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【連載】ヨガと日常をつなぐ1冊Vol.7 教えるということは学ぶということ



ヨガをすることがポピュラーなことになった今、その教えを日常に取り入れたいと考えている方も多いでしょう。専門書を手に取るのもいいですが、書店に並ぶ本の中にもヨガのエッセンスが詰まったものがあります。そこでヨガスクールの講師としてインストラクターを養成している筆者が、ヨガの教えをより身近に感じてもらえる1冊をご紹介します。第7回は「食を通して生き方を変える」をテーマにしたノンフィクションです。


「私たちは生きて、学んで、教え合う。これって素敵なことじゃない?」

出典:キャスリーン・フリン ライター/ジャーナリスト/料理講師

人間の身体=食べた物が変化したもの

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僕たちの身体は食べ物からできています。ヨガやアーユルヴェーダでは、僕たちの身体をより微細なレベルで捉えており、5つの層からなっていると教えます(パンチャ・コーシャ/5つの鞘)。
骨と筋肉からなる僕たちの身体は一番目の層で、粗大な身体とされています。サンスクリット語で層のことをコーシャ(鞘)といい、一番目の層は「アンナンマヤ・コーシャ」といいます。「アンナン」という言葉には“食べ物”という意味があり、「マヤ」は“変化したもの”という意味なので、食べ物が変化したものが身体ということなのです。
さらに「アンナン」には“捕食されるもの”という意味もあるので、僕たちがこの世を離れる際には肉体が土に還り、他の生物の滋養となることが暗示されているのでしょう。そしてヨガの姉妹科学といわれるアーユルヴェーダでは、未病を防ぐことに力を入れていて、毎日何をどう食べるのか選択することに重きを置いています。
しかし、僕たちの身体が食べ物からできているという、このシンプルな事実を本当に受け入れ、意識的に食べ物や調理法を選択している人がいったいどれ位いるのでしょうか?

料理を学びながら人生を変革していく

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『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』と題されたノンフィクション作品は、料理ができないと思い込んで自信を無くしていた境遇の異なる10人の女性たちが、全10回の料理のレッスンを通じて変わっていく様子が臨場感溢れる描写で描かれています。
それぞれ実在する登場人物はさまざまな問題を抱えていました。マーガリン依存症、セレブなのに日本のカレールーで作ったカレーを我が子に食べさせ続ける、夫が料理上手で劣等感を感じている、元夫と一緒に買った七面鳥を冷凍したまま4年間保存して捨てられない等々。
「ダメ女」というよりは「食」に関して無頓着であり、改善したいけどやり方がわからない、無知な状態なのだと思いました。さらに、登場人物たちは「食」ということがままならないためか、家族間での劣等感にさいなまれる、なにかに中毒的になっていて止められない、無駄にたくさん買ってしまうなど、その他の生活や人生においても葛藤を抱えている様子が伺えます。
全10回の料理のレッスンは、既存の料理教室にはないクリエイティブで充実したカリキュラムが用意されていました。
ある時は包丁の使い方から始まり、加工品とそうでないよりナチュラルな調味料のテイスティングなどを通じて、自炊をする基礎力を高めることができるレッスン。
ある回では、肉や魚の扱い方や卵の調理法のアレンジ、こねないパンの焼き方や簡単なホイル料理など、とても実践的な内容のレッスン。
さらに、少ない買い物でたくさんの料理を作ることや、残り物を再利用することでなるべくゴミを出さない提案などを通じて、サスティナブル(継続可能)かつ環境を配慮したライフスタイルを意識するレッスンといった具合です。
思わず僕もキャスリーンさんのレッスンに参加したいなと感じさせられました。特に印象的だったのは、鶏を丸ごと一羽解体するレッスンです。
なぜ切り身ではなく、丸ごと一羽をさばくのかというと、これが生き物であることを知ることで食材としての肉を無駄にはできなくなるから。この大切なことを、参加者に経験から理解させるという意図が素晴らしいなと思います。
そもそもこの料理教室の計画は、キャスリーンさんがあるスーパーで買い物している時に、冷凍食品ばかりを次々と買い物かごに入れる子連れの主婦を見かねてアドバイスしたことがアイデアとなりました。
自らゲスト出演した料理のラジオ番組を通じて参加者を募り、10名の参加者の自宅に出向いてキッチンを見せてもらいながら、彼女たちがいつも食べている料理をキャスリーンさんの目の前で作ってもらう。
そして足りない技術をレッスンの中に組む込み、全てのレッスンが終わってから参加者がその後どのように料理し、暮らしているのかを確認するという壮大なプロジェクトだったのです。
10回のレッスンが終った時、キャスリーンさんはこのプロジェクトの努力が実らず、参加者が以前と変わらないような「食」への関わり方をしていたらどうしよう、自分は良き影響を与えられたのだろうかと疑心暗鬼にかかります。
ところが、不安を抱えながら再び彼女たちのキッチンを訪ねると、多くの人がレッスンで学んだことを活かし、以前よりも自信を取り戻していきいきと暮らしていたのです。

