これまで数多くのクルマが世に送り出されてきたが、その1台1台に様々な苦労や葛藤があったはず。今回は「ニューモデル速報 第95弾 GTOのすべて」から、開発時の苦労を振り返ってみよう。

新型GTOの開発を率いた鈴木正勝プロジェクト・マネージャーにとって「GTO」というネーミングは、初代GTOの空力特性の改善に尽力した経験から特別なものだった。鈴木はのちにスタリオンを手掛けることになり、インタークーラーターボを出した際には「GTO」と名付けようとしたが、販売サイドからは「古い印象になる」と反対されたため、次期モデルではなんとしても「GTO」と名付けると主張していた。

スタリオンがリリースされた1982年から3年が経過した1985年のことである。鈴木にスタリオンの後継モデルの開発が任された。当時のことを鈴木は以下のように振り返った。

「スタリオンの頃は、ターボ装着の認可がなかなか降りなかった。しかし、84年ごろの予測では、将来の高性能車は3リッター程度の排気量が必要になると思ったが、当時はV6エンジンの開発がようやく始まったばかり。スタリオンではやむなく2リッター4気筒ターボになったが、パワー不足を指摘されることが多かった。けれども、デボネア用の6気筒が出来上がったので、次期モデルでは絶対に3リッターV6にしようと意見は統一されていた。」




しかし、後継モデルの発売を想定していた90年代には、260〜280psのパワーが求められるだろうと予想していた。また、駆動方式についても検討を重ねる必要があったという。




「実はミッドシップも検討しました。試作の段階まで進んだのですが、乗員は2名に限定されてしまう。スタリオンがラリーでグループBとして国際レースに出場していたこともあって、4人乗りでなくてはならないとしてミッドシップ案は消えました。」




また、実験部隊から4WDの運転特性の良さについての報告も上がっており、1986年には新しいスポーツカーは4WDで進めるという方針に固まった。鈴木は「全天候スポーツカー」というスローガンを掲げ、腕に自信のある少数のドライバーだけのものではなく、路面や天候に関わらず安心して走れることがこれからのスポーツカーだと考えており、そのためには4WDが必要だったのだ。




ただし、4WDの本格的なスポーツカーとなると小型車の幅(1700mm)では足りない。その点について、エンジニアリング部門と開発部門では文句がなかったが、商品化するとなると各部署から賛否両論が出て、その調整が大変だったという。

ツインターボを搭載したV型6気筒エンジン。最高出力は280psを達成し、最大トルクは2500rpmの常用域で42.5kgmを発揮する。

また、4WDは動力伝達機構が複雑になり重量も増えるという欠点もあった。力強く加速させるためには常用域で大きなトルクを発生させる必要があったため、ツインターボという方針は比較的早く決まったが、圧縮された吸気を冷却するインタークーラーの取り付け場所を考慮するとデザイン部門にも要求が及んだ。GTOではフロントサイドにある開口部がインタークーラー用の空気取り入れ口となったが、高速で走行中に急に止まった時のエンジンルーム内の温度急上昇への耐熱対策に苦心したという。

可変スカートを装備。写真は50mm下方に張り出した状態。
可変スポイラーも装着。写真は14度立てた状態。
センターコンソールの操作系をドライバー側に傾けてコックピット感を強調。3連サブメーターは左から油圧計、ターボ過給圧/水温計、デジタル時計。

4WDの開発では、60:40の重量配分に対する前後輪のトルク配分が課題となった。


重量配分通りにすると、アンダーステアが強く出てしまった。当時、4WDのスポーツカーは例が少なく、基本的なことから地道に進める必要があった。そうした中で、前輪を40、後輪を60とすると操縦性が最適になることがわかった。ただ、GTOでは直進安定性も大切だから45:55とした。

情報提供元: MotorFan
記事名:「 「新しいスポーツカーは、どうしても4WDで」開発ストーリーダイジェスト:三菱・GTO