はじめに

春になり緊急事態宣言も明け、旅に向けて気持ちが動き出してくるなか、昨年夏に編集部が能登半島の石川県七尾市で体験した定置網漁体験のレポートをお届けします。新しい旅の選択肢としてご参考ください。

能登半島の定置網漁

「定置網漁の名人の船に乗りませんか」とお誘いをいただき、能登半島まで行ってきました。
乗船させていただいた鹿渡島定置網の代表・酒井秀信さんは、定置網漁の継承、人材育成についての取り組みが評価されて、2014年に「ふるさとづくり大賞」で総理大臣賞を受賞された方。そんな方の船に乗れるとあっては、夜中3時に漁港集合だろうと行かないわけにはいきません。

舞台となる石川県七尾市は、能登半島の中央に位置していて、開湯1200年を誇る和倉温泉を有することでも知られています。沿岸部では、恵まれた潮流と豊富なプランクトンにより“天然のいけす”と称される富山湾での定置網漁が盛んです。

定置網漁とは、読んで字のごとく海中の定まった場所に網を設置し、ブリ・タラ・マグロ・アジ・サバ・イワシなどの回遊性の魚を待ち受けて獲る漁法です。巻き網などの魚を追いかける漁法と異なり過剰漁獲に陥りにくいため、資源管理型漁業や省エネ漁業として昨今脚光を浴びています。石川県では能登半島内浦海域で盛んに行われていて、特に七尾市灘浦地区は日本有数のブリ漁場として知られています。

深夜1時半集合、作戦開始。

和倉温泉の宿にチェックインしたのが前日の19時。同行者より、「1時半にフロント集合で」と告げられる。食事をしてお風呂に入り、翌日の準備をしていたら、結局ほぼ寝られず。しかし、夜中のおでかけの高揚感で眠気はさほど感じずに、車で一路鹿渡島漁港へ。海岸線をなぞるように真夜中の国道を走る。対向車はほとんどなく、何か特別な作戦に参加している気分に。入り組んだ住宅街を縫うように進み漁港に近づくと、作戦の隊員(漁師)の車と合流する。真っ暗な漁港に人がいることに安心します。 作業着、ライフジャケット、長靴、軍手を貸していただき、時間まで番屋で待機。番屋の中で緊張している取材陣と対照的に、缶コーヒー片手に続々と“出勤”してくる漁師たち。ノートPCで何やらデータの整理をしているのは、大学では物理を専攻していたという栗原さん。そう、当たり前だけどここは彼らの職場なのです。代表の酒井さんは不安定な漁師の生活を改善しようと、鹿渡島定置を会社組織にしてさまざまな改革を成し遂げ、平均年齢が30代中盤の若き漁師集団を作り上げたといいます。 いよいよ出発となり外に出ると、漆黒の闇に浮かび上がる眼を射るほどのライトで装飾された漁船「第二海幸丸」と対面。漁場までの船上は、それぞれが思い思いに腰を下ろし、戦いに備えて精神を集中しているように見える。酒井さんが食パンを大切そうにちぎって時間をかけて口に運んでいたのが印象的だった。何かのルーティンなのか、吉兆の儀式なのか。

漁のクライマックス「網起こし」

30分ほどで漁場に到着。約10名の船員が一気に戦闘配置につきます。気が付けば、離れたところにもう1隻が。定置網漁は2隻の船で仕掛けた網を巻き上げて魚をさらう漁法で、巻き上げるたびにゆっくりとお互いの距離をつめていきます。距離が縮まるにつれ、船内は巻き上げ機の操作と網の引き上げの繰り返しで慌ただしくなります。 漁場に仕掛けた「身網」に入った魚を船内に取り込むこの「網起こし」と呼ばれる作業におおよそ1時間かかり、総員が力を合わせる漁のクライマックスポイント。我々も網の引き上げに参加させてもらいましたが、リズムがわからずに徒に力を入れて引っ張ってもびくともせず、早々に撤退しました。やがて真っ暗だった水面がきらきらと光を反射しだします。光がどんどん強くなり、びちびちと跳ね回っています。魚群です。クレーンにつなげられた大きなタモ網で魚群をすくい、網の下の紐を引いて水槽に入れます。タイやブリなどの高級魚は選別して船の航行中に「神経締め」を行います。 神経締めとは、頭に開けた穴から脊髄、延髄に針金を通して、魚を仮死状態にして鮮度を保つ技術。このひと手間でかなり鮮度が変わるといいます。番屋でノートPCをたたいてた栗原さんが見事な手さばきで次々に締めていきます。締めた魚は-2.5℃の海水シャーベットを敷き詰めた水槽へ。このシャーベットも酒井さんのこだわり。こういった鮮度へのこだわりが、高級料亭などに指名される魚を生み出しているんだと実感。大量のカモメと朝焼けを背景に行われた勇壮な網起こしの迫力に呆然としていたが、後から聞いたところでは、この日の漁獲量はかなり少なかったとのこと。 次の漁場へ向かう船上、カモメの群れにふと目を上げれば夜が白んでくる手前のマジックアワー。まるでミッシェルガンエレファントの名盤「ロデオタンデムビートスペクター」のジャケット写真のよう。薄明の紫のグラデーションがかかった空に囲まれて船上で揺られていると、いま自分がどこで何をしているのか見失いそうな浮遊感を得られる。この景色を船上から毎日見ている人と自分たちが同じ国に住んでいるということ。実は今回の漁に参加してもっとも感慨を感じたシーンだった。酒井代表の「海にはコロナなんかいないからね」と嘯いた声も、そんなこともあるかもと思わせるほど不思議な時間だった。

