレプリカを矢継ぎ早に投入。その嚆矢となったのが、量産車初のアルミフレームに水冷2ストパラレルツインを搭載する、1983年型RG250Γ(ガンマ)だ。



REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)

PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)

取材協力●レッドモーター ☎03-3915-0953 http://redmotor.com/

スズキ・RG250Γ

1983年型RG250Γの新車価格は、同年にデビューした2スト250ccスポーツの中で、最も高価な46万円。ヤマハRZ250Rは39万9000円、ホンダMVX250Fは42万8000円だった。

 日本製レーサーレプリカの原点は?という問いに対する答えは人それぞれ。1980年型RZ250を挙げる人がいれば、1981年型CB1100R、1982年型Z1000Rなどを推す人もいるだろう。ベテランの中には、1959年型YDS1や1968年型DT-1こそが、と言う人がいるかもしれない。とはいえ、冒頭の言葉から多くのライダーが思い出すのは、1983年型RG250Γだと思う。スズキ初の水冷2ストパラレルツインを搭載するこのモデルは、以後のレーサーレプリカの必須事項になった、アルミフレームとGPレーサー然としたルックスを、量産車で初めて採用したのだから。逆に当時の一般的な常識で考えるなら、“そんなバイクで一般公道を走っていいの?”と感じるほど、RG250Γは突出した存在だったのである。

 RG250Γの成功で自信を持ったスズキは、以後はアルミフレーム+レーサー然としたルックスのモデルを矢継ぎ早にリリース。1984/1985年には400/750ccクラス初の本格的なレーサーレプリカとして、4スト並列4気筒のGSX-Rを世に送り出し、1985年には2ストスクエア4気筒のRG500/400Γ、1986年にはGSX-Rシリーズの長兄となる1100を発売。同時代の他の日本の3メーカーが、既存のスポーツバイクの常識からなかなか離れられなかったのに対して、スズキの手法は大胆にして過激で、時代の最先端を走っていた。



 その背景には、ホンダとヤマハの販売競争=HY戦争に巻き込まれて痛手を受けた同社が、なりふり構わない姿勢で各車の開発に臨んだという事情があったようだが、現代の視点で考えると、よくもまあ、あそこまで思い切った車種展開を行ったものである。ちなみに参考として、他の日本の他3メーカーが、250/400/750ccクラスに、本格的なレーサーレプリカをラインアップした年数を記しておくと、ホンダ:1984/1988/1988年、ヤマハ:1985/1986/1987年、カワサキ:1984/1989/1989年。各社の400ccに関しては、もう少し早かったと言えなくはないものの、当時のスズキは明らかにライバル勢をリードしていたのだ。

45ps/8500rpmの最高出力と3.8kg-m/8000rpmの最大トルクはクラストップで、131kgの乾燥重量はクラス最軽量。1984年以降はこの数値が、各社の2スト250ccレーサーレプリカの指針になった。

 前述したように、RG250Γの最大のセールスポイントは、量産車初のアルミフレームとGPレーサー然としたルックスだが、それ以外にもこのバイクは、注目するべき要素が目白押しだった。まずレースの技術を転用したフロント16インチや、ミシュランに生産を依頼した純正タイヤのA55/M55、フラットバルブタイプのキャブレター、防振ラバーを装備しないスポーティなステップ、フルフローター構造のリンク式モノショック、3000rpm以下の目盛りが存在しないレーシーなタコメーターなどは、当時のビッグバイクの基準で考えても先進的な装備である。そしてフレームと同じアルミ素材のスイングアーム、セパレートタイプのハンドル、アンチノーズダイブ機構付きφ36mmフォーク、サイレンサー別体式チャンバーなどは、同時代の250ccクラスの中では革新的なメカニズムだった。もちろん、131kgの乾燥重量と45psの最高出力は当時のクラストップで、初代RG250Γは1年間で約3万台が生産される、爆発的なヒットモデルになったのである。

水冷2ストパラレルツインの吸入方式は、ピストンバルブとケースリードバルブを組み合わせた、スズキ独自のパワーリードバルブ。排気デバイスのSAEC:スズキ・オートマチック・エグゾースト・コントロールを導入したのは、1985年の3型から。

 でもそんな初代Γに対して、近年の世間は何となく冷たい。ここ最近の中古車市場では、1980~90年代のレーサーレプリカが大人気だというのに、RG250Γの価格はライバル勢ほど高騰していないし、2輪業界の友人知人とレーサーレプリカの話をした際に、車名が頻繁に登場するのは初代TZR250やNSR250Rシリーズなどで、Γに影響を受けたとか、Γでライテクを学んだなんていう話はあまり聞いたことがない。もちろん世の中には、パラレルツインΓのマニアが少なからず存在するけれど、レーサーレプリカの先駆車だった事実を考えると、現在のRG250Γのポジションはどうにも不憫である。その状況を不思議に感じた僕は、業界の大先輩にして、1980年代前半をリアルタイムで体感している2ストマニアの後藤武さんに、RG250Γの話を聞いてみることにした。



「パラツインΓの初代は相当に売れたけど、峠道やサーキットで大人気だったかと言うと、そこまでではなかったよ。一番の理由は、見た目ほど速くなかったから。スペックはクラストップでも、実際の運動性能は、同時期に登場したYPVS付きのRZ250R(43ps/145kg)のほうが上だったからね。しかもRZ-Rには、先代のRZ時代からいろいろなチューナーがいて、アフターマーケットパーツが豊富で、市販レーサーTZの技術やパーツが使えたけど、Γはそういう基盤が整っていなかった。Γで有名なチューナーは、菅家さんと久保さんくらいでしょ。さらに言うなら、価格がRZ-Rより6万円ほど高かったことも、峠道やサーキットに集まるライダーから、Γが支持を得られなかった理由かな。いずれにしてもΓは、RZやRZ-Rで速さを追求していたライダーが、これはすぐに乗り換えなきゃ‼、っていう気分になるバイクではなかったんだ。もっとも、デビューと同時に他車からの乗り換えが続発した2ストレーサーレプリカなんて、俺が知る限りでは、初代TZRと88NSRくらいだけど」

 この話を聞いた僕は、なるほど、そういうものかと思ったものの、だからと言って自分の中でRG250Γの株が落ちることはなかった。何と言っても1983年にRG250Γが登場していなければ、後藤さんの話に出て来たTZRやNSR、最近になってリフレッシュプランと部品の再生産で話題になっているVFR750R/RC30なども含めて、以後のレーサーレプリカは登場しなかったかも……しれないのだから。もちろん、当時の日本のレースシーンの盛り上がりを考えれば、他3メーカーのいずれかが本格的なレーサーレプリカに着手した可能性はあるけれど、1980年代前半~中盤のホンダ/ヤマハ/カワサキが、当時のスズキほど思い切った車種展開が行えたかと言うと、僕にはその絵柄がなかなか想像できないのである。

高めのハンドルと分厚いシートは何となく牧歌的な雰囲気だが、量産車初のアルミフレームとGPレーサー然としたルックスを採用したRG250Γは、デビュー当初は超が付くほど過激なモデルだった。

車名:RG250Γ

型式:GJ21A

全長×全幅×全高:2050mm×685mm×1195mm

軸間距離:1385mm

最低地上高:155mm

シート高:785mm

キャスター/トレール:28°45′/102mm

エンジン種類/弁方式:水冷2ストローク並列4気筒

弁形式:パワーリードバルブ

総排気量:247cc

内径×行程:54.0mm×54.0mm

圧縮比:7.5:1

最高出力:45PS/8500rpm

最大トルク:3.8kgf・m/8000rpm

始動方式:キック

点火方式:CDI

潤滑方式:分離給油式

燃料供給方式:ミクニVM28SSキャブレター

トランスミッション形式:常時噛合式6段リターン

クラッチ形式:湿式多板

ギヤ・レシオ

 1速:2.500

 2速:1.625

 3速:1.210

 4速:1.000

 5速:0.853

 6速:0.782

1・2次減速比:3.100・2.642

フレーム形式:ダブルクレードル

懸架方式前:テレスコピック正立式φ36mm

懸架方式後:スイングアーム フルフローター式

タイヤサイズ前後:100/90-16 100/90-18

ホイールサイズ前後:2.15×16 2.15×18

ブレーキ形式前:油圧式ダブルディスク

ブレーキ形式後:油圧式シングルディスク

最小回転半径:3.2m

乾燥重量:131kg

燃料タンク容量:17L

オイルタンク容量:1.2L

新車価格:46万円(1983年)

情報提供元:MotorFan
記事名:「 スズキ・RG250Γ。これ抜きに、80年代レーサーレプリカブームは語れない|旧車探訪記3-①