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運命を暗示する?中秋の名月~平安文学に見られる八月十五夜~


猛暑も過ぎ去り、秋らしさがようやく目にも肌にも感じられるようになりました。

秋は実りの時ですが、人々の感性も豊かに開く時。地上から目を転じ、空の月に向けてみましょう。日本人は他の国の人々から不思議に思われるほど、月に愛着があり、秋のみならず一年中、多岐にわたる意味を託して、様々な文学に表現しています。

今回は八月十五夜に限定して平安文学を中心にご紹介しましょう。


八月十五夜の始まり

旧暦では、七月・八月・九月が秋。それぞれを孟秋・仲秋・季秋と言い、そこから八月十五夜の満月は、仲秋の名月とも言われます。しかし、別に八月十五日を中秋とも言うので、現在は中秋の名月が一般的のようです。

古来人々は、この夜に月を愛でて供え物をし、宴を催してきましたが、その淵源は七夕と同じく中国で、唐の後半ごろから詩に詠まれています。中でも有名なものは、十一世紀初めに編まれた和漢朗詠集で十五夜の題に収められている、白居易(772~846)の次の詩です。

〈三五夜中の新月の色 二千里外故人の心〉

「三五夜」は十五日の夜、「新月」は出たばかりの満月、「故人」は白居易の旧友である元稹です。長安の都にいる白居易が、八月十五夜に満月を見て、同じ月を見ているに違いない、左遷されて遠方にいる親友の元稹を思って詠んだ詩の一節です。

満月については、すでに六世紀前半に編まれた韻文集の文選(もんぜん)にある古詩にも「三五明月満」とありますが、その前句が「孟冬寒気至」とあり、当時八月十五夜の月を詠むのは新しいことだったようです。

この白居易の詩の一節は、和漢朗詠集に先立って十世紀半ばに編まれた漢詩集の千載佳句や源氏物語、中世では徒然草や多くの謡曲にも取り上げられ、高名な詩句でした。

日本人で八月十五夜を漢詩に詠んだのは、島田忠臣(828~892)、菅原道真(845~903)などが初めのようですが、その頃から、年中行事の一つとして月次屏風(つきなみびょうぶ)の題材になっていきます。

十世紀初めには月の宴が行われていたようですが、康保三年(966)八月十五日の夜、宮中の清涼殿で催された月の宴の記事が、栄花物語の「月の宴」の巻にあります。記述は、「清涼殿の御前に、みな方分かちて、前栽植えさせ給ふ」と、貴族を左右に分けて前栽についての和歌を競う前栽合(せんざいあわせ)だけですが、この時点ですでに十五夜の月見が定着していたことがわかります。


平安物語の八月十五夜

八月十五夜が登場する文学で、まず注目されるのは竹取物語でしょう。物語の最終段階で、かぐや姫が月からの迎えによって地上を離れ帰還する場面です。その月の明るさは現実離れした迫力で描かれます。

〈かかるほどに宵うち過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家のあたり昼の明さにも過ぎて光りたり。望月の明さを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり〉

物語のクライマックスに相応しい描写ですが、八月十五夜の月が格別な空間を作るという認識があって、この物語の結末に位置づけられたのでしょう。

この竹取物語の八月十五夜は、大切な人との別れの時として、大和物語の一話でも引用されています。八月十五夜の月光の輝きは現実を超えた荘厳世界を現出しますが、その一方で、現実的な人間世界のはかなさが併存します。この両面性は以後の物語にも受け継がれて拡大深化されます。詳しくは省略しますが、月を見ることが不吉とされるようにもなります。

さて、次は宇津保物語という、あまり馴染みのない作品です。この作品は全二十巻の長編で、(1)物語の始発と終焉での、主人公一家による神秘的な奇跡を呼ぶ琴の演奏伝授の話と、中間部分の(2)主要登場女性“あて宮”への求婚の話、(3)東宮決定への政争の話から成ります。

その(1)と(2)の最終場面に八月十五夜が描かれます。まず(2)は、「沖つ白波」の巻で、求婚に敗れた男主人公の仲忠と、ライバルの源涼の二人が、左大将源正頼に婿取られ、その三日後に帝の許で行われた披露の宴で、八月十五夜の月明かりの下で二人が奏でる琴の音とともに描かれています。

〈高くいかめしき響き、静かに澄める音出できて、あはれに聞こえ、細き声、清涼殿の清く涼しき十五夜の月の隈なく明きに、小夜ふけ方に面白く静かに仕うまつる。〉

(1)は、物語の最終巻「楼の上(下)」で、主人公仲忠が我が子“いぬ宮”への琴伝授を、京極に築いた高楼で二人の院や貴顕達の集まる中で披露します。

〈十五夜の月の明らかに隈なく、静かに澄みて面白し。……胡茄の調べにて一つ弾き給ふに、色々に霰しばしば降り、雲たちまちに出で来、星騒ぎ、空の気色、恐ろしげにはあらで、珍らかなる雲立ち渡る。〉

曇りない十五夜の月光に照らされた琴の演奏に従って、天空では様々な奇跡が繰り広げられる情景が描かれます。この作品でも、物語展開上重要な場面を八月十五夜に設定していました。

源氏物語では、八月十五夜が四カ所に描かれています。

最初は、「夕顔」の巻です。まだ十代で多感な主人公・光源氏が京の五条の辺りで知った夕顔との恋に陥り、彼女を連れ出す場面です。

〈八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋残りなく漏り来て、……〉

満月に照らされた鄙びた夕顔の住まいに不満の源氏は、彼女を「なにがしの院」と呼ばれる廃院に連れ出しますが、そこで夕顔は正体不明の霊によって一命を落とすことになります。

二番目は、「須磨」の巻です。

〈月のいと華やかに射し出でたるに、今夜は十五夜なりけりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しく……〉

