フィルム写真と古都、京都

現像してみないと撮れているかどうかわからないドキドキ感。デジタル社会のいまだからこそ、フィルム写真の潔さにひかれる瞬間があるし、ノスタルジックなエモさに魅力を感じる人も多いのではないでしょうか?きょうは日本三大祭りの一つである京都祇園祭りを舞台に、フィルムカメラで撮影した写真とその魅力について紹介していきます。


「エモい」とはどのような感覚か?

最近流行りの「エモい」という言葉の意味をご存知ですか?Wikipediaによるとこのように解説されています。
”エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」などに用いられる。(引用:Wikipedia)”
なんとも言葉にできないけれど、ノスタルジックで心が動かされる、そんな意味合いのようですね。夏の終わりにひぐらしが鳴くような、あるいは、線香花火がこと切れて地面に落下してしまった時のような、そんな感覚をイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。


決定的瞬間は偶然を狙って撮る

デジタル写真であれば、1秒間に何枚もの写真を撮れますが、フィルム写真ではそれは難しいですよね。反対に言えば、だからこそ、1枚の写真に対して丁寧に向き合おうとしますし、一期一会の出会いにより想いを乗せることができるとも言えます。決定的瞬間は偶然に起こるものですが、それを「狙って撮る」という所作や写真に対する向き合い方が、フィルムで写真を撮る良いところではないでしょうか?
シャッターを切れる回数が限られた中で、日常に潜むとっさの瞬間を撮れるかどうか。手を伸ばしてからものをとり、手をおさめるまでの数秒間を切り撮れるかどうか。その人の息遣いや表情をファインダーを通してフィルムにおさめるまでの数秒間に出会い、シャッターを切れるかどうかがフィルム写真の難しくも楽しいところです。

舞子さんがうちわを受け取ろうとする瞬間

舞子さんがうちわを受け取ろうとする瞬間


もったいなさを感じながら丁寧にシャッターを切る

オーソドックスなフィルム写真は、1本あたり36枚しか写真を撮れません。もったいないな、と思いながらシャッターを切る気持ちは、500円のお小遣いで買ったお菓子を遠足で食べる小学生の気持ちに似ているかもしれません。でも、だからこそ、自分の感じるままに本当に撮りたいものしか撮らないでしょうし、その制約があるからこそフィルム写真は面白いと思うのです。

人ごみを避けて雨の中進む時に、ヒョイと傘をあげて進む瞬間、赤い傘が祇園祭のアクセントに

人ごみを避けて雨の中進む時に、ヒョイと傘をあげて進む瞬間、赤い傘が祇園祭のアクセントに


日常の中に感じる非日常

普段生活する日常でも、フィルム写真で撮った風景はどこか非日常化してみえるものです。これは非常に面白くて、デジタルカメラではなかなか感じられない感覚なんですよね。それは撮影枚数が限られているからでもあるし、現像してみなければどんな写真が撮れたかわからないからでもあるし、なによりフィルムカメラという現代では珍しい装置を通して写真を撮るからなのかもしれません。

祇園祭の警備員のベストがカメラのフラッシュでまぶしく反射する、日常の風景が非日常化する瞬間

祇園祭の警備員のベストがカメラのフラッシュでまぶしく反射する、日常の風景が非日常化する瞬間


フィルム写真に潜むエモさは、デジタル社会のいまだからひときわ感じるもの

フィルム写真に潜むエモさは、デジタル写真にはない、フィルムならではの独特の色合い、粒子感から漂う「ニオイ」のようなものだと感じます。
特に京都の夏は非常に暑いく、35℃を超える猛暑日にはモクモクと入道雲が立ち上がり、大粒の雨がアスファルトをたたき埃っぽい独特のニオイが立ち込めます。何回もシャッターを切れるデジタル写真にはない、リアルさや空気感を表現しているように思えるのです。
最近では使い捨てのフィルムカメラや、中古のカメラもお手頃な価格になっています。ちょっと変わった日常を楽しみたくなったら、ぜひ、フィルム写真を撮ってみてください。

アスファルトにこびりついた砂埃がにわか雨とまじりあう

アスファルトにこびりついた砂埃がにわか雨とまじりあう