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ニコルさんの「センセイ」 養老孟司さんと迷い込む虫の世界


 猛暑と台風と線状降水帯に明け暮れた、この夏の初め。信州・信濃町の山麓(さんろく)にある「アファンの森」で、長年「虫の世界」を探訪してきた解剖学者の養老孟司さん(85)と、7組19人の親子が、虫捕りに興じた。

 子供の体験学習に取り組む東京都内の企業が主催。養老さんを「僕のセンセイ」と慕っていたC・W・ニコルさん(享年79)が、仲間たちとともに「生き物たちが共生できる空間を」と手掛けてきた森が会場だ。

     ◇

 森の入り口で出迎えてくれたのは、ゴージャスな白毛のドレスをまとったような姿から「白髪太郎」の愛称で呼ばれているガ、クスサンの幼虫だ。「触っても、大丈夫です。毒はありません」。とつとつとした養老さんの言葉に促され、子供たちが恐る恐る指を伸ばし、ほどなく「サワサワ」と白髪を触り始める。

 神奈川・鎌倉の自宅からの長旅に疲れがにじむ養老さんの面持ちは、「虫の世界」に踏み入れた瞬間に転じた。鎌倉の海や山河で遊んだ、少年時代の顔付きに思えた。

 視線は、チョウが舞うように森を漂いながら、虫たちの姿を追い続けた。1枚ずつ葉っぱを裏返し、弧を描くように捕虫網を振る。時には棒で木の葉をたたいて虫を落とし、樹皮の割れ目や穴を見つけるとのぞき込んでいる。

 虫捕りの行動圏は、「10メートル四方で、十分」という。「森には、生き物たちの世界が果てしなく広がっている」とも。片やアファンの森は、東京ドーム8・1個分の面積。「広過ぎです。僕の人生の残り時間では、到底、回り切れません」。サラリと言った。

 そんな養老さんが虫捕りに没頭していく姿を横目に、最初は及び腰だった子供たちも、いつしか捕虫網を手に「虫の世界」に迷い込む。「こんなのいた!」「これは何虫?」。森の中で子供たちが動き出し、それに感化されたように、親たちも虫探しを始める。

 脱皮したてのエゾゼミと抜け殻を見つけたのは、小学生の男子。「飛び立つ前に、ぬれた羽を乾かしているところだよ」。アファン森のスタッフの説明を、目を輝かせて聞いていた。

 虫探しの合間の語らいはみんなの宝物になった。

 「物差しを、捨ててみたらどうですか。替えは、いくらでもありますから」「決まりや校則や、世間体や常識にとらわれない生き方が、自然な営みです。とらわれる前の子供たちを、自然の中に誘ってほしい」

 この言葉には、大いに触発された。

 物差しを嫌う土壌は「7歳で迎えた玉音放送を境に生まれた」という。

 「昨日まで使っていた教科書を、僕らが、墨で塗り潰していくんですよ。あれがベースになったようです」「だから締め付けるものは、大概、嫌いです。ネクタイや靴下も、物差しと同じように、嫌い」。ネクタイと靴下が嫌いな私も、思わずうなずいていた。

 語らいは時に、質問の場に変わった。地球環境や教育からゲノム操作や生成AI(人工知能)に至るまで。親たちは「先生の考えを聞かせてください」と、問いを重ねた。誰しも、不安や疑問を抱えていた。その一つ一つに応じながら、養老さんは繰り返した。「物事は、決め付けない方がいい」「見方が変われば、世界も違って見えます」

 そして、アファン滞在の晩は、たき火を囲みながらニコルさん直伝の鹿肉のシチューを堪能した後に、闇に沈む森の散策に出掛けた。ヘイケボタルのかすかな光には、ため息と歓声が交差した。

 <ホタルがうでにとまって うれしかったです>

 男の子は感想文にこう書いた。「また森に来たい」という思いを込めて。

 養老さんは、著書「神は詳細に宿る」の中で、こんな思いをつづっている。

 <詳細を調べると、いろんなことが分かる。そうすると、何が起こるか。世界が膨張する。ビッグバン以来、宇宙は膨張し続けているという。詳細を見ることは、それと同じ。(略)現代人の世界はその意味では、極めて狭い>

 重層的に連なる、森の生き物たちの世界。「地下にはさらに、果てしない世界が広がっている」という。「僕が子供と親を森に連れ出すのは、五感を開放して、それを全身で感じてほしいからです」

 2023年夏、養老さんの言葉を記す。【客員編集委員・萩尾信也】

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