心ならずも都を退いた光源氏が、満月を見て、都の華やかさを懐かしみ、白居易の「二千里外故人心」の詩を口ずさみ、恋慕する継母・藤壺や兄・朱雀帝を思い出します。

三番目は「明石」の巻で、源氏が須磨・明石の不遇の後に、都へ召喚されて初めて参内し、兄帝と対面する場面です。

〈御物語しめやかにありて、夜になりぬ。十五夜の月おもしろう静かなるに、昔のことかきつくし思し出でられて(昔のことをすべてお思い出しになって)、しほたれさせ給ふ(涙をお流しになる)〉

「しほたれさせ給ふ」とは、源氏の不遇に非力だった兄帝の慚愧の思いを表していますが、それは同時に、この場面で源氏の復活とその後の栄えが約束されることになります。

ちなみに、この約1年前の八月、「十三日の月の華やかにさし出でたる」夜に、源氏が明石君を初めて訪れます。明石君は源氏の姫君を産み、源氏の今後の栄華をもたらすことになる女性です。

四番目の八月十五夜は、「鈴虫」の巻です。源氏の最後の妻となった女三宮は、不義の子・薰を産んだ後に尼となり仏堂三昧に暮らしていて、そこに源氏が渡って来ます。

〈十五夜の夕暮れに、仏の御前に宮(女三宮)おはしまして、端近うながめ給ひつつ、念誦(ねんず-仏を念ずる)し給ふ。……いとあはれなるに、例の渡り給ひて……〉

庭に放した鈴虫の声などが聞こえる中で、源氏が琴を弾いていると、「月さし出でていと華やかなるほどもあはれなる」に、兵部卿宮などが集まり「鈴虫の宴」となり、その月が「ややさし上がり、ふけぬる空面白き」頃に、源氏は退位して自由の身となった冷泉院を訪れます。冷泉院は、源氏と藤壺との秘められた実子で、以前はここまで親しく会えなかったのです。

以上4例を挙げましたが、ほかにも月の登場しない八月十五日が、もう1例あります。「御法(みのり)」の巻に描かれた、源氏の最愛の妻・紫の上死去の場面です。葬儀を終えるまでが、

〈十四日に亡せ給ひて、十五日の暁なり〉

とあり、月に触れない理由が、この引用直前に源氏の最初の正妻で、やはり八月に没した葵の上の死去と比較して、

〈かれはものの覚えけるにや、月の顔の明らかにおぼえしを、今宵はただくれまどひたまへり〉

とあります。つまり、葵の上の死の時には意識がしっかりしていて月がはっきり見られたのに、紫の上の死においては、格別に美しい月も目に入らないとして、源氏の悲しみの深さを強調しています。

物語文学での八月十五夜を中心に抜き出してみると、竹取物語以来、その多くが登場人物の人生の大きな節目であると同時に物語展開上の節目とも言える重要な場面であることに気づかされます。

当時の人々にとっての八月十五夜の月とは、人の運命を見つめ、あるいは支配している存在だったのかもしれません。

夕顔の花を一輪、源氏に贈ったため、その女性の呼称となりました

夕顔の花を一輪、源氏に贈ったため、その女性の呼称となりました


八月十五夜の和歌

平安時代の勅撰和歌集の八代集から、八月十五夜の月に関わる和歌を数首挙げます。

〈逢坂の関の清水にかげ見えて今やひくらん望月の駒〉

(拾遺集・紀貫之)

この歌は、八月の年中行事である「駒迎へ」を詠んだ屏風歌です。当時信濃国(長野県)に「望月の牧」という、毎年八月に朝廷に馬を供出する御用牧場があって、その馬を「望月の駒」と詠んだのですが、その望月が八月十五夜の満月を連想させ、「かげ」が馬の毛色の鹿毛や影だけでなく、月の光をも思わせるのです。京の都への入口である逢坂の関で朝廷からの官人が駒を迎えるのですが、清水に満月の光が射して、鹿毛の馬の影が見えるが、今引いて行くのだろうか、望月の牧から連れてきた馬を、という内容です。

満月の光・清水・駒の影が絵画的に立体的な広がりを感じさせる秀歌と言えるでしょう。

〈水の面に照る月なみをかぞふれば 今宵ぞ秋の最中なりけり〉

(同・源順)

この歌も詞書に、「屏風に八月十五夜池ある家にあそびしたる所」とある屏風歌です。また、「月なみ」は年月の月の並び方の意と、池の「波」の掛詞になっています。池の水面に映る満月の波について、過ぎて来た月々を数えると、八月十五日の今夜が秋の真ん中だと気づいた、という意味です。満月の光が中空から地上をひときわ明るく照らしつつ、その姿を池に映している八月十五夜の月のすばらしさこそ、秋の中心であり、頂点だと発見した感動を詠んでいます。

〈澄みのぼる心や空を払ふらん 雲の塵ゐぬ秋のよの月〉

(金葉集・源俊頼朝臣)

こちらの歌は澄んだ心が上空を払って、塵のような雲はなく、煌々と照らす秋の夜の月です、というもので、月と見る人の心がともに澄んでいることを強調しています。

2020年の旧暦八月十五夜は、10月1日です。満月にはちょっとズレるかもしれませんが、空が晴れて澄んだ月が見られることを祈ります。その日は忘れず、夜空に注目してみてはいかがでしょうか。



参照文献

歌ことば歌枕大辞典 久保田淳・馬場あき子 編(角川書店)

王朝びとの四季 西村亨 著(講談社学術文庫)

平安朝の年中行事 山中裕 著(塙書房)

和漢朗詠集・栄花物語・竹取物語・うつほ物語・源氏物語(小学館 新編日本古典文学全集)

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