教える過程で自分自身も新たな学びを得る

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この本の最後は、その後のキャスリーンさんの様子が描かれています。キャスリーンさんは参加者と同じくらい、あるいはそれ以上このプロジェクトから学び、その学びの中には、本人も予期していなかった自分自身が変わって行くという過程が含まれていたようです。
「一歩引く」ことを学んだというキャスリーンさんは、以下のように自身のプロジェクトを締めくくっています。
「教えた人から、私たちは予期していなかった教訓を学ぶ。私たちは自分自身が誰なのか、そして人生のどのあたりにいるのかを思い出し、コースを変えるための改革が必要なのだ。私は書いて、料理をして、人に教えることができる。私にその情熱が詰まっていることは、私自身がよく知っている」
僕は、ヨガに限らず人に何かを伝えるということは、自分自身が生徒さんを通じて学ぶことだと思っています。また講師も100%教える内容を理解しているわけではなく、教えながら学んでいるのだとも思います。
ヨガインストラクターを育てる講師が僕の役割なのですが、自分が「先生」ではなく、生徒さんがヨガを通じて変革していく「仲介役」に徹したいと思っています。
僕自身も教えながら自分自身への理解を深め、変化を遂げようとしている毎日なのです。最近メイン講師として担当していた2つのトレーニングが修了し、今回もたくさんのことを生徒さんから学ばせて頂きました。そしてまた、新たに2つのトレーニングがスタートしています。次はどのような学びや変化があるのか楽しみです。
数年前、意中の人に「好きな人のタイプは?」と聞いたら「一緒に食事をしていて楽しいと思える人」という答えが返ってきました。その言葉を聞いた時は肩すかしを食らったような感覚でしたが、今はその言葉にとても共感できますし、同じ質問を受けた時には同様の回答をしています。
なぜならば食べるということは生きることであり、どのようなものをどうやって食べるかは、その人のライフスタイルの反映であるからです。
以前の僕はオーガニックな食材にこだわり、仕事で家を不在にすることが多いにも関わらず宅配で食材を注文し、いつも冷蔵庫はパンパンで使いきれないことがよくありました。現在は自宅近くのスーパーでごく少量の買い物で済ませています。最近は不必要に材料を買い足すことなく、冷蔵庫にあるもので美味しい食事を作る努力をしています。
自分で料理を作るということは、自分へ必要な滋養を与えられるということ、そして自分の作った料理を大切な人へ差し出すことは愛情表現になるのだと思います。料理自体は語る言葉を持たないけれど、それはコミュニケーションなのです。
この本を読み終えてから、改めて僕の小さなキッチンにたたずみ冷蔵庫の扉を見つめていました。「生きて、学んで、教え合う」。そんな素敵なことをこの先も続けていくため、大切な人の身体や心を癒し滋養を届けるために、今日も料理をしようと思います。

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