starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

毒物カレー事件25年 いまだ地域に暗い影、被害者に残る後遺症


 和歌山市で1998年7月、自治会の夏祭りでカレーを食べた67人が急性ヒ素中毒を発症し、4人が死亡した毒物カレー事件は25日、発生から25年を迎えた。事件現場の園部地区は平穏な日常を取り戻し、住民同士で事件の話をする機会も少なくなった。一方で被害者は現在も後遺症とみられる症状が残り、地元小学校の給食でカレーを出せないなど、四半世紀が過ぎても地域に暗い影を落とす。

 当時成人でヒ素入りのカレーを食べた被害者の一人は、手の指先や小指側の感覚が25年がたった今も戻っていない。「後遺症はありますか」。時々聞かれるこの問いに「ない」と答えているが、実際は「末梢(まっしょう)神経障害」の痛覚低下と診断されており、痛みなどを感じづらいという。発生当時は急性ヒ素中毒の症例が少なく、「この先自分の体がどうなってしまうのか」という不安もあった。

 夏祭りでカレーの列に並んでいた時のことは、はっきりと覚えている。おなかがすいていて、自宅に持ち帰りあっという間に一皿を食べ切った。すぐに体の異変を感じて横になり、激しい腹痛に襲われ嘔吐(おうと)した。意識がもうろうとして病院に運ばれ、生死をさまよった。

 事件から数年は夏を迎える度、心身の不調に悩まされた。「うつ状態だったと思う」と振り返る。思い出して恐怖を感じたのは、事件の発生から数カ月間、報道陣や見物人で騒然となった園部の光景だ。皿に盛ったカレーを食べられるようになったのは、8年ほど前だ。最初にカレーパンを食べられるようになり、「そろそろ大丈夫かも」と口にできた。

 地元の市立有功小学校では、現在も給食や調理のメニューからカレーが消えている。当時子どもだった事件を知る人が保護者世代となり、「(夏祭りと同様の)大鍋で作るカレーにはまだ抵抗がある」といった意見を尊重した結果という。同校は当時4年生だった男児を事件で亡くし、男児の両親らが校門脇に植えたタイサンボクの木はこの25年で大きく育った。

 「もうだいぶ時間がたち落ち着いているので。話すことはありません」――。現場周辺を歩くと、事件の悲しみを乗り越えて前を向く住民の姿があった。慰霊祭は遺族感情に配慮して09年に取りやめており、今年も開催の予定はない。

 事件で殺人罪などに問われ、2009年に死刑が確定した林真須美死刑囚(62)の自宅跡地も残されたままだ。土地の価格が相場より下がることで悪用を避けるため、自治会が資金を集め競売で落札。公園などにする話もあったが今も空き地で、住民が協力しながら雑草対策のビニールシートを貼るなど手入れしている。

 事件から25年となった25日は、被害者の会で副会長を務めた杉谷安生さん(76)が現場を訪れ献花した。当時高校生だった長女がカレーを食べて数日入院した。「いつどこで、同じようなことが起きてもおかしくない事件。風化させたくない」という思いが強く、毎年欠かさず献花している。「早く事件のことを忘れたい」と考える住民からの反対意見もあるが、今後も追悼を続けるつもりだ。事件については「司法が判断を下している。信じるしかない」とも話す。

 「再審でもいいからもう一度、自分の口で本当のことを話せばよい」。和歌山地裁の1審で黙秘し、今なお動機や目的が判然としない林死刑囚について、こう憤る被害者もいた。地域の親睦を深めるはずだった夏祭り。「何であんなことが起きたのか」という疑問が晴れる日は来るのか。25年がたった今も、やりきれない思いが交錯している。

 事件では、林死刑囚が死刑確定後の09年7月、再審請求を申し立てたが、和歌山地裁、大阪高裁で棄却され、最高裁への特別抗告も21年6月に取り下げた。一方、同年5月、弁護団に加わっていなかった別の弁護士の下で申し立てた新たな再審請求は和歌山地裁が23年1月に棄却。林死刑囚側は決定を不服として2月上旬、大阪高裁に即時抗告した。【安西李姫】

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.