バブルの時代、ある業態の飲食店が激減した。「喫茶店」である。

 

店内には静かな音楽が流れ、カウンターの向こうで“こだわりマスター”がコーヒーを1杯ずつ淹れてくれる、というのが昔の喫茶店のイメージだと思う。戦前から独自の喫茶店文化が栄えていた日本で、このタイプの店が増えたのは1970年代だ。

 

商業統計によると、喫茶店の店舗数は1982年の16万1996店がピーク。ところが、その後の10年間で、ほぼ半減してしまった。

 

理由は明白。客単価が低いうえ、回転率が悪く、儲からなかったからだ。バブル景気の地価高騰と人件費の上昇で、やむなく店を閉めたこだわりマスターも多かった。1980年、「ドトール」の1号店が原宿駅前に出店したのをきっかけに、セルフ式のコーヒーショップが増えたのも痛手になった。

 

 

■オープンエアのフレンチ・カフェの登場

 

かわりに台頭したのが、「カフェ」である。

 

最初にブームになったのは、パリの街角にあるようなオープンエアのフレンチ・カフェ。先駆けは89年、渋谷・文化村の地下1階、美術館のあるフロアにできた「ドゥ・マゴ・パリ」だった。ピカソやヘミングウェイ、サルトルやボーヴォワール……多くの芸術家や文化人に愛された老舗名門カフェを日本に呼べたのは、まさにバブルのたまものだった。

 

国産の純フレンチ・カフェ第1号は93年、広尾・外苑西通り沿いにできた「カフェ・デ・プレ」。店の造りからメニュー、サービスまで徹底的にパリを踏襲した点では、ドゥ・マゴ以上だった。なんといっても、中庭のテラス席しかないドゥ・マゴとは違って、こっちは本物の大通りに向かってテーブルが配置してあり、オープンエアならではの開放感が大きかった。

 

翌94年、原宿・表参道にカフェ・デ・プレ2号店が開店するやいなや、連日超満員の行列ができ、オープンエア人気に本格的な火がついた。こうなると右向け右で追随するのが日本人の習性だ。新規開店に加え、既存店も壁を壊してテラスを造り、2、3年のうちに原宿、青山、代官山界隈はオープンエア・カフェの激戦地となった。

 

パリでドゥ・マゴと並ぶ老舗、実存主義はここで生まれたといわれる「カフェ・ド・フロール」までが出店するにいたっては、表参道はサンジェルマン・デ・ブレと化したような様相。その波は各地に広がっていき、排気ガスと騒音がひどい道路沿いでも、オープンエアなら人が入った。

 

オープンエアであろうとなかろうと、カフェはソフトドリンクだけでなくアルコール類も揃え、料理メニューを充実させて客単価を上げたのが勝因。バゲットサンドや具だくさんのサラダ、手作りタルトを、発泡性のミネラルウォーターで食べたりするのが、最高におしゃれだった。

 

そうするうちに、イタリアン、アメリカン、エスニック、中国料理、デザート、ベーカリー、デリ……と、異ジャンルの飲食店が参入して、フード重点型カフェが急増。ニューヨークにあるような食堂をモデルに、和洋中を取り混ぜたフードメニューが軽く50種を超える「ダイナーカフェ」という業態も登場した。

 

 

■フードも充実、「ブランド・カフェ」「なごみ系」カフェ時代

 

オープンエアに続き、雑貨やアパレルの店に併設されたカフェが人気を集めた。おしゃれな空間でお茶するのと、かわいい雑貨や服を探すのが大好きな女の子を一挙に取り込める二毛作形式のカフェで、「ブランド・カフェ」、「複合型カフェ」と呼ばれた。やはりフードに力を入れ、特にスイーツのレベルが高い店が多かった。

 

次に現れたのが、「なごみ系」、「癒し系」と呼ばれるカフェ。94年創業の鎌倉「ヴィヴモン・ディモンシュ」が元祖といわれる。

 

たいがい若い店主の個人店で、駅から少し離れた場所にあり、中古の家具が並んで机や椅子が1個ずつバラバラだったりするが、センスのよさが隅々まで行き届き、居心地がよい。フードメニューは数少ないが、店主の工夫が光る。のちに「カフェめし」と呼ばれる、手作り感満載のワンプレート料理は、このタイプのカフェから誕生した。古民家を改装したカフェも、この系統だ。

 

バブル崩壊で地代が下がり、小資本でも出店しやすくなった「失われた20年」には、カフェのオーナーになることが、若者たちの現実的な夢になった。その背景には、就職難と非正規雇用の拡大がある。

 

 

■シアトル系から「サードウェーブ」へ

 

一方、96年に「スターバックスコーヒー」1号店が銀座松屋裏にオープンしたのを皮切りに、「シアトル系」と呼ばれるセルフ式カフェがアメリカから続々と上陸した。

 

エスプレッソベースのアレンジコーヒーが主力メニューのシアトル系は、従来の浅煎りから深煎りへ、日本人のコーヒーの嗜好を変えた。昔の喫茶店ではフランス語の「カフェ・オ・レ」だったミルクコーヒーが、イタリア語で「カフェ・ラテ」と呼ばれるようになったのは、このときからだ。

 

その後、シアトル系のブームも収束して大半のブランドが撤退し、「スターバックス」と「タリーズ」の二大チェーンに落ち着いた2010年代、またまたカフェに新しい動きが起こった。

 

ひとつは、コンビニがカフェ化したこと。挽きたて・淹れたてのコーヒーが100〜200円で飲めるのは、日本のコーヒー史においても画期的な事件である。

 

もうひとつは、コーヒーを農産物と捉え、品種のみならず生産国と農園、栽培や選別などのトレーサビリティーの明確性、貿易の公平性にもこだわる「スペシャルティーコーヒー」の台頭だ。アメリカで「サードウェーブ」と呼ばれる潮流である。

 

サードウェーブ系のカフェは、1杯ずつていねいにハンドドリップで淹れるスタイルが特徴だ。豆を自家焙煎する店も増えている。よく考えると、昔こだわりマスターがやっていたのと似ている。

 

実際、サードウェーブの代表チェーン「ブルーボトルコーヒー」の創業者は、日本の老舗喫茶店から多くを取り入れたことを隠そうとしない。豆の持ち味を生かすため、浅煎りに回帰したコーヒーの風味も、昔の喫茶店に近い。いまカフェの最新トレンドは、昭和の喫茶店に先祖返りしているのである。

 

コーヒーとカフェは、ファッションフードの重要な一角。これからも、めまぐるしく変わっていくだろう。

情報提供元:citrus
記事名:「なぜ最近のカフェは「昭和の喫茶店」に先祖返りしたのか?【ファッションフードの平成史】