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米兵が持ち帰った兄の遺品、弟に返還「ようやく終戦迎えられた」


 太平洋戦争のさなか、フィリピン・レイテ島で22歳で戦死した旧永源寺村(現滋賀県東近江市)出身の門阪庄平さんの遺品の日章旗が26日、弟の杢平(もくべい)さん(92)の手に返還された。杢平さんは「これで私もようやく終戦を迎えられた気持ちだ」と目を細めた。

 裁判所職員だった庄平さんは5人きょうだいの長男で、次男の杢平さんとは7歳違い。「とても優しく、私が父に叱られていると、いつも間に入って取りなしてくれた」という。杢平さんは、兄が出征する時のことを鮮明に覚えている。「近くの神社に集落から100人以上が集まり、見送った。友人たちが名前を寄せ書きした日章旗を肩にたすきがけし、『海行かば』の詩を吟ずると、『弾に死んでも、病には決して死にません』と力強く宣言した。私は何も声をかけられなかった」と振り返る。今回返還されたのが、この時の日章旗だった。庄平さんが配属された陸軍歩兵第20連隊はレイテ島の守備に就き、1944年10月に上陸した米軍との戦闘でほぼ全滅。庄平さんも10月21日に戦死したと記録されている。

 日章旗は米兵が戦利品として持ち帰ったが、戦没者の遺品返還活動に取り組む米国の非営利団体「OBONソサエティ」の協力で、県遺族会などを通じて返還された。杢平さんは「兄の遺品と呼べるものはなく、戦死の日付が刻まれた位牌(いはい)だけ。この日章旗は兄の分身のようなもの。父母が待つ仏前に供え、優しい兄の笑顔を思い出したい」と語った。杢平さんはこれまで、戦中の暮らしを地元の小学生らに語り聞かせる活動を続けてきた。「今後は兄の話も加えて平和の大切さ、戦争の悲惨さを伝えていきたい」と力を込めた。【礒野健一】

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