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僕が名作を後輩に薦めない理由~なぜ今の若者は『ドラゴンボール』をおもしろく感じないのか~


出典:「映画『ドラゴンボール超 ブロリー』 予告編」より


ドラゴンボールハラスメント──ちょっと刺激的なトピックが先頃、ネットで話題になった。「コンテンツ制作に携わるものは『ドラゴンボール』を読むべき」という職場の先輩に対し、その後輩が実際に読んでみてそれに反論するものだ。



 



僕自身もおじさんで、ドラゴンボール世代よりさらに上である。なので、こうした若者の主張があると、「俺も似たようなまずいことやってなかったけ……」とびびったりする。しかし今回は安心だ。僕は以前から自分の好きな昔の作品を意識して人に薦めないようにしてきたからだ。



 



 



■僕が名作を後輩に薦めない理由



 



僕の人生最愛の作品は、『伝説巨神イデオン』と『カウボーイビバップ』。それぞれ38年前、20年前に誕生した。



 



『伝説巨神イデオン』については、理由は単純。作品にあまりにもはまり過ぎて、自分でも作品に対する客観性が欠如しているのが分かるからだ。殺伐としたストーリー、テレビシリーズと劇場版を含めた構成の歪み、入口のむずかしさ、絵柄も含めて人を選ぶ作品である。思い入れの強い作品ほど、あまりにもパーソナルで、万人受けしないものだ。



 



我が人生最愛のアニメ作品『伝説巨神イデオン』と『カウボーイビバップ』


ただ『カウボーイビバップ』は少し異なる。監督、キャラクターデザイン、脚本、音楽、声優……。あらゆるスタッフが見事にはまっている。完璧なアニメがあるとすれば、『カウボーイビバップ』以外にないとすら思う。それでも僕は『カウボーイビバップ』を人に薦められない。




 



『カウボーイビバップ』を完璧にした最後の重要なパーツが「時代性」だからだ。1990年代末、大人向けのアニメが停滞していた時代。その時代だからこそ『カウボーイビバップ』の挑戦は輝きを増し、制作スタッフのテンションも奇跡的なレベルにまで高まった。



 



さらにバブル崩壊と共に日本の成長は終わり、新たな価値観を摸索していたそんな社会の雰囲気すら影響していたかもしれない。センスのいい音楽と気の利いたセリフ、それぞれ影を背負いながらも表に出すことなく軽快に生きていくキャラクターたち。それはアニメファンを超えて多くの若者の心を捉えていった。



 



2018年のいま、全く同じクオリティで『カウボーイビバップ』が世に現れたとしても、同じ高密度の熱狂は起きないはずだ。いまの時代の若者が『カウボーイビバップ』を観ても同じだ。もちろん『カウボーイビバップ』はいまでも面白い。いい作品と改めて評価する人もいるだろう。ただそこには、20世紀末に多くの若者が感じた「時代性」は存在しない。



 



 



■なぜ今の若者は『ドラゴンボール』をおもしろく感じないのか



 



最初の話に戻ると、『ドラゴンボール』も同じだ。昔ながらの『ドラゴンボール』のファンにとっての作品の素晴らしさには「時代性」がある。1985年に誕生し、作品と共に過ごしてきた30年間の経験、「ドキドキしながら次回を待つ一週間」「あっと驚く大展開や新キャラクター」。それこそが『ドラゴンボール』を傑作として成立させる重要なパーツだ。



 



ドラゴンボールの全巻を丸一日かけて読破することはできるだろう。しかし、そこに「時代性」や「共に生きた経験」はない。30年かけて育んだ体験が、わずか一日のあいだに生まれるはずがない。作品を賞賛する人の体験は、そんな軽いものでなかったはずだ。それを知ってもらうのは、どだい無理な話である。



 



もちろん今の時代にあらためて、『ドラゴンボール』を好きになる人も大勢いる。しかしその人たちが体験するのは、古いファンが当時感じたのとは違うおもしろさだ。時代を超えて生き残る、異なる経験を経てもなおかつ評価される。そうした普遍性を持つ作品は真の傑作である。ただそれは、ひとりひとりが自分で見つけてほしい。先入観なしで評価して、もしその作品が好きになって、その素晴らしさを一緒に語れる人と出会う。こんなうれしいことはない。


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