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ラー博史上最大のプロジェクト「あの銘店をもう一度」第15弾 佐野 実氏の魂宿る ラーメン史に残る一杯「支那そばや」



佐野 実氏の魂宿る ラーメン史に残る一杯


高校時代の佐野 実氏


自分の目で確かめた厳選食材のみを使用


厳選素材で作られるスープ

新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区、代表取締役:岩岡 洋志)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日(金)にスタートさせました。
北海道・函館「マメさん」に続く第15弾として、2023年4月25日(火)~5月15日(月)まで、「支那そばや」が出店します。
同店は、2000年3月11日~2019年12月1日の間、当館に出店いただきました。自家製麺・国産小麦の普及、厳選素材など、今では当たり前に語られるようになりましたが、そのパイオニアとなったのは支那そばや創業者・佐野 実氏であり、100年後、200年後にも語り継がれるラーメン職人です。

画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_1.jpg
佐野 実氏の魂宿る ラーメン史に残る一杯


●佐野 実氏の経歴(支那そばや創業まで)
「支那そばや」創業者・佐野 実氏は1951年4月4日、神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生誕しました。中学校・高校時代は、新聞配達等のアルバイトをして家庭を支えつつ小遣いを貯め、そのお金で好きだったラーメン店に通っていました。
高校卒業後は、洋食のレストランに就職。それから17年間、洋食のコックとして店を渡り歩き、趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていました。食べるだけでなく、休みの日には自宅でラーメンを作るようになり、次第に独立してラーメン店を開きたいと思うようになったそうです。そして1986年8月6日、藤沢市鵠沼海岸に「支那そばや」を開店。ここから佐野氏のラーメン人生がスタートします。

画像2: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_2.jpg
高校時代の佐野 実氏


●食材への飽くなき探求
開店から2年間は苦戦が続いたものの、研究の成果が出て少しずつお客が増えてきました。
食材探求の入口は鶏ガラでした。たまたま手に入った地鶏のガラでスープを取ったところ、これまでより深みのあるスープが出来たのです。そこで、色々な地鶏を試した中、当時(1988年頃)ベストだと思ったのが純系名古屋コーチンでした。その鶏舎はブロイラーのようにケージの中で育てるのではなく、大きな鳥小屋に数十羽の鳥を放し飼いし、餌から水まで吟味され、雑菌や病気を防ぐための予防設備も充実していました。
その時、佐野氏は「こういう食材だけでラーメンを作ったら、安全で美味しいラーメンが作れる、そしてその食材は、生産現場を訪ね、自分の目で確かめたものだけを使いたい」と思ったのです。このことが「食材の鬼」の原点となりました。
「食材の鬼」という異名を持つ佐野氏ですが、最初から食材を追及していたわけではありませんでした。どうすれば美味しくなるのか?という探求心が最終的に食材へと結びついていったのです。

画像3: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_3.jpg
自分の目で確かめた厳選食材のみを使用
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厳選素材で作られるスープ


●麺へのこだわり
佐野氏は、全国のラーメン店を取材する中で、香り、滑らかさ、しなやかさなど、これまで経験したことのない麺と出会いました。何の粉を使っているか尋ねたところ、国産小麦を使用しているという事だったのですが、当時(1993年)ラーメン店で国産小麦を使うことはほとんど無かったため、カルチャーショックを受けたとのことです。
取材から戻り国産小麦について調べると、北海道に「ハルユタカ」というパン用の強力粉があることがわかりました。製粉会社に交渉するも一度は断られてしまいましたが、あきらめることなく通い続け、ついにはハルユタカを分けてもらえることになりました。また、ラーメンの麺を作る上で欠かせない「かん水」にも拘り、特有のアンモニア臭のない内モンゴル産のかん水を、現地から輸入して使用しました。
そして1,200万円を投資して製麺室を作り、400万円の製麺機を購入し、自家製麺に切り替えました。
製麺の第一人者である佐野氏ですが、最初からうまくいった訳ではなく、国産小麦の特性を把握しある程度納得のいく麺を作るまでに8年もかかったとのことです。

画像5: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_5.jpg
自家製麺を広めた第一人者


●「支那そばや」のラーメン

画像6: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_6.jpg
復刻された鵠沼時代の醤油らぁ麺

今回の出店では「支那そばや」の原点でもある、鵠沼時代のらぁ麺を、佐野氏が当時書き留めていたレシピをもとに3週間限定で復刻します。

・スープ
当時のレシピをもとに、佐野氏が食材探求のきっかけとなった名古屋コーチンと蔵王土鶏(香鶏)の丸鶏、豚は当初から変わらず平田牧場のげんこつ、背ガラ等を使用。その他、ホタテ干し、羅臼昆布、数種の節類を使用します。
途中からスープでチャーシューを煮る事で厚みが加わります。

画像7: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_7.jpg
名古屋コーチンの旨みが詰まったスープ

・麺
佐野氏が初めて使用した北海道産小麦「ハルユタカ」を使用。
この「ハルユタカ」は、当時病気に弱く激減した事から、2000年より後継品種の「春よ恋」が台頭します。それ以降、「春よ恋」を使用していますが、今回は復刻支那そばやの為だけに、当時取引していた江別製粉の協力のもと、「ハルユタカ」を主体として当時の麺を再現しました。

画像8: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_8.jpg
ハルユタカをブレンドした自家製麺

・具材
山形県平田牧場「三元豚バークシャー」のバラチャーシュー。
現在は穂先メンマですが、当時使用していた台湾産の短冊メンマ、九条ネギ、有明産の海苔を使用。

画像9: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_9.jpg
山形県平田牧場産の「三元豚」

「支那そばや」の更に詳しい情報はこちら
https://note.com/ramenmuseum/n/nbb690535cd0c

画像10: https://www.atpress.ne.jp/releases/352190/LL_img_352190_10.jpg
あの銘店をもう一度

「支那そばや」に続く16店舗目には、アメリカ・ハリウッド「IKEMEN HOLLYWOOD」にご出店いただきます。出店期間は、2023年5月16日(火)~6月5日(月)の3週間となっております(※第17弾以降の出店スケジュールは、改めてお知らせいたします)。


過去のニュースリリースはこちら
https://www.raumen.co.jp/information/release/
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