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太平洋戦争、日本が初めて「玉砕」した島 アッツ島の戦いから80年


 太平洋戦争の大本営発表で初めて「玉砕」という言葉が使われたのはアッツ島での戦闘(1943年5月)を受けてのことだった。29日で80年となる。現地で戦死した日本兵2638人のうち、収集された遺骨は320柱。無人島になり、上陸も困難で収集が滞る。遺族らでつくる「アッツ島戦没者慰霊の会」(札幌市東区)は7月24日、遺骨が一時埋葬されていた米国で慰霊祭を開く予定で、参加者を募っている。【石川勝義】

 アッツ島は米アラスカ州のアリューシャン列島の一部で、日本軍が42年6月に占領した。米側は翌43年5月12日、領土奪回のための上陸作戦を実行。18日間の戦闘中、日本側は救援断念を決めた。島に残った2600人超の日本兵で生存者は29人だった。

 慰霊の会の西村浩一(ひろいち)会長(51)=札幌市東区=は祖父の正義さん(享年33)を島での戦いで亡くした。旭川郵便局に勤めていた正義さんは軍事郵便を扱う野戦郵便局を開設するために島を訪れた。本来は別の職員が向かう予定だったが、病気のために代理で1年の約束で赴任したという。

 旭川市の実家に、正義さんが妻の花子さん(享年94)らに宛てた27通の手紙が残っている。学校に通い始めたばかりの子どもの様子を尋ねたり、「もう半年で帰れる」と近況を伝えたりする内容だ。子どもに宛てた手紙は片仮名で書かれている。「オトオサンガカヘルトキニワタクサンオミヤゲオカツテイツテアゲマス」。浩一さんの父親で正義さんの長男の紀義さん(85)は手紙を読み返し、「いい父親ですよね」と目を細める。

 一方、旭川からの手紙や物資は島まで届かなかった。「一度も手紙が来ない」と記された夫からの手紙が届く度、花子さんは悲しんでいたという。花子さんから戦時中の話を聞いたことが、浩一さんが今回の慰霊祭を計画するきっかけとなった。

 島で亡くなった日本兵の遺骨は、米軍に236柱が収集され、アラスカ州アンカレジのフォート・リチャードソン国立墓地に一時埋葬された後、1953年に日本へ送還された。このほか、53年に82柱、78年に2柱が収集されている。2007年と08年にも日米が収集に向けた現地調査を実施したが、自然環境保護などの観点から新たな遺骨の収集に至っていない。

慰霊や遺骨収集、予算面から難しく

 島は米沿岸警備隊が撤退した10年以降、無人となっている。厚生労働省によると、国による島の慰霊巡拝は1978年から6回。直近の2019年は悪天候で島から約560キロの別の島の上空から供養が行われた。厚労省の担当者は「島での慰霊巡拝や遺骨収集の再開を目指しているが、地理や予算面などから非常に難しい」と言葉を濁す。

 正義さんの遺骨もまだ島に眠ったままだ。慰霊祭を営むアンカレジは島から約2400キロも離れているが、浩一さんは「一時的に遺骨を埋葬してもらった。現状で『一番近い場所』だ。慰霊の会をつくり、多くの人に支えられていることを現地で祖父に報告したい」と話した。

 慰霊祭のツアーは7月21~26日の日程で、費用は1人当たり49万8000円。申し込み締め切りは6月5日。問い合わせは慰霊の会(011・769・9413)。

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