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ひとりぼっちになってしまった 50年連れ添った妻はまだがれきの下


 大地震に見舞われた能登半島の各地には、がれきの中でまだ救助を待つ人がいる。4日夕、最初の揺れから生存率が大幅に低下するとされる72時間が経過。道路が寸断され、救助用重機や支援物資の調達がままならない中、非情にも時間だけが過ぎていく。

「重機ない」2度の救出断念

 「妻は死んでもうた。ひとりぼっちになってしまった」。1日の激しい揺れで崩れ落ちた木造2階建ての自宅に、いまだ閉じ込められているのは50年連れ添った妻。救出のめどがつかないまま4日目の朝を迎えた谷内(やち)紀明さん(79)=石川県珠洲市若山町出田(すった)=の表情には、あきらめの色がにじんだ。

 最大震度7を観測した地震以降、消防、自衛隊員がやってきたが、「重機がないと救出できない」と言い残し、別の現場に向かったという。この日も朝から愛知県警の警察官約10人が訪れ、2階の窓から家の中に入り救出を試みた。「1階に降りる階段が潰れている」。やはり重機が必要だとして、約1時間半で活動を打ち切った。

 「また、かなわんかった。同じことの繰り返しだ……」

 地震の直前は、妻悦子さん(76)と1階の台所のこたつにいた。届いた年賀状を眺め、「この人に年賀状を出していないね。返さなきゃね」と話していた。紀明さんがトイレに行った際、最初の揺れがあった。次の瞬間、大きな音を立てて柱が折れ、1階部分が押し潰された。「外に出ろ」。1階のトイレの窓からはい出た紀明さんが叫んだが、悦子さんの返事はなかったという。

 「地域の会合でも気配りができ、嫌なことを一切言わない妻でね」。酪農を営んでいた紀明さんと、市職員だった悦子さん。紀明さんが団長を務める地元の青年団で知り合い、2年の交際を経て紀明さんが25歳の時に結婚した。おいたちに誘われて一昨年、旅行した北海道の洞爺湖が思い出だ。次は暖かい沖縄に行こうと話していた。

 紀明さんは自宅敷地に隣接する車庫で1人で寝泊まりをしながら、救出作業を何度も見守った。

 「100%、妻は生きていないと思う。せめて遺体くらいは出してやりたい。私が先に死んで、妻に見送ってもらいたかった。つらい。いろいろと迷惑をかけたのに、先に逝ってしもうた」と涙ぐんだ。【川地隆史】

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