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「俺が運転するはずだった」原発避難者8人死傷11年、元同僚の告白


 福島県二本松市で2012年6月にワゴン車と大型トレーラーが正面衝突し、8人が死傷した交通事故は、9日で発生から11年を迎える。事故に遭った8人は、全員が東京電力福島第1原発事故による避難者だった。ワゴン車を運転し、事故で死亡した運転手の元同僚男性が取材に応じ、初めて事故に対する思いを語った。

 「本当はあの日、俺が運転するはずだったんだ」。5月下旬、交通事故で死亡したワゴン車の運転手、志賀模央(かみなか)さん(当時70歳)の元同僚男性(79)はそう切り出した。

 交通事故は12年6月9日午後0時5分ごろ、二本松市針道の国道349号で発生。事故でワゴン車に乗っていた5人が死亡し、3人が重軽傷を負った。ワゴン車は南相馬市原町区にある眼科の送迎車で、事故時は運転手を含む6人が乗車していた。5人は全村避難となった葛尾村から三春町への避難者で、眼科での診察を終えて仮設住宅に帰る途中だった。志賀さんも、南相馬市の警戒区域から同市内の借り上げ住宅に避難していた。

 男性は福島市出身で、1970年に当時勤めていた自動車関連会社の転勤で南相馬市に引っ越した。定年退職後、2009年ごろから送迎の仕事を始めた。志賀さんは送迎の先輩で、後からもう1人が加わった。事故当時は3人で送迎車の運転を分担していた。

 送迎ルートの分担を記したシフト表は、1週間前に事務所のホワイトボードに書き込まれた。交通事故の1週間ほど前に確認した際、9日は男性が担当だったが、事故の数日前に志賀さんに変わっていた。運転手の都合などでシフトが変わることはよくあり、特に気にならなかったという。

 事故のことを知ったのは、連絡を受けて事務所に着いてから。事務所にいた女性らはスマートフォンを手に、事故のニュース記事に見入っていた。「志賀さんが事故を起こしたなんて信じられなかった」。事故の翌日には現場に線香を上げに行ったが、縁石にはトレーラーのタイヤがこすったとみられる黒い跡が10メートルほど続き、事故の凄惨(せいさん)さを物語っていた。

 南相馬市から葛尾村への所要時間は片道1時間弱だったが、事故後、避難先の三春町には1時間40分ほどかかった。事故前よりも明らかに運転時間は増え、1日6時間半ほど運転することもあった。事故現場の国道も、警戒区域となった国道6号を迂回(うかい)する復興関連の大型車などで交通量は増していた。「事故を起こしたら大変だ」。男性は6月末で仕事を辞めた。

 福島県警は12年9月、志賀さんを容疑者死亡のまま、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の容疑で福島地検に書類送検。福島地検は同年12月に不起訴処分とした。

 「原発事故がなければ交通事故は起きなかった」。男性は憤りを隠さない。避難者5人も命を失うことはなかった。

 男性は原発事故後、被災地の写真や動画を撮り続けている。今年5月に避難指示が解除されたばかりの飯舘村長泥地区、国道6号沿いで解体されないまま朽ち果てた店舗――。被災地を記録することが、割り切れない思いを抱えてきた男性なりの鎮魂の営みだ。「復興は確かに進んでいるが、まだ手付かずの場所もある。政府には復興が進んでいない現場にこそ、足を運んでほしい」【肥沼直寛】

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