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「オカルト」ってなんだ?夏だからこそ考えるオカルトが存在する意味とは?


旧暦の7月13日から16日は盂蘭盆会でした。現代では新暦のその日付をお盆とする地域と、一か月遅れの8月を月遅れ盆として行う地域、旧暦通りの日取りで行う地域とに分かれますが、「夏」が死者、祖霊と親しく交わる時期であることは今も昔も変わりません。

今回は、知ってるようで知らない「オカルト」の本当の意味と歴史について掘り下げてみます。

小さな焙烙皿で燃える火は、人類が大切にしてきた「見えないもの」との絆です

小さな焙烙皿で燃える火は、人類が大切にしてきた「見えないもの」との絆です


もしもオカルトなかりせば……?

「オカルト」というと一般的には心霊現象や怪談、ホラーなど、人に恐怖を与える怪異現象のことや、それに加えて超能力や未確認モンスター、UFOなどの「非科学的」とアカデミズムから否定されている超常現象全般を含めたジャンルを指し、通常そのような意味で使われています。また、たとえば最近のSNSなどの言論空間では、科学的に根拠の乏しい民間療法や、ある種の稚拙な政治的・社会的信念に対して烙印を押す、ネガティブな言葉としても使用されています。

しかし本来は、オカルト(occult)は、ラテン語の「隠されたもの、秘密」を意味するoccultus、古イタリア語の occulō を語源としています。つまりオカルトとは人間の感覚や思考が感知、認知し得ない、あるいはまだ認知する術を得ていないがゆえに知ることができず隠されているもの、を意味します。そしてそれを探求することをオカルティズムと言います。「世界の隠された秘密を追求する(解き明かす)」ことがオカルトの意味なのです。

たとえば人は死んだ後にどうなるのか、死後の世界というものがあるのか、死んだら終わりなのか、ずっと想像し続けてきました。科学的な主張なら、そんなものはない(あるとは証明できない)、と言うでしょう。

にもかかわらず、どれほど建前では科学への信頼や合理性を唱えていても、私たちはお盆には焙烙皿におがらで迎え火を焚き、精霊棚を整え、線香をあげ、送り火をします。もちろん、現代ではより簡素化されてきたとはいえ、それでもお盆だからと何もしないということは、まずないでしょう。亡くなった人には自然と手を合わせ花を供えますし、寺社でも手を合わせて祈ります。
目に見えないもの、あるはずもないものを無視できないし、つながりを求める心を捨て去ることはできないのです。

現代人がつい頼ってしまう占いも、元をたどれば古代の賢人に行きつきます

現代人がつい頼ってしまう占いも、元をたどれば古代の賢人に行きつきます


歴代オカルティストは何を探求したのか

「オカルト」の歴史を紐解けば、幾何数学の祖とされるピタゴラス(Pythagoras)は、古代の秘密教団の教祖であり、現代でも占いに使われる数秘術の生みの親。ヘレニズム時代(B.C3世紀~1世紀)にヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistus)によってあらわされたとされるヘルメス文書に解かれた錬金術は、後の化学の基礎となっています。
18世紀、かの不可知主義者 (人間が知ることのできる物事には限りがあり、世界の全てを認識することはできないという考え方) の代表とでも言うべき哲学者カントにも一目置かれた大神秘思想家エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg)は、後のゲーテやノヴァーリスなどの文学者、美術家に大きな影響を与えています。
人類は常に「世界の隠された秘密」について探求し、その封じられた秘密の扉をこじ開けようと努力してきたのです。

そして産業革命以降、物質文明が拡大する中でも、19世紀には一大心霊ブーム、新たなオカルティズムのブームが到来します。イギリスでは、フリーメイソンリーの結社の一つである薔薇十字団から組織の刷新を図った黄金の夜明け団(Hermetic Order of the Golden Dawn)の活動を通じて、アレイスター・クロウリー、ダイアン・フォーチュンら、「近代魔術」と呼ばれる著名な魔術師、神秘思想家が輩出され、後の占星術やタロット占い、ハードロックなどの若者文化などに発展します。

一方、アメリカでは、H.S.オルコット(Henry Steel Olcott)と霊媒のH.P.ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky)を中心に立ち上げた神智学協会が、それ以降精神分析などの心理学と結びついて、ニューエイジの社会改革や人格形成の機運へとつながっていきます。
神智学協会のごたごたの中で救世主扱いされた思弁的神秘主義のジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)、中央ヨーロッパではキリスト教の立場から神智学から分離独立し、現代では緑の党などの政治活動や農業、教育などと発展している人智学協会を立ち上げたルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)などの神秘思想家も登場し、現代にあってもオカルティズムは人間の営み全てと絡み合い、決して消し去られることはありません。

その探求の根源には「人間は/世界は/私はなぜ存在しているのか。人間は/世界は/私はどこから来たのか。どこへ行くのか」ということです。

エレウシス・デーメーテル神殿遺跡。二千年間も秘儀参入の儀式が行われました

エレウシス・デーメーテル神殿遺跡。二千年間も秘儀参入の儀式が行われました


長く受け継がれた太古の密儀・エレウシスの秘儀。その隠された意味とは

ギリシャの首都アテネから北西の近郊都市エレウシス(現在のエレフシナ)は、古代、紀元前1,500年のミケーネ文明期(叙事詩イーリアスで語られるトロイア戦争の時代)から、ローマ帝国がキリスト教を国教とするまでの約2,000年の長きにわたり行われてきた秘儀参入の儀式・エレウシスの秘儀(Ελευσίνια Μυστήρια Eleusinian Mysteries)が行われてきた地です。

エレウシスの秘儀とは、大地と穀産の女神デーメーテル(メーテルはギリシャ語で母の意味なので、ギリシャ文明圏における大地母神とされます)とその娘神にして禾穀の種子の象徴でもある処女神コレー(ぺルセボネー、あるいはペルセパッタともされる姫神)の神話に基づく秘蹟の通過儀礼であり、参加者はその内容について絶対に漏らしてはならないとされていました。神話のあらましはこうです。


その昔、コレーは冥府の神プルートーン(ハーデス)に見初められました。しかしデーメーテルに拒まれ、プルートーンはゼウスと謀議の末、強引に地下へとコレーを連れ去ってしまいます。デーメーテルは娘を探して松明を手に地上をさまよい続け、太陽神ヘリオスから、娘の居場所は冥府であると告げ知らされると、激しく絶望し、放浪の身となります。
あるとき、エレウシスの領主ケレオスの館に逗留することになりました。ケレオスの妻メタネイラには晩(おそ)く生まれた一人の男の子デーモポーンがあり、妻はデーメーテルに、相手が女神とは知らぬまま、子の養育を依頼します。女神に寵愛されたデーモポーンはみるみる常人とは思えない成長を遂げていきます。デーメーテルは、デーモポーンの肌に毎日不死の軟膏アムブロシアーをすりこみ、夜になるとなぜか熱い火種の中にデーモポーンを埋め込んでいたのです。
しかしある晩、その所業をメタネイラにのぞき見られてしまいます。驚きのあまり声を上げたメタネイラにデーメーテルは怒り、真の姿をあらわにして、「お前がはしたないのぞき見をしなければ、この子は不死の身となったであろう。私がこの子に授けようとしたことを知りたければ、社殿を築き私を祀れ。その社殿で私自らがその秘儀を教えよう」と告げ、ケレオスの館を立ち去ってしまいました。妻は夫に成り行きを説明すると、ケレオスはすぐさま人々を集めて神殿造営をはじめました。
一方、唯一の慰めであったデーモポーンを失ったデーメーテルはいよいよ憂悶の末に、神々への復讐を企図します。大地に芽生えるあらゆる草木をことごとく朽ち枯らせ神々に捧げられる供物を途絶えさせたのです。説得にも応じないため、ゼウスはコレーを再び地上のデーメーテルのもとへと返すよう、使いを出しました。プルートーンは帰すのに先立って、コレーにザクロの実をいく粒か食べさせます。冥界の食物を口にすると、その者は冥府に属することになるため、コレーは一年の内の三分の一を地下世界で過ごし、この期間は地上は不毛の季節「冬」となりました。

「数を数える」とは、かつて人類の意識と世界観に変革をもたらした魔法でした

「数を数える」とは、かつて人類の意識と世界観に変革をもたらした魔法でした


はじまりの呪文は「数を数える」ことだった?

この神話にはさまざまな興味深いモチーフが埋め込まれています。火種の中に埋められるデーモポーンは、そのままポイニクス(フェニックス 不死鳥)と重なり、西に沈んで翌朝再生する太陽信仰をあらわしていますし、デーモポーンはイエス・キリストの原型とも言えます。

神々の駆け引きから生じた「季節」の生成譚は、一年の巡りとしてあらわされる「死と再生」の円環です。人類は、過去から未来へとただ一方向に川のように流れるのみの時間から、円を成して同じ場所に戻る、巡る時間世界を獲得したのです。そしてそれにより、人はその円陣の位置を認識するために数を数えること、すなわち数学と暦と時計を発見したのです。「数を数える」とは、古代の人間の意識を変容させる、まさにはじまりの魔法の呪文でした。

知能の高い動物は、数の認識がありますし、カラスは足し算や引き算もできると言われます。しかし、数を順番に唱えることはできません。「数を唱える」ことができてはじめて、「暦」「時計」といった円環の魔法陣を認識できるわけです。日本の弥生時代から古代にかけて王権を築いていたともされ、日本書紀では軍事と祭祀を担っていた物部氏には、古くから伝わる呪文があります。それはまさに「数を数える」ものなのです。

ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり ふるべゆらゆらと ふるべ

このマントラは、十種神宝御法(とくさのかんだからごほう)として天皇の唱える祝詞としても受け継がれています。数を数え、唱えることで、死者をよみがえらせる(まかるたまがえし)も可能であるともされる恐るべき呪文とされます。

「エレウシスの秘儀」は、この神話伝承でのデーメーテルの艱難の道程を追体験し、「永遠の命」に至るための種子を埋め込む儀式であっただろうと考えられています。
秘儀参加者は、秘儀に先立ち、子豚とともに沐浴をして体を清め、断食をし、そして子豚とともにエレウシスの神殿に向かいます。神殿への道程では、様々な化け物に扮した者たちがあらわれ、参入者を嘲笑い、脅して彼らを追い詰めます。神殿に到着すると、自らの命を絶つ象徴として、豚を殺すことを強いられ、その後水に沈められ(浸礼)、死のイニシエーションを体験します。そして暗闇に閉じ込められた後に、突如光の中に導き入れられ「再生」の体験をすることになる、と考えられています。
そう、ここでも死からの再生がモチーフです。秘儀とは、「生と死の意味を知る」ことだったのでしょう。
盂蘭盆会の行事もまた、生と死の意味について触れる小さな小さな「秘儀」=オカルトの一つなのかもしれません。


(参考・参照)
魔法入門 W.E.バトラー 角川書店
ギリシア神話 呉茂一 新潮社

「死海文書」で有名なクムラン教団もまた、過ぎし時代の秘密の教義団体

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