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《ドクターマーチン》。永久定番の魅力解剖


世界中の人々から愛される《ドクターマーチン》のルーツは、2つからなる。まずひとつはイギリス。英国を代表するさまざまなシューズメーカーの発祥地である街、ノーザンプトンシャー州で製靴業を始めた『R.グリッグス グループ Ltd.』。グリッグス家による家族経営のシューズメーカーで、丈夫なワークブーツをつくるメーカーとして有名だった。


そして、もうひとつのルーツの舞台はドイツ。兵役に従事していた医師、クラウス・マルテンス氏が1945年の休暇中、アルプス山脈でスキー中に足首を負傷。怪我を負った足に軍支給品のブーツが合わず、治療の間に設計した柔らかい革とエアーを充填した靴底のブーツが、そのきっかけと言われている。そして終戦後、残っていた靴修理店の靴型と針を手に入れたマルテンス氏は、その材料と自らが開発したソールを組み合わせ、今日の《ドクターマーチン》のプロトタイプとなるブーツを開発したのだ。その後、マルテンス氏は大学時代の旧友、ヘルベルト・フンク博士に再会。フンク氏はマルテンス氏のブーツに興味を抱き、ふたりはドイツ空軍の飛行場から廃棄されるタイヤなど、使用されていない軍事用品を原材料に靴の生産を始めた。1947年までに正式に生産を開始したふたりのビジネスは成功し、1952年にはミュンヘンに工場を持つまでに成長する。ちなみに、当時は主に年配の女性を対象に製品を販売しており、売上のほとんどは女性客が占めていた。そして、1959年、彼らの革新的な靴を海外に売り出すことを決めたのだ。


 


舞台はふたたび英国へ。この頃の『R. グリッグス グループ Ltd.』は、グリッグス三代目のビルが、兄弟のレイとコリン、息子のマックスとともに会社を運営していた。ある日、靴業界の雑誌を読んでいたところ、マルテンス氏とフンク氏の独創的なエアクッションソールの広告を発見。1959年、早速そのソールの製造特許を獲得した同社は、いくつかの変更を加え、革新的なソールに丸みを帯びたシンプルなアッパー、そしてトレードマークである黄色のウェルトステッチを備えたブーツを製造する。”Air Wair”と命名されたこのブランドは、”With Bouncing Soles(弾むような履き心地のソール)”の謳い文句を掲げて登場。1960年4月1日に生産を開始した初めてのモデルは、チェリーレッドのレザーを使った8ホールのブーツだった。今でもブランドのアイコンとして世界中に愛され続けている名作「1460」である。


 


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ユースカルチャーの側には必ず《ドクターマーチン》があった


発売から最初の数年間は2ポンドで買えるワークブーツとして、イギリス労働者階級のワーカーたちに多く履かれていた。1960年代後半、そんな労働者階級の若者の中から生まれたスキンヘッズが《ドクターマーチン》を愛用するようになる。瞬く間に彼らの厳格な服装マナーのひとつとなり、チェリーレッドのブーツはストリートギャングのアイコンとなった。その後、The Whoのピート・タウンゼントが自身の労働者階級の誇りと反骨精神の象徴として《ドクターマーチン》を愛用。こうして、《ドクターマーチン》は、実用的なワークブーツからサブカルチャーのアイテムとして生まれ変わった。


1970年代に入ると、パンクスたちの間でも定着。ミュージシャンだけでなく、ファンの間でも《ドクターマーチン》は広く愛用されるようになった。その後、イギリス発のユースカルチャーは、グラムやツートーン、ゴスなどの流行とともに発展。《ドクターマーチン》のブーツも、それぞれ独自のファッションスタイルとともに愛され、英国のユースカルチャーの中核として地位を確立した。


80年代に入ると、パンクとロカビリーを融合した音楽カルチャー、サイコビリーが台頭。もちろん、彼らの足下にも《ドクターマーチン》は必ずあった。チェリーレッドの「1460」は、スカバンド・マッドネスのカバーアートにも採用されている。一方、英国をツアーでまわったハードコアバンドが《ドクターマーチン》をアメリカ西海岸に持ち帰ったことで、アメリカのサブカルチャーにも浸透。世界のサブカルチャーの象徴として広まり始める。90年代はブリットポップムーブメントとともに再び脚光を浴びたほか、ニューメタルやエモなど、新しいカルチャーにも《ドクターマーチン》は取り入れられていった。


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©PYMCA


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©Getty Images


半世紀を経た今でも僕らの足元には《ドクターマーチン》が在り続ける


40周年を迎えた2000年代、《ドクターマーチン》はノーザンプトンのコブスレーン工場を除き、英国国内の工場をすべて閉鎖。このような苦難を経つつ、ファッションブランドとのコラボレーションや、英国産のハンドメイドラインの立ち上げなど、様々な試みを用いながらブランドの価値を保ち続けている。そして間もなく60周年を迎える今でももちろん、若者のカルチャーの間では《ドクターマーチン》、ひいては 「1460」は特別な存在だ。ひと目見てわかるイエローのステッチは、いつまでも僕らのファッションのアイコンとして、そしてアクセントとして在り続けるのだ。


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