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「友達は栄養失調で亡くなった」 手作り紙芝居で伝える引き揚げ体験


 1945年8月の太平洋戦争終結から78年。戦争の悲惨さを語れる体験者が減るなかで、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、平和の尊さを訴えようと力を振り絞って活動する人たちがいる。熊本県菊陽町の古澤佳美さん(89)は、手作りした紙芝居の読み聞かせを通し、自身の引き揚げ体験を伝えている。【山口桂子】

 ――終戦はどのように迎えましたか

 当時小学6年だった私は故郷・熊本を離れ、父の仕事の関係で中国東北部の新京(現長春)にいました。戦況が厳しくなった8月上旬、家族やほかの日本人たちと貨物列車に乗り込み南を目指しました。現在の北朝鮮西部の南浦で終戦の15日を迎え、その後は約10カ月間、身を隠すように転々とする生活。風呂も水道もない倉庫や軒先で寝たり、食料もないため生活を共にしていた友達が栄養失調で亡くなったり、あまりに大変な日々でした。

 ――その後は

 10カ月後の46年6月、やっと乗船できた米国の貨物船で1週間ほどかけて博多港に到着し、その後列車で熊本市内にたどり着きました。市内は終戦直前の45年7月1日に大きな被害を受けた「熊本大空襲」の名残があり、玄関前に焼夷(しょうい)弾が突き刺さったままのバラック小屋で無事に帰国できた両親と弟2人と暮らしました。

 ――体験を語り始めたきっかけは

 家族以外にはあまり話して来なかったのですが、20年ほど前に岸川悦子さん原作の童話「えっちゃんのせんそう」を読んだ娘が、「お母さんの体験と似ている」と教えてくれたことです。当時、教員を定年退職した夫の語り部活動について行く中で、「私も戦争は空襲ばかりじゃないことを伝えよう」と思い、水彩絵の具で童話を題材に絵を描きました。2006年に24枚の紙芝居が完成し、夏休みの地域の学習会などで語り始めました。

 ――戦後78年、今語り続ける思いとは

 命からがら引き揚げてきた体験は今でもはっきり覚えていて、忘れたくても忘れられません。中国で配給の食糧も不足していた頃、トウモロコシ粉を分けてくれた中国人のおじさんや、所持品検査で、私が持っていた通帳で父が捕らえられそうになったのを見逃してくれた韓国警察の青年など、国を越えて助けられ、今の私があります。19年に夫が亡くなり、コロナ禍や、私自身の体力低下もあって活動が難しい時もありますが、聞きたいと言ってくれる人には体験を語っていきたいと思っています。

古澤佳美(ふるさわ・よしみ)さん

 1933年、熊本市生まれ。3歳頃から一家で旧満州で暮らし、終戦後に引き揚げて来た。童話を題材に、自身の体験も織り交ぜながら描いた紙芝居で子ども目線の戦時下の日常を伝えている。2018年に阿蘇市内の小学校で話したのを最後に活動を控えていたが、今年7月1日にあった「熊本空襲を語る集い」で、久しぶりに紙芝居を披露した。

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