二十四節気「雨水」の次候になりました。雪や氷がとけて雨水となるのは地上に陽気が発生するからとのこと。大地の目覚めとともに乾燥から潤いへ、ピーンと張り詰めていた空気がゆるんで水蒸気が立ちのぼり霞が棚引き始めます。朝夕は太陽の光で赤く染まり朝焼けは朝霞、夕焼けは夕霞といわれます。ほかにも遠くの山にかかる遠霞(とおがすみ)、濃く薄く棚引くようすは八重霞(やえがすみ)、また薄霞(うすがすみ)と時間や大気の状態で霞をさまざまに表現しています。
「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく」 後鳥羽上皇
新古今和歌集にある春の到来を喜ぶ歌です。霞が棚引くようすが「ほのぼの」ということばとともに春の訪れのやさしさを感じさせますね。さあ、草木も芽吹きの時をむかえ枯れ枝に淡い色が現れはじめますよ。春の鼓動を感じましょうか。


霞は春の特権! 他の季節では使えないんです。それに時間まで限定です!

霞に季節をつけるとすれば「春」しかありません。霞は自然現象でいえば「霧」となります。伝統的な美の概念として平安時代から春立つものを「霞」、秋立つものを「霧」としてきました。
「村雨の露もまだひぬ槇の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」 寂蓮法師
百人一首でもおなじみの歌です。「立ちのぼる」霧には明るさではなくしみじみとした寂寥感を感じます。大気に漂う水の潤いには季節の持つ雰囲気が大きく影響してたのでしょう。
「霞」を使えるのは春の特権と申し上げましたが、じつは昼間だけなんです。夜になると霞とはいいません、「朧(おぼろ)」といいます。素敵ですね。そう、春の月といえば「朧月(おぼろづき)」です。広がった薄雲を通してみる月の輝きは春ならではですね、春月夜、春満月と春は月にも「ほのぼの」ということばが似合います。また「春の三日月は水をすくう」といわれるくらい横に寝ています。夜空に舟を浮かべたようなお月さまが見られますよ。


「霞」ってあんがい身近にたくさん見つけられるんですよ!

それは地名です。何といっても一番は「霞ヶ関」です。政府機関が集まった日本を動かす中心です。名前の由来は東北地方へ通じる奥州古街道の関所を、霞ヶ関と呼んでいたところからきているといわれています。江戸時代は大名屋敷が並んでいた地域でしたが、明治時代以降に計画的に中央官庁施設を整備して現在の行政の中枢を担う地域になりました。
2020年の東京オリンピックに向けて建設中の新国立競技場のある地域のあたりを以前は「霞ヶ丘町」といっていました。また六本木にほど近い西麻布のあたりは「麻布霞町」とよばれていたんです。付近を流れる渋谷川、目黒川からみれば高台になっているこの地域は、春になると立ち上る水蒸気でかすんで見えたのではないかしら、と地図を眺めながら想像が膨らみます。棚引く霞は春への希望と重なり各地に「霞」のつく多くの地名を残したのも頷けますね。

霞ヶ関の官庁街

霞ヶ関の官庁街


たなびく霞を見て昔の人々は何を思い描いたのでしょうか?

奈良盆地を流れる佐保川、その流域に広がる山々は佐保山と呼ばれ、春をつかさどる神である佐保姫が宿るとされています。いにしえの人々は春の野山にかかる霞を佐保姫が織る薄衣と考えました。山にかかる霞を見ながら、霞の衣、霞の裾、霞の袖と春の霞を豊かな想像力でさまざまに表現しています。春を迎える先がけとなる霞の棚引くようすは、昔の人々にとって寒さの和らぎとともに春を知らせる吉報だったことが想像されますね。
山々にかかる霞は想像をかき立てるものがあります。山の奥深くには神通力を持った不老不死の仙人が住むという伝承もそんなところからきているのでしょう。浮き世離れしている人を「あいつは霞を喰って生きている」などといいますが不思議さは言い得て妙ですね。ちなみに「霞の命」というのは霞のようにうっすらとはかない命ではなく、霞を喰って生きる仙人のように長寿だということだそうです。
春はすぐそこに、と思えるような日があればまた厳しい寒さがもどったり、と日々の装いに春らしさを取りいれたくともままなりません。棚引く霞が晴れてひばりが鳴く日もやがてやってきます。その日を楽しみにもう少し待ってみませんか。

「東都名所 霞ヶ関」歌川国芳 (出典:Wikimedia Commons)

「東都名所 霞ヶ関」歌川国芳 (出典:Wikimedia Commons)