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自決用の青酸カリ、地獄の帰国…満州開拓元団員らの証言を冊子に


 旧満州(中国東北部)に開拓団として渡った広島県世羅町の元団員ら約20人の回想を収めた証言集「満州開拓あの時」が作製された。敗戦前後の混乱や帰国までの過酷な日々がつづられている。聞き取りにあたった世羅郡文化財協会の山下義心さん(86)は「満州開拓団は原爆とともに忘れてはならない広島の歴史。平和学習に役立ててほしい」と話している。

 国策に従い、世羅町からは1940年の先遣隊を先陣に、第一と第二の二つの開拓村が満州に入植した。

 敗戦直前の1945年8月9日、ソ連兵が満州に侵攻し、開拓村も襲撃を受けた。第一世羅村の村民だった女性は「銃剣を突きつけられ、子供を抱いて家のすみで毎日震えるばかりでした」と回想する。別の元看護師の女性は集団自決に備えて青酸カリを100人分準備していたという。実際に第二世羅村では約50人が自決する悲劇が起きた。2村の計約730人のうち約160人が帰国までに亡くなったという。

 帰国も過酷を極めた。屋根のない貨車の中で何日も雨に打たれ、高熱を発し命を落とす病人。母とはぐれ現地住民に託される子供。証言は「食料も薬も皆無で地獄の帰国」と回想し、異国の土となった同胞への哀惜、悔恨を刻む。

 集団自決への自責の念から、帰国10年後に自死した村の責任者もおり、開拓団の悲劇は戦後も続いた。「国と郷土のために満州へ行ったのに、敗戦は惨めで残酷。戦争はどんな理由があっても絶対してはならない」などと訴えている。

 証言集は文化財協会と元開拓団の二世の会が聞き取りや証言会の内容をまとめた。山下さんは「満州開拓団で一番犠牲になったのは女性と子供。『惨めで恥だから話したくない』と証言を渋る元村民も少なくなかった。戦争は罪深い」と話す。

 A4判100ページ。1部1000円、送料310円。山下さん(0847・24・0036)。【渕脇直樹】

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