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九条の会、核廃絶、脱原発… 平和訴え続けた、大江健三郎さん


 大江健三郎さんは平和と護憲や脱原発を巡る活動にも携わってきた。2004年6月には、自衛隊のイラク派遣や憲法改正議論の高まりを背景に、評論家の加藤周一さん、哲学者の鶴見俊輔さん(ともに故人)らとともに、「九条の会」を発足させた。

 12年から世話人として会の活動に関わる清水雅彦・日本体育大教授(憲法)は「平和運動の大先輩でもありショックだ。左や右といった政治的立場を超える、平和に強い関心を持った『良心的な作家』だった」と語った。

 最後に席を共にしたのは、日比谷野外音楽堂(東京都)で14年にあった集団的自衛権の行使容認に反対する市民集会。以来、直接会うことはなかったが「全国の各地域で7000の『九条の会』が立ち上がったのは、核兵器が使われた後の時代の平和を考え、憲法の堅持を訴えた大江さんたちの貢献があったから。これからの平和運動は私たちでもり立てていきたい」と話した。

 被爆者らの間にも惜しむ声が広がった。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(90)は「温和で口数の少ない方だったが、根底には被爆という理不尽に対する『怒り』があった。被爆者に対する連帯の思いを持ち続けてくれた人だった」と悼んだ。

 大江さんは1965年、被爆者や医師を取材した「ヒロシマ・ノート」(岩波新書)を出版。核兵器廃絶に向けた発信を続けた。80年代、被爆者救済を求めて日本被団協のメンバーらが東京・霞が関の厚生省(現厚生労働省)前で座り込みをした際には、ふらりと訪れ、「ご苦労様」と言いながら食べ物を差し入れてくれたという。田中さんは「虐げられる者に寄り添う方だった。被爆者がデモや集会を盛んにやっていた時代を知る方だけに大変寂しい」と話した。

 被爆者運動や証言、記録の保存活動に取り組むNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」でも、大江さんは呼びかけ発起人の一人を務めた。「二度と被爆者を生まないために、被害の記録と記憶の継承こそが大事だ」と話していたといい、発足時は「受け継いで、さらに」と題した記念講演も引き受けてくれたという。

 伊藤和久事務局長は「広島、長崎の被爆被害に関心が深く、世界的に影響力のある方。私たちにとって何より心強い存在だった。残念の一言だ」と惜しんだ。

 大江さんは11年3月の東京電力福島第1原発事故後、一貫して脱原発も訴えてきた。福島での集会や東京でのデモに加わり、「原子力のエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴う」などと話していた。この年の9月、「さようなら原発」と銘打った脱原発の市民運動の呼びかけ人の一人として記者会見した際は「原発事故は広島や長崎に次ぐ事態。二度と起こさない決意で政治を動かす必要がある」と述べた。

 この会見に同席し、共に活動してきた作家の落合恵子さんは「現政権で軍拡や原発推進が行われようとしている中、どれほど大きな存在だったか。無念でならない」と話した。

 大江さんは今月21日に都内で開かれる予定の集会にも呼びかけ人として名前を連ねており、落合さんは「『憲法を守り、原発をなくす』という大江さんの言葉を大事にして、参加者に語りかけたい」と決意を語った。【春増翔太、島袋太輔】

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