2021年――

今年も多くの著名人が別れを告げ天国へ旅立ちました。彼らの遺したひとつひとつの功績は偉大で、きっとこれからも私たちの胸に残り、歴史に刻まれることでしょう。

今回は今年上半期に亡くなった方々の足跡やエピソードを振り返り、偲びたいと思います。

1月

俳優:福本清三さん……1日、肺がんのため亡くなりました。77歳でした。時代劇などで斬られ役を約60年続け「5万回斬られた男」の異名がある福本さん。2002年にはハリウッド映画でトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」に出演。何を話しかけられても寡黙にしている侍役を演じました。また、2014年には唯一の主演映画「太秦ライムライト」に出演し、寡黙な老俳優を演じました。

2月

俳優:森山周一郎さん……8日、肺炎のため亡くなりました。86歳でした。

俳優として大河ドラマや刑事ドラマに多く出演。声優としてもその渋く低い声でアメリカのドラマ「刑事コジャック」のテリー・サバラス役、アニメではジブリ映画「紅の豚」のポルコ・ロッソ役で人気を博しました。

また、愛知出身の森山さんは、大の中日ドラゴンズファンで、マスコミ関係者が集まり結成した「われらマスコミ・ドラゴンズ会」の会長を務めたこともありました。

3月

俳優:田中邦衛さん……24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

1955年、劇団「俳優座」の養成所に入ると、6年後に加山雄三さんの人気作「若大将」シリーズにライバル役の“青大将”として出演。さらに北海道富良野を舞台としたテレビドラマ「北の国から」では寡黙な父役を20年以上にわたり務めました。また漫画「ONE PIECE」に登場するボルサリーノは映画「仁義なき戦い」の田中さんをモデルにしているそうです。

柔道家:古賀稔彦さん……24日、がんのため亡くなりました。53歳でした。

豪快な一本背負いが得意なことから「平成の三四郎」と呼ばれた古賀さんは、バルセロナ五輪・男子柔道で金メダルを獲得。現役を退いてからは指導者として活躍。報道によると、古賀さんは去年がんの手術を受け治療を続けていたそうです。

4月

俳優:田村正和さん……3日、心不全のため亡くなりました。77歳でした。

京都生まれで大スター阪東妻三郎を父にもち、兄・高廣さん、弟・亮さんという俳優一家だった田村さん。時代劇「眠狂四郎」などのクールな役から、ドラマ「うちの子にかぎって…」などコミカルな役まで幅の広い役を演じました。

1994年には、三谷幸喜さん脚本の刑事ドラマ「古畑任三郎」シリーズに出演し人気を不動のものに。表では多くを語らなかった田村さんについて「古畑任三郎」の監督はインタビューで収録での様子を明かしています。スタジオの一角に“正和チェア”と呼ばれる専用椅子を置き、そこには専用の照明も。そこで海外の炭酸水を飲み、ほとんど話さず台本を読んでいたそうです。

吉本新喜劇座員:チャーリー浜さん……18日、呼吸不全、誤嚥性肺炎のため亡くなりました。78歳でした。1962年、吉本新喜劇に入団。「ごめんくさい」「こりゃまたくさい」「あーくさ」「君たちがいて、僕がいる」など数々の人気ギャグを持つ浜さんは「~じゃあーりませんか」がブームとなり、1991年の新語・流行語大賞を受賞しました。

5月

漫画家:富永一朗さん……5日、老衰のため亡くなりました。96歳でした。

代表作「チンコロ姐ちゃん」「ポンコツおやじ」などで人気を獲得した富永さんは、テレビ番組「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演。共演者で漫画家の鈴木義司さんとのライバル構図は人気で、お互いをみすぼらしく描き上げ笑いを誘いました。

作曲家:小林亜星さん……30日、心不全のため亡くなりました。88歳でした。

CM曲「ワンサカ娘」「酒は大関こころいき」「日立の樹」など、耳と心に残る曲を多く作曲。一方で都はるみさんの「北の宿から」も手掛け日本レコード大賞を受賞。また「ガッチャマン」「魔法使いサリー」などのアニソンも作曲し生涯での作品は6000曲を超えるそうです。さらにドラマ「寺内貫太郎一家」では主演を務めたり、バラエティー番組に出演するなどマルチに活躍しました。

6月

元プロ野球選手:大島康徳さん……30日、大腸がんのため亡くなりました。70歳でした。

1969年、ピッチャーとして中日ドラゴンズに入団しますが、すぐに野手に転向。めきめきと頭角を現しホームラン王を獲得するなど、通算2204安打を記録。2000年からは日本ハムの監督も務めました。

2017年にはステージ4の大腸がん手術を受けたことと余命宣告されたことを明かし、治療を続けながらテレビ解説などを精力的に活動していました。

次回、下半期へ……。

情報提供元: マガジンサミット
記事名:「 追悼 功績で振り返る『今年のお別れ』 ~2021年上半期~