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同じ海の魚を食べたのに……国に「線引き」された水俣病患者たち


 なぜ理不尽な「線引き」をするのか――。汚染された魚を食べて水俣病と診断されたのに、水俣病被害者救済特別措置法(特措法)の救済から漏れる人たちがいる。生まれ育った地域などで区別されたためだ。そうした人々が国や熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた訴訟で、初の判決が27日に大阪地裁で言い渡される。最初の提訴から10年と裁判は長期化しており、原告側は全員救済を求めている。

水俣の対岸育ちでも対象外

 「なぜ私たちは国による救済の対象にならないのでしょうか」。原告の一人で、手足のしびれやこむら返りといった水俣病の症状に苦しむ倉田和代さん(80)=大阪市中央区=はそう訴える。

 海に囲まれる熊本県天草市の出身。イワシ漁が盛んな漁港から歩いて約30分の山間部に実家があった。子どもの頃、地元の漁師からもらった新鮮なイワシやキビナゴ、タチウオの刺し身をよく食べていた。

 中学卒業後、19歳で夫と大阪にやって来た。4人の子を育てるためにトタン屋根の留め具を作る内職を20代で始めた。ところが両手の指先がしびれるようになり、仕事に影響が出た。「子どものために頑張らなあかん」と自らに言い聞かせたが症状は徐々に悪化し、細かな作業はできなくなった。病院に行ったものの、原因は分からなかった。

 十数年前、実家に帰省した時に同級生の勧めで医師の診断を受けたところ、水俣病と判明した。思い返せば、子どもの頃に海で魚が浮いていたり、猫が死んでいたりと奇妙な光景を見かけた。「汚染された魚を食べたからずっと体調が悪かったんや」。ようやく合点がいった。

 水俣病を集団発生させたのは、チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水だ。排水に含まれるメチル水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた人たちに症状が出た。

 1956年に病院が保健所に患者発生を報告して公式確認され、国も68年に公害病と認定した。認定患者は一定の補償を受けられるが、複数の症状の組み合わせを求める国の認定基準が厳格で未認定患者が続出し、各地で訴訟が起きた。国が2009年に「水俣病の最終解決を図る」として特措法を施行。未認定患者向けの救済策として、感覚障害があれば一時金210万円を支給することにした。

 倉田さんも申請したが、14年1月に「非該当」との通知が届いた。特措法の救済対象は、チッソが排水を流した水俣湾とその周辺にある熊本、鹿児島両県の9市町(一部を含む)に住んでいた人に限られた。天草市も一部は対象地域だったが、倉田さんの出身地の旧新和町は対象外。対象外の人の救済には、水俣湾の魚を日常的に食べていたとの証明が必要でハードルは高く、倉田さんも認められなかった。

 天草市は不知火(しらぬい)海を挟んで水俣市の対岸になる。「同じ海なのに、区切るのはおかしい」。倉田さんはこの線引きに違和感を覚え、訴訟に加わった。「裁判所に水俣病と認めてもらい、正当な救済をしてほしい」と願う。

「この苦しみは死ぬまで続く」

 特措法の申請期限後に水俣病と分かり、救済を受けられなかった人も訴訟に参加した。原告の前田芳枝さん(74)=大阪府島本町=は鹿児島県阿久根市出身。幼少期に水俣の行商から買った魚を食べ、10代の頃から手がしびれたり震えたりする症状に悩まされていた。

 水俣病と診断されたのは14年2月のことだ。水俣病とは無縁と考えていたため、なかなか気付けなかった。前田さんの出身地は特措法の対象地域外だが、そもそも申請期限(12年7月)を過ぎていた。

 前田さんは手のしびれで文字がうまく書けず、冠婚葬祭の受付では「けがをしている」とうそをついて知人に書いてもらっていた。「それがどんなに恥ずかしくてつらいことだったか」とこれまでの人生を思うと怒りや悔しさが募る。「この苦しみは死ぬまで続く。普通の人がしなくてもいい苦労をしながら生きてきたことを理解してほしい」と訴える。

 弁護団によると、提訴後に原告10人が亡くなった。井奥圭介弁護士(大阪弁護士会)は「裁判の長期化によるもので、遺憾だ。早期救済につながるような司法判断を期待したい」と話している。【鈴木拓也】

計1750人提訴、27日に初判決

 今回の裁判は「ノーモア・ミナマタ」2次訴訟と呼ばれ、2013年6月の熊本地裁を皮切りに東京、大阪、新潟の計4地裁で提訴された。新潟は1人当たり880万円、その他は同450万円の損害賠償を国や原因企業などに求めている。大阪訴訟の原告は熊本、鹿児島両県出身で50~80代の男女とその遺族計128人。4訴訟の原告は計約1750人に上る。

 裁判の焦点は、特措法による線引きの妥当性だ。①チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水をした水俣湾周辺に1年以上居住②排水が止まった翌年の1969年11月末までの生まれ――とし、「居住歴」と「出生時期」を限定した。一時金(210万円)などを4万8012人が申請して3万8320人に支給されたが、9692人は認められなかった。

 原告側は、チッソの排水で汚染された魚は水俣湾周辺だけでなく、水俣湾が面する不知火海全体に広がっていたと主張。日常的に食べていれば水俣病を発症する可能性が高かったと訴えている。これに対し国側は「水銀の汚染濃度は距離とともに減退する」と反論。水俣湾周辺以外の魚は水俣病を発症するほど汚染されていなかったとし、原告らの症状は水俣病ではないとしている。

 仮に水俣病と認められる場合でも、国側は、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用を求めている。国は、水俣病の潜伏期間も考慮すると発症は遅くとも73年に始まっており、そこから20年後の93年に除斥期間が経過したとの立場だ。一方で原告側は除斥期間を認めないよう求めており、適用の有無も争点となる。【鈴木拓也】

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