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働き方改革? 残業は悪か【牧野茂雄の自動車業界鳥瞰図】


厚生労働省が9月29日に発表した2017年版の「労働経済の分析(労働経済白書)」は、労働時間の短縮が進まない日本の現状と社員採用時に個人の専門性を重視していない採用構造などを指摘している。政府が進める「働き方改革」は残業時間の短縮と有給休暇取得率の向上が狙いだが、それが本当に必須なのだろうか。


TEXT◎牧野茂雄

1982年から自動車産業を取材してきた私にとって、「働き方」を考えるうえでの忘れられない事例はいくつもある。私のキャリアの最初の十数年はとくにそうだった。いくつかを紹介しておきたい。




まず、初めてCE(チーフエンジニア)へのインタビューを担当したときのことだ。84年である。トヨタのCEは「やっと家でゆっくりできます」と仰った。「私だけではなく、チームの大半がそうですよ」と。発売間近の新型車をテストコースで試験する。走行は夜遅くまで続く。家に帰る時間がもったいないから、テストコース内の事務所やガレージで寝る。帰ったことにしておいて、タイムカードは適当な時間に打刻する。車両整備は夜通し続き、つねに誰かがガレージで寝ていた。どうぞお帰りくださいという部下を残して、自分だけ家に帰るのは気が引けた。それ以上に、私にも書類仕事が山のようにありました。そんなお話だった。




「アメリカやヨーロッパに追いつきたい。追いつくまでは仕事第一です。アメリカのことをとやかく言う日本人が多いけれど、クルマづくりにかけては確実に先輩であり、正直、負けているところがいくつもあります。家族には申し訳ないが、理解はしてくれています」そのCEとともに同じモデルを担当したある技術者氏はこう言った。多くの技術者氏が同じだった。日本の自動車産業は日々の残業が支えたといっても過言ではない。対米輸出が絶好調でも現場は満足していなかった。やらなければならないことを技術者諸氏が率先して見つけていた時代だった。




ふたつめは韓国の例。起亜自動車の新車発表会に招かれたときのことだ。97年通貨危機の前だったから新車発表会は盛大で豪華だった。ソウルのヒルトンホテルに泊まり、技術者の皆さんと大いに飲んだ。翌日は工場取材に出かけたが、生産ラインは初期トラブルの対策に追われていた。車体のあちこちにチョークで「×」印が書かれたクルマが工場内の通路にもあふれていた。


「大変だな、頑張ってくれよ」




私を案内してくれたのはCE補佐役2名のうちのひとりだった。訊けば、その人も半年くらいまともに家に帰っていないと言う。「いまは私よりも工場が主役です。彼らも大変な思いで仕事をしています」とCE補佐。昼食に合わせて生産技術担当の方を呼んでいただき、私はいろいろと質問したが、その人も「2週間くらい工場に泊まっている」と言っていた。




韓国の自動車産業は日本より後発だったが、ヒュンダイは三菱自動車、起亜はマツダ、大宇はGMが、それぞれ育てた。韓国に駐在して技術指導していた日本人技術者諸氏からは「ここをこう改良した方がいい、と伝えると、次の日には図面も実物もできている。これでいいですか、と尋ねられます。寝ずに仕事をしているのですよ」と何度も聞かされた。




規定どおりの残業代を会社が支払っていたかどうかは定かでないが、それ以前に「技術面で自立したい」という思いが韓国の技術者諸氏にはあった。取材で親しくなった人たちとはたまに酒を飲んだが、酔うと本音が出る。「そのうち、我われは日本を抜いてみせる」と。同時にしつこく尋ねられた。「牧野さん、私たちはあと何年くらいで日本と対等な立場になれると思いますか」と。




3つめはGM。故ロジャー・ステンペル氏が副社長だった1988年だ。日本からの取材陣を副社長自ら迎え、夕食会も開いてくれた。そこでいろいろと話を聞いた。メモを取りながら食事をしている我われに向かってGM広報部のマネージャー氏は「どうぞみなさん、食事を楽しんでください。あとで要約をお配りします」と言った。いまの時代なら小型のICレコーダーがきれいにデジタル録音してくれるが、当時はカセットテープだった。さすがにテーブルの上にレコーダーを並べるのは失礼と思い、我われはメモを取っていた。




翌朝、広報部のマネージャーが和訳付きの英文を配ってくれた。


「今朝、社長の了解は取ってあります。記事にしていただいて結構です」とマネージャー氏。食事のあと、我われはホテルのバーで二次会を楽しみ、そのあと対岸のカナダまで遊びに出た。ホテルに帰ったのは日付が変わるころだった。GMの広報マネージャー氏はずっと一緒だった。「いつ、こんな書類を作って、朝一番で社長の了解を取ったのか」と尋ねると、「私と彼で仕上げました。社長には私が見せに行き、彼はすでに工場へ行っています。みなさんの到着を待っていますよ」と答えてくれた。彼とは、我われの取材のすべてをアレンジして同行してくれていた、私と同じ年の若者だった。




マネージャー氏は1時間ほどうとうとしただけだと言った。そのとき私は「アメリカ人は働かないなんて日本では言われていますが、ウソですね」とマネージャー氏に言った。若者のほうは一睡もしていない。マネージャー氏はポンと私の肩を叩き、こう言った。「だからいまの肩書きがあるのですよ」。




工場へ行くと、「ホワイトカラーは絶対に生産現場に行かない」ということがまったくウソだとわかった。作業着を着てヘルメットをかぶった設計部門の技術者がいた。名刺交換するとボディ設計部門だった。その夜、工場で会った人たちと夕食をとった。その場で私は「日本で言われているアメリカの会社の姿というのは誤解だらけです」と発言した。すると、技術者のひとりが


「日本人が仕事をし過ぎるから、我われも巻き込まれている」と言った。(以下次ページへ続く)

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