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猫好きの方は必見!日光東照宮にある眠り猫のトリビアをまとめました!


日光東照宮の「眠り猫」とは?

日光東照宮

Korkusung/shutterstock.com

「眠り猫」は、栃木県の世界遺産・日光東照宮の回路にある数多くある建築装飾彫刻作品のひとつです。

日光東照宮の建物の中ではさまざまな動物の彫刻を見ることができますが、その中でも猫好きの間で眠り猫の彫刻はとても有名です。

その名前の通り、眠った猫の姿を彫刻したものです。日本で一番有名な猫と言っても過言ではないでしょう。

この彫刻の真裏には2羽の雀の彫刻があり、猫が眠っていると雀が安心して過ごせる、つまり平和への願いが込められた眠り猫の彫刻と言われています。

また、眠り猫は片前足を伸ばして踏ん張るような体勢で眠っている姿をしているため、徳川家康を守るために寝たふりをしながら、敵が襲ってきたらいつでも飛び掛かれるように待機していたという説もあります。

日光東照宮は世界遺産のひとつですが、この眠り猫の彫刻は国宝指定に認定されているほど大変有名な彫刻なので、一度はみる価値があると言えるでしょう。

日光東照宮で必見の彫刻「眠り猫」

眠り猫

Foodforthoughts/shutterstock.com

国宝指定に認定されている眠り猫は、日光東照宮の門と社殿の中で最も有名な彫刻です。この彫刻は、有名な職人・左甚五郎(ひだり じんごろう・ひだの じんごろ)が創建当時の1608年に完成させました。

この眠り猫は、廻廊の上部の屋根を支える部分でみることができます。

2016年11月に修繕され当初の姿によみがえった眠り猫は、その可愛らしい寝姿から実は薄っすらと目を開けているのではないかと言われています。

眠り猫の彫刻の大きさ

眠り猫の彫刻を実際にその場で見ると、とても小さくて可愛らしいサイズをしています。

その大きさは頭から尻尾までの長さがおよそ21㎝、両耳の幅がおよそ8㎝ととても小さな姿をしています。

眠り猫に込められている意味とは

眠り猫を制作した左甚五郎は、眠り猫にどのような意味を込めながら制作していたのでしょうか?

さまざまな諸説がありますが、眠り猫には猫が居眠りをするほど平和な徳川時代や、平和で穏やかな時代が続くようにという意味が込められているのではないかと言われています。

また別の意味として、日光東照宮で眠っている徳川家康公の御魂を代々お守りしているとも言われています。眠り猫の彫刻は日光東照宮の奥宮への入り口にあるため、入り口で徳川家康公を怪しい人物や敵から見守っていると伝えられています。

さらに徳川家康公をご主人様になぞらえて、眠り猫が薄っすらと目をあけてご主人様を守護しているという諸説もあるようです。

本物の猫は眠っていても危険が近づくと素早く逃げることができるほど、常に警戒心をもって生活しています。

この習性が日光東照宮の眠り猫にも体現されおり、敵が近づいてきたらすぐに襲いかかることができるよう、完全な熟睡姿ではなく居眠りしている姿で彫刻されています。

眠り猫の歴史

日光東照宮の眠り猫には長い歴史があり、それと共に数多くの言い伝えが残されています。

江戸時代、すでに名の知られていた彫刻職人・左甚五郎が日光へ旅に出かけた際に道にまよってしまい、一軒だけあった民家に助けを求めました。

その民家の老婆は、左甚五郎の彫刻の腕に気付き、日光東照宮へ彫刻作品を寄贈することを勧め、左甚五郎は東照宮の建築に参加したと言われています。

左甚五郎が当初寄贈した猫の彫刻は、とても上手で本物の猫そっくりだったそうです。その本物そっくりの猫が、毎晩歩きまわっていたずらをしていたと歴史上語り継がれています。そこで、左甚五郎は彫刻の猫の目を閉じて、眠っている姿にしたという逸話があります。

2016年の日光東照宮の大修復で眠り猫にも大幅な修復が行われ、現在は制作当時の色と姿がよみがえった眠り猫を見ることができます。

彫刻職人・左甚五郎はどんな人物?

では、眠り猫の作者である彫刻職人・左甚五郎はどんな人だったのでしょうか?

左甚五郎は、江戸時代とても有名な彫刻職人のひとりでした。言い伝えでは、1594年に兵庫県明石市で生まれたと言われています。

彫刻の腕は全国的に知られているほど有名で、落語や講談にも有名な彫刻職人として登場しています。左甚五郎の彫刻作品は、今でも日本全国各地に100点以上の作品が大切に残されています。

彫刻作品の中でも一番有名なのは日光東照宮の眠り猫ですが、その他にも埼玉県秩父市にある秩父神社の龍の彫刻も有名です。

彫刻の腕はとても有名で、作品に彫られている動物たちは夜になるとまるで本物のように動き出していたという逸話が、歴史を通して語り継がれています。

左甚五郎という名前の由来は、左利きだったという説もあれば、飛騨高山に住む叔父に弟子入りした際に飛騨の甚五郎から左と名付けられたのではないかという説があり、いずれのどちらかが正しいのかは分かっていません。

また、左甚五郎は日本の彫刻の世界ではとても名の知れた人物ですが、全国に100点以上の彫刻作品が残されていることから、左甚五郎という人物は存在せずに、何人かのチームで左甚五郎と呼ばれていたのではないかとも言い伝えられています。

真相ははっきりしていませんが、眠り猫をはじめとした現在まで残っている彫刻作品は、左甚五郎の彫刻の技術であることは確かです。

”国宝”に指定されている眠り猫のトリビア

国宝

onemu/shutterstock.com

左甚五郎の彫刻作品である眠り猫は、国宝に指定されています。日光東照宮にはさまざまな国宝がありますが、その中でも眠り猫は最も小さく可愛らしい国宝と言えるでしょう。

日光東照宮には徳川家康公の威光を表現するための大きくて豪華な彫刻や飾り物がある中、眠り猫の彫刻は心がホッと和む作品となっています。

眠り猫は日光東照宮のどこにあるの?

日光東照宮の堺内は、順路通りに進むことで効率よく一巡することができますが、眠り猫の場所をしっかり把握しておかないと、とても小さいのでうっかりと通り過ぎてしまう可能性があります。

国宝指定の必見彫刻作品なので、前もって眠り猫の場所を知っておくことをおすすめします。

では、眠り猫は日光東照宮のどこにいるのでしょうか?

眠り猫は、東の廻廊の奥にある坂下門の上部の蟇股(かえるまた)にあります。この場所は江戸時代、当時の将軍しか入ることができない場所でした。

日光東照宮が創建された江戸時代、坂下門は通常は完全に閉鎖されていたことからも、眠り猫がネズミ1匹も通してはいけないとしっかり坂下門の先を見守っていたことが分かります。

眠り猫の先にあるものとは

では、坂下門で徳川家康公の御魂を守り続けている眠り猫の先には何があるのでしょうか?

坂下門をくぐり200段の石段を登ると、徳川家康公のお墓にあたる奥宮があります。石段を登ると奥社の拝殿に着き、徳川家康公のひつぎが安置してある奥社宝塔があります。

奥社宝塔は作られてから一度も開けられたことがないひつぎで、その横には樹齢約600年以上の大きな杉の木があります。

この杉の木は叶杉(かのうすぎ)と呼ばれており、ほこらの部分に向かって願いごとを唱えると願いが叶うパワースポットとして知られています。

眠り猫以外にも魅力的な彫刻がある

日光東照宮には、眠り猫以外にも歴史的に有名な彫刻がたくさん存在しています。

まずそのひとつに三匹のサルが並んでいる三猿(さんざる、さんえん)が挙げられます。これには”見ざる言わざる聞かざる”の意味があると言われています。この教えは8世紀頃日本に伝わってきたようですが、古代エジプト時代にすでにあったようです。

日光東照宮の三猿も眠り猫同様、左甚五郎の彫刻作品です。眠り猫と三猿のほかにも、さまざまな場所に動物の彫刻があり、どれも歴史的に有名な作品です。

仁王門と陽明門のトラや唐門の牛と龍、石柵の獅子などの彫刻作品も日光東照宮内で見つけることができるでしょう。

ちなみに徳川家康公は1542年生まれで、干支が寅年だったため境内には虎の彫刻が多いと言われています。また、重要文化財である五重塔には干支すべての彫刻が刻まれているのも必見です。

日光東照宮以外の寺社でも猫の彫刻は見れる?

日光東照宮にある眠り猫のような彫刻は、ほかの神社でもみることはできるのでしょうか?

全国には猫の彫刻がある神社がいくつか存在しているようです。しかしその多くの彫刻は、招き猫の姿や獲物を狙っている姿などをしており、日光東照宮の眠り猫のようにリラックスした可愛らしい姿をしてないようです。

このような背景からも、眠り猫は歴史的な意味でとても貴重な彫刻作品と言えるでしょう。


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