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デザインレポート:フェラーリ・ローマはもっともスーツが似合うフェラーリ フェラーリ・ローマの美意識を探求する


久々のエレガントなスタイルで登場したのが、フェラーリ・ローマだ。ここのところのフェラーリはかなり挑戦的な形のモデルが多かったが、ローマは実に優美さを湛えたモデルといえそうだ。ここでは、そのポイントについてレポートしていきたい。

ポルトフィーノのクーペ版として登場

 何にしてもまず、この“ローマ”というネーミングが見事だ。これまで使われていなかったのが不思議なほどで、古(いにしえ)の華やかさを感じさせる。日本でいえばトウキョウと名付けているようなものだが、“東京”というイメージはあまりに事務的で誰もが思うベクトルが単一的。多岐にわたる懐の深さを感じさせるものとは違い、なかなかメッセージを持たない都市名なのだなと改めて思う。


 ローマは古代の帝国時代には世界最大の超近代都市を誇ったが、1960〜70年代の繁栄も忘れられないところ。対する東京は江戸も含めて、多くの文化をうみ多くの事件や問題を解決したドラマチックな都市なのだが、残念ながら多くの日本人の心にその歴史のロマンが浸透しなかった、ということなのかもしれない。

左右のフェンダートップにラインを走らせて、シャープさをプラス。豊かなフェンダーに、ファットさを感じさせない。

 フェラーリ・ローマの発表にあたり1960年の映画 ”La Dolce Vita”(ドルチェヴィータ=甘い生活)になぞらえるのも、往年のローマの華美な時代のイメージがデザイナーに大きなインスピレーションを与えたことを意味している。


 このローマは、カリフォルニアから始まりポルトフィーノに至るクーペコンバーチブルモデルをベースとした、クーペモデル。コンバーチブルの機構を持たないことで、軽量化も実現できた。

812スーパーファスト。V12エンジンを搭載するトップエンドのFR2座スポーツ。
GTC4ルッソT。V12エンジン搭載。FRのメリットを活かした2+2シューティングブレーク。

 FRのV8モデルとして4656mmの全長をもつ。ちなみにトップエンドのFR / V12モデルは、2座の812スーパーファストが4657mm、2+2のGTC4ルッソが4922mm。これらと比較しても、2+2ながら短い全長となっているのがローマだ。それは当然ながら、片バンク4気筒を組み合わせたV8エンジンを搭載するからでもある。

10年にして自社デザインの方向性が明確化

 ところで、フェラーリといえばデザインはピニンファリーナというのが定番だったのだが、いまはその流れと決別。このことを、より鮮明にしたのが2010年。それまで明確なデザイン部門を持たなかったフェラーリが、社内にチェントロ・スティーレ(スタイル・センター=デザイン・センター)を設立したことだった。


 デザイン部門を内部に構築した最大の理由が「芸術と科学を融合させるため」とのこと。デザイナーが技術者とともに作業をすることで、高いレベルのシナジーを発揮することにあった。


 確かに現代では、デザインのアウトソーシングはメーカーが抱える問題になる場合もある。カロッツェリアのデザイン的センスやポテンシャルは高く評価できるものの、各自動車メーカーの持つ新技術との融合や、新技術を前提とした開発にはやや遅れを取ってしまう傾向がある。このことがカロッツェリアの衰退や、業態の方向転換にも大きく関係している。


 この傾向は、フェラーリがデザイン部門を設立する以前より世界的に起こっており、カロッツェリアのとあるデザイナーは「我々はスパーリングの相手をさせられているだけ」と語る者もいた。


 カロッツェリアをデザインコンペに招きながらも、その狙いはピニンファリーナやイタルデザインは今回のテーマに対してどんな形を造ってくるのか? の検討のためであったということもあった。つまりヨーロッパの名門がどのようなデザインを出してくるのかを調査する一環であり、その対向として自社デザインをどうするかを決める材料としていることもあったというのだ。このことも裏返せば、総合的に見てデザインは社内で行なうのが理想的との観点が見えるようにも思う。

V12エンジンのFRレイアウトで2+2とした、612スカリエッティはピニンファリーナによるデザイン。当時のピニンファリーナ、デザイン部長は奥山清行氏。

技術的課題を共有できるインハウスデザイン

 空力性能や軽量化だけでなく、デザイン上の構造に関わる問題をも技術によって改善できる課題は多くなってきている。また、技術からの性能上でのアプローチも無視できない。


 その中で外部のデザインオフィスに委託することで、ベストのデザインを効率よく作りあげられるかというと、必ずしもうまくは行かない。技術的秘匿の問題を常にクリアしなければならないし、今生まれつつある技術を利用したり、新たな技術の開発を要求したりということは、雇われているデザインオフィスとしてはやりにくいという事情もある。そんな観点からも、他に例を見ないほどに濃密な関係にあったピニンファリーナとでさえも離別を決め、考え方を新たにデザインと技術が対等の関係で高め合えるという立場を取ったということだ。しかしこれによって、ピニンファリーナは独自の自動車メーカーブランドを立ち上げるなど、大きく舵を切り始めたのも事実だ。

F8トリビュートで見せた新たなミッドシップスタイル

左)ミッドシップレイアウトのF8トリビュート。これからのフェラーリデザインの一翼を担う形。上)ミッドシップにSF90ストラダーレ。濃密で高効率のパッケージとともに、攻撃的な造形が最先端イメージを創出。

 インハウスの新たなフェラーリデザインの構築から、今後の方向性の一つを示す形が2019年に登場したF8トリビュートだという。彼らはこのデザインについて、“破壊的”や“極端”といったワードも用いる。そしてさらにSF90ストラダーレの登場によって、ミッドシップによるキャビンフォワードの新たなスタイルを示したという。


 そのデザインは、レーシングカーと宇宙船の中間に位置するものとのこと。ちょっと概念的でもありわかりにくいが、新たなトレンドとして、キャビンの先端を航空機のコックピットのように小さくしてキャビンフォワードの造形により特化したのも特徴のひとつだ。その凝縮感や攻撃的といえるスタイルは、フェラーリ史上でも随一だろう。

対するFRフェラーリの新たな方向性

リヤ周りを絞り込んで、キュートさも演出するローマ。

 そして登場したローマ。


 しかし、こちらはF8トリビュートなどとはまったく対角にある存在だ。ローマのベースとなるポルトフィーノも、デザイン的にはF8トリビュートなどと同一の流れと見ることができる。このことから、ローマによって大きな方向性の転換を行なってきた。


 この辺り、デザイン担当役員であるフラビオ・マンゾーニ氏によれば、今後も両車の中間に当たるデザインを採用するモデルは登場しないとのこと。この両極端の2つの方向性がこれからも共存するということだ。

上)1968年撮影のフェラーリ365GTB/4(デイトナ)。 左)1959年撮影のフェラーリ250GTベルリネッタ。

 その優美な面構成は、不要なラインを極力排除したもので、できるだけシンプルに美しい抑揚によって実現された形といえる。これはかつての様々なカロッツェリアによって多くの解釈のなされた250GT系やデイトナなどを彷彿させるが、最大の特徴はそれが決して古臭い造形ではないということだ。


 ここにこそフェラーリデザインも注力したというが、結果として生み出された造形が普遍の美であることの証かもしれない。

ローマ的デザインの登場を予感させたモンツァSP1 / SP2

2018年のジュネーブショーで発表されたモンツァSP1。

こちらが2シーターのモンツァSP2。

 実は、この流れは2018年のジュネーブショーに出品されたモンツァSP1とSP2に表現されていると思う。40年代末から50年代のモデル166MMや750モンツァ、860モンツァにインスピレーションを得たモデルということだが、ローマ以上にロマンティックな装いに感じる。


 その本質にあるのは、人間のDNAにも訴えかけるような造形美なのだと思う。続くローマのスポーティでありながら滑らかなスタイルは、現在のフェラーリ・ラインナップの中で最もスーツの似合うモデルといえるだろう。この優美なボディは、サーキットやスポ魂といったスタンスを一切感じさせないのだ。

フェラーリ750モンツァ。その美しさがまったく衰えないのはなぜだろうか。

 やはりここにこそ、イタリア人の美意識のひとつにある“ビーナス像”を感じずにはいられない。


 整理されたデザインの極致として“機能美”を表現するモデルは少なくないが、とりわけ人の骨格と筋肉に着目することが機能美に通じることもある。しかしそれだけでは伝わらない“情感”の表現がその先にあると思う。


 必要なものを削ぎ落とした体脂肪の極めて低い形がアスリートの姿なのだが、モンツァSP1/SP2やローマは必ずしも機能美だけに収まらない。


 そこには骨と筋肉を取り囲む、肉体や脂肪の存在が感じられる。この筋肉と骨を取り囲む肉体は、人にとってはプロテクトや、保温などの機能を持つが、さらには、そのスキンにこそ愛らしさ、温もり、そしてセクシャルな印象を抱かせることも欠かせない事実だ。


 “人間”という、未だ解明されていない創造物の探求は様々な分野で行なわれる。その中でも美の創造物としての“人間”を追求することによって見えてくるものは、人の直感的な感情につながるのだろう。


 このローマを理解するには“肉体とは何なのか”といった、時に哲学的な探求までをも必要とすることなのかもしれない。そこから見えてきた形、それがローマの造形であったのではないかと思える。

ローマのなかに感じる違和感

左上)ボディと同一化されたフロントグリル。右上)中央にデイライトを配したヘッドライト。左)ツインテールの新たな解釈となるリヤコンビランプ。

 とはいえ、ローマにも人によっては「あれ?」と感じさせる要素もなくはないと思う。


 ボディと同質化されたフロントグリルのあり方や、伝統のツインテールランプの新たな解釈。唐突とも思えるヘッドライトの造形とデイライトの在り方などだろう。


 さらに造形的いうならば、フロントフェンダー後端とフロントピラーの付け根あたりに広がる造形が、やや滑らかさを欠くと感じる人もいるかもしれない。フロントカウルからの流れと、フロントタイヤを抱くフェンダーの合流点となる部分だ。

細かいかもしれないが、このフロントピラーの付け根あたりの面の合流が気になる。

 ミッドシップモデルであればフロントタイヤがドライバーに近くなり、きれいな面で流すことができる部分だが、フェラーリのFRモデルではこれまでもなかなか解決が難しい部分となっている。フロントタイヤがかなり前方にあることや、エンジンの高さ、ドアヒンジの位置やピラーの付け根など動かせないハードポイントの問題もあって、なかなか流麗さを極めにくい条件が揃ってしまっている。


 ちなみにポルトフィーノでは、フロントからの鋭いエッジを通しきることで解決。812スーパーファストでは、フェンダーラインとフロントカウルを全く別の面と解釈し分離している。その関連付けとして、フロントカウル上の左右のエアアウトレットを強い起点として、フェンダーと同化させているのも興味深い。

左)812スーパーファストは、カウル中央からの流れとフェンダーを合わせて、ピラー付け根の面と分離している。 上)ポルトフィーノはフェンダーからの鋭いラインを通し切って、フロントピラーの付け根と関連させない形。
モンツァSP1。キャビンとフェンダーの間に余裕があることもあり、滑らかな面が構成できている。

 直近のモデルでは唯一美しく解決できているのが、モンツァSP1とSP2だろう。キャビンの前方部分がコンパクトなことによって、フロントカウルからフロントフェンダー後端への合流する面を緩やかにコントロールすることができた。しかしこれは、キャビンやフロントウインドウを極めて小さいものとして割り切ることができたからこそ可能な造形でもあった。

完璧がベストなのか? 人間的な意図がさらに愛おしさを増す

ローマの登場によって、フェラーリの新たなそして伝統的な世界が見えてくる。

 しかし、ちょっとした個人的な疑問なのだが、本当に“完璧なものにこそ美の極地が存在するのだろうか?”との思いもある。


 “チャーミング”、“愛らしい”という表現や、“愛おしい”という言葉の中には、危うげさであったり、脆(もろ)さやこわれやすさ、不完全な部分をも含むと感じるのは自分だけではないだろう。その造形は単に見え方に由来するだけではない。人の表情や言動であったり、それぞれの考え方からその人への“愛おしさ”が生まれる。


 車にしてもすべての造形は人が作ったものに間違いなく、それぞれの造形に対する考えや決断、議論がこの形を生んでいる。不変の美だけでなく、人の強い意図が生む形に危うげさや、脆さを持つとき、それがさらなる愛おしさを芽生えさせるのではないだろうか。


 そうしたデザイナーの意図や企みは、車をじっくりと見ることによって見えてくる場合もある。いろいろな光の中や、あるいは暗闇で見たり、雨滴のかぶる中、泥水を浴びた状態。さらには、嬉しい時、悲しい時。見る者の感情によっても見え方は変わってくる。ローマとその作り手が語りかけてくる多くのメッセージを理解するには、そんな長い時間が必要なのだろう。その時の連なりこそがまさに、ドルチェヴィータの意味するところなのかもしれない。

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