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「お父さんが帰ってきた気がする」 米国人経由で届いた硫黄島の砂


 太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)の砂が、島で戦死した宮崎県内の遺族に米国人経由で届けられた。遺骨の収容・返還作業が遅々として進まない中、遺骨の代わりとして受け取った遺族は「お父さんが帰ってきた気がする」と感慨に浸った。

 硫黄島には1945年2月、米軍が上陸。日本軍と激戦の末、日本兵約2万1900人、米兵約7000人が亡くなったとされる。現在、島には自衛隊が駐屯し、遺族の渡島は行政主催の慰霊行事や遺骨収集事業に限られている。

 厚生労働省によると、遺骨収集事業は52年から2023年6月末まで計147回実施され、日本側戦没者の約半分にあたる1万614柱を収容したが、遺留品での故人特定やDNA抽出が困難なことから、遺族に返されたのはデータが確認できる1991年度以降8柱にとどまる。島からの砂などの持ち出しについては「いつからかは分からないが、環境保護の観点から渡島者には動植物や砂の持ち帰りをご遠慮いただいている」(社会・援護局事業課)という。

 一方、2002年から日米合同慰霊式典に通訳ボランティアとして参加してきた太平洋戦史研究家のダニエル・キングさん(59)=米テキサス州=によると、米国側参加者に持ち帰り不可のルールはなく、キングさんは涙を流して砂を持ち帰る米国人遺族らの姿を長年見てきた。

 今回は、キングさんが取材で知り合った大分県中津市の戦史研究家、藤原耕さん(50)に「少しでも多くの日本の遺族に届けば」と、今年3月の式典の際に硫黄島南岸の浜で採取した黒砂を500ミリリットルのペットボトル1本に詰めて贈呈。藤原さんは研究家仲間の稲田哲也さん(52)=宮崎市=と相談し、稲田さん自身も会員である宮崎県遺族連合会に分配することにした。

 宮崎市の宮崎県護国神社に約3カ月奉納された後の7月8日、神社本殿で砂の引き渡し式があった。70~80代を中心に戦没者遺族16人が受け取り、感極まって涙ぐむ人もいた。

 35歳の若さで父貞光さんが島で戦死したという宮崎市の長井勝さん(79)は、これまで4度にわたり慰霊や遺骨収集で島を訪れたが、父親に結びつく手がかりは何一つ得られなかった。砂を受け取り「やっと自分が追い求めてきた『おやじの実像』を一つ見つけられた気がする。丈夫な容器に移し替え、父と思って一緒に外を歩いてみたい」と語った。

 砂の持ち帰りに関し、毎日新聞が硫黄島など小笠原諸島を管轄する横浜植物防疫所(横浜市)に確認したところ、「砂や土は植物防疫法の対象ではない。国内の持ち帰りは問題ない」と回答した。

 藤原さんは「砂の持ち帰りはタブー視されてきたが、今後砂の提供が遺族と戦没者を近づける新たな慰霊の形になってほしい」と期待する。キングさんも「戦争で家族を失った悲しみは日本人も米国人も同じ。砂を贈ることで、かけがえのない父や夫、息子を失った遺族の精神的な苦痛が少しでも和らげば」と願った。【塩月由香】

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