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「おかげで生きていられる」=平和の礎、遺族ら祈り―沖縄慰霊の日


 「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園には、早朝から多くの遺族が訪れた。岸田文雄首相の追悼式出席を受けて警察官が巡回し、ものものしさが混じる中、犠牲者名が刻まれた「平和の礎」に手を合わせた。  「おばあ…」。糸満市の山城強さん(73)は、祖母ら親族3人の名に酒や花を供え、声を震わせて涙を流した。祖母が自らの下着を白旗にして壕(ごう)から出たところを米兵に撃たれたと語り、「戦争は二度とやらないで」と訴えた。  宜野湾市の末吉健作さん(71)は、孫の蓮くん(3)と共に祖父母の名の前で祈った。祖父母は激戦地を逃げ回った末に亡くなったといい、長男の努さん(38)は「息子にしっかり引き継ぎたい」。努さんの妻でドイツ出身のアニャさん(35)は祖父母も戦争経験者で、「ドイツの史実も知ってほしい」と語った。  「おかげで生きていられる」。八重瀬町の与儀喜美江さん(58)は、母のきょうだい3人と祖母を失ったが、母を疎開させたことで生を受けたと祖母に感謝している。「今も戦争がある。沖縄の発信がウクライナにも届いてほしい」と願った。  那覇市の田中康致さん(79)は、父が戦死した戦争孤児だ。終戦後、母はきょうだい3人を捨てて再婚し、田中さんは姉に育てられた。「母を憎んでいた。食べるためだったのだと思えるようになったのは70歳を過ぎてから」と振り返った。  宜野湾市の比嘉達男さん(50)の祖父、定昭さんは軍に召集され、祖母は「米兵は殺さないから、捕虜になりなさい」と送り出したが、帰って来ることはなかった。息子や娘も連れて礎を訪れ、妻の美保さん(50)は「台湾情勢など世の中が怖くなってきた。子どもたちには『自分で考えて行動してほしい』」と話した。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕沖縄戦で祖母らを亡くし、「平和の礎(いしじ)」で手を合わせる山城強さん=23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園 〔写真説明〕「平和の礎(いしじ)」を家族と訪れた末吉健作さん(右手前)=23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園 〔写真説明〕「平和の礎(いしじ)」を訪れる田中康致さん(左)=23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園 〔写真説明〕「平和の礎(いしじ)」で手を合わせる子どもら=23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園
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