帰港、荷揚げ、そして漁師メシ

戸鹿島漁港へ帰港し、荷揚げと選別作業に。トビウオ、タチウオ、タイ、イワシ、アジ、マサバ、サワラ、ハモなど、種類ごとに分けていきます。船上でも地上でもキビキビと動き回り続ける戸鹿島定置の皆さんに圧倒され、次第に眠気が襲ってきたことと相俟ってぼんやりと見入ってしまいました。 3時の集合から4時間が経過した7時すぎ。漁港に設置された加工所の中の簡易食事処で漁師メシをいただきます。自分のいつもの勤務に当てはめてみると、これがランチに相当するんだと思い、出勤からランチまでの間、これほど集中してさまざまな作業をやっているのかと自問自答。 加工所の方がさばきたてのトビウオ、アジ、サワラなどの刺身を次から次に運んでくれます。同行者4人に対して、10人前以上はあろうかという量。そこに焼いたイワシ、どんぶり一杯に入れてくれるあら汁とご飯、酒井さんが商品化に成功したという、アカモクという海藻、そして「野菜も食べないと」とこれも大量のサラダまで。生まれてこれほど贅沢に刺身を食べたことはありません。

その贅沢さは味もさることながら、闇夜の出港、潮風、カモメ、薄明の空、網上げに選別作業という刺身になるまでの風景を経験してからテーブルについたこと。そして何より定置網漁法の普及のために全国から集まった漁師志望の若者を育成している酒井船長の尽きない話を聞けたこと。それらがあってこそ最高の食体験となり得たと思います。「世界一の朝食」ということばがありますが、大漁旗に囲まれた今回の食事は「日本一の朝食」のひとつの形といえるのではないでしょうか。

旅は続く...木造船でタコつぼ漁?!

定置網漁と漁師メシを満喫して夢見心地になっているところに、同行者より「せっかくだから三室にある伝説の木造船に乗りませんか?」と提案が。七尾の人たちに魅せられていた取材班は、一も二もなく車に身を預ける。鹿渡島漁港から約10分、能登島を向こうに望む七尾湾の小さな漁村へ。江戸時代から続く船大工の七代目だという杉本純一さんと石中晋二郎さん兄弟が出迎えてくれた。杉本さんは現在この漁村の唯一の船大工とのこと。

さっそく木造船を見せていただき、穏やかな湾に漕ぎ出す。快晴の空の下で船を漕いでタコつぼを引き揚げていく。今朝にくらべてなんとも長閑な漁だ。波が防波堤にあたる、とぷんという音が響くほど静かな海に浮かんでいると、昔は向かいの能登島まで手漕ぎで渡っていたということが納得できた。木造船は本当に美しく、白い木が陽光を反射して、その精巧に計算された造形美が箱舟のような厳かな雰囲気さえ醸していた。 下船して船着き場のすぐ横の舟屋でランチをいただく。先ほどたらふく食べたはずなのに、カニ汁、たこ飯、サザエ焼などを目にして自然と箸が伸びる。今回はビール付きだ。ほろ酔いで頭にタオルを巻いた杉本さんがのんびりとした口調で「あの船? 俺が一人で造ったけど」と答えるのを聞いて、失礼ながら本当ですか? と聞き返してしまった。そして「設計図はこの板に書いた絵だ」と見せてもらい、呆然。あれほど精緻な曲線が1枚のシンプルな絵だけで造られていたとは。これが職人というものなのか。

昔ながらの手こぎの和船を漁村の新たなシンボルにしたいという地元住民の想いに賛同して、地元の山からスギやヒノキなどを伐採するところから取り組んだという杉本さん。もっと自慢してもいいのに……。「そんなにすごいことかぁ?」と笑うばかりだった。 <定置網漁乗船体験~漁師メシコース>
問い合わせ:株式会社鹿渡島定置
電話:090-2035-4627 
住所:石川県七尾市鵜浦町9-38-2
料金:5,000円(5時間)※装備一式レンタル500円

<三室の漁村見学半日体験>
開催時間:9:00~13:00
料金:5,000円※昼食づくり体験代含む
場所:三室の舟小屋
住所:石川県七尾市三室町128-27
問い合わせ:崎山地区コミュニティセンター
電話:0767-58-1111※前日午前まで予約受付

おわりに

今回能登で味わったことは、体験の名前だけを抜き出せば、定置網漁体験、漁師メシ体験、タコつぼ漁体験となるんだと思います。でも重要なのは、体験を叶えてくれる人や体験に至るまでの風景・場所があること。withコロナのいま、余計にそう思いました。「旅は自分を見つめなおす装置」という、原点に立ち返れた旅でした。
情報提供元: 旅色